「屋根裏部屋の密会」1
耳に穴を開けたことを俺は後悔しなかった。
けれど、そんな俺に対する反応は様々で散々だった。
開口一番に『馬鹿じゃねぇの』と言ったのは、友人たちだったけれど、俺に言わせれば、揃いも揃って俺の思い切りが羨ましいと顔に書いてあった。感心していたようにさえ見えたのだ。
友人の一方である悪友はともかく、もう一方の友人は強敵かと思っていたのに、案外その程度の思いだったらしい。思いがけず知ることが出来て俺は安堵した。
母は『思い切ったことをするものね』とだけ、言った。
俺が何の為に開けたのか、何を思って、誰を思って――なんて、あの母には全てお見通しなのだろう。思い切って打ち明けた俺を、始終穏やかな目をして見つめ返すだけだった。
どこか寂しげに微笑む母とは対照的なのは、無論、父だった。
何やら怒り心頭な父は、ことあるごとに俺の片方だけ開けた左の耳たぶの穴を見ては『見苦しい』と言って、顔をしかめるのだ。
最初、俺を見て、その少女の態度を見るまでの束の間は、どこか、戸惑ったような顔をして、どういった態度をとるべきか判断に迷った風情だったくせに。……少しだけ、驚喜にも似た顔をしようとしたくせに。
父は、『父代わり』であることを当のラエルに拒絶されるまでは、絶対にその態度を維持するだろうことが予想できた。
そして、そんな父を納得させるには、まず、ラエルの俺に対する態度をどうにかせねばならなかった。
ヴァレンの稽古事を終えて帰宅が許されると、例えどんな時間であろうとも、ラエルに会いたくて仕方がなかった。
リーグルの家にたどり着いた俺は、縋るような思いで邸の上を見る。屋根裏部屋に当たる天窓を祈るような気持ちで見つめれば、その窓が僅かに開けられていることを知って、胸が熱くなった。
すぐさま、その部屋を目指す。あのときは難しかった侵入方法も既に身体が覚えてしまっていて、難なく屋根裏を伝い、その部屋へと俺は進む。
部屋には、予想道理、俺の求めて止まない一人の少女がいた。
「お帰りなさいませ」
愛しい少女の声に、俺はため息を吐いた。
「ああ。ただいま。……すっかり夜更かしさせるようになっちまったな。ラエル」
「大丈夫ですよ? 元々満月の夜は夜更かししていることも多かったですから」
昔からの習慣は消せないのだと言ってから、ラエルは俺を困ったように見上げた。丁度、歩み寄った俺がラエルのそばに腰を下ろしたところだった。
ラエルの目線が俺の顔を見るようにして、左耳を見ているだろうことに気付く。悲しいが、俺には次の言葉が簡単に予想できてしまっていた。
「主様? お願いですから、早くお医者様にお見せして、その耳を治してもらって下さいね? 悪ふざけは、もう……」
俺の片耳を開ける理由となった少女ラエルは、あくまで俺の行動を――片耳を開ける理由を、ラエル自身にあるのだとは認めてはくれなかった。
「悪ふざけなんて、人聞きが悪いことを。おまえも街に来て5年目になるんだから、わからないとは言わせないからな? 『男が名乗りを上げて、女の手に口付けて、その想いを告げる』こと。これは、イライブ地方並びにエルズの街に古くから伝わる、伝統的な『求愛』の――」
「主様っ!」
俺の言葉を強くさえぎった彼女の言葉に、俺は、それ以上をあえて言わなかった。ラエルとて俺の意味するところをわかっているのだからこそ、絶妙なタイミングで止めに入っただろうことが、俺にはわかったからだ。
俺がラエルと会ってから、もう5年が経つ。俺は、今も彼女自身のことはわからないが、多分きっと、街にいる誰よりも彼女のことを知っている。――それで、俺は、十分だった。かつての俺が決意し、誓い立てたときのように、彼女に無理強いをするつもりなんて、これっぽっちも持っていないのだから。
だから、彼女にあのときの返事がもらえなくたって、どっちでも良かった。
俺はあのとき、伝えたかっただけなのだから。
「仮に女側が了承すれば、男側は指輪と耳飾りを用意して、自分自身に耳飾りを、女に指輪を贈ることで一生を誓い合う――これが、正式な婚姻の儀の運びだな。そして、女側が了承しない限り、それは男のただの独りよがりの宣言になる。用意したものを破棄して女を諦めるか、もしくは――」
俺の独り言に耐え切れなくなったらしいラエルが、とうとう俺から顔を背けてそっぽを向いてしまった。
「……なんだよ、ラエル? 俺が『心を捧げた』って言うのに、不満なのか?」
「不満です。すごく。何度も言っているのに、聞き届けて下さらないんですもの」
「どっちがだよ。――あのなぁ、誓ってからもう四年が経つんだぞ? 悪ふざけとか気の迷いとかなら、直ぐに耳飾りなんか捨ててるっての。なんでわかってくれないんだかな……」
――心を捧げる。
そのときの思いのままでいることを現すために、俺は自分勝手に左耳に穴を開けた。
そして、改めて気持ちを変えない覚悟でいることをラエルに告白したら、なんと、ラエルは断固として俺の行動を責め始めたのだ。