「満ちる月」2
「なんだか……ずっと、心がふわふわしているんです。頭巾のことも、名前のことも、腕輪のことも。わたしが故意に隠していた秘密を、ほぼあなたに話すことが出来て、身軽になったと言うか」
微笑を浮かべるラエルが、おどけたように肩を竦めて見せた。
「これでも、さっきまではずっとびくびくしていたんですよ? 一番秘密にしていたかった腕輪のことを話さなくてはいけなくなってしまったんですから。――しかも、突然腕輪の主である『声』までも、あなたと話がしたいと言ってきて……、どうすることもできないわたしは、どんな思いで、あなたに腕輪を渡さなければいけなかったか……」
そう言ったラエルが、俺に凭れ掛かってきた。
ふわりと漂う匂いがする。――ラエルが、俺のすぐそばにいる。
「ど、どうしたんだよ? ラエル!?」
凭れ掛かってくる体を起こそうとして、彼女の肩を掴む。しなだれかかってくる彼女が、俺の体に手を当てて、緩く頭を持ち上げるように俺を見上げた。
不安げに揺れる目に、俺は釘付けになった。魅入られたように動けなくなってしまう。
「わたしってば、何を心配していたんでしょうね? あなたは、いつもわたしを受け入れてくれる。こうやってわたしを甘やかして、優しくしてくれて……守ってくれているのに」
俺にしがみついた状態のまま、ラエルは囁いた。
「ねぇ、ロア様? 本当にわたしを一度でも疑ったことは無いのですか? 利用されていると感じたことは無いのですか? ――こんなにも身勝手で我侭なわたしを、どうしてそばに?」
「ラエル。だから、そんな風に考えるなって、俺は前にも言っただろう? それに、おまえがおまえ自身を傷つけるようなことを言うんじゃない」
「いいえ、紛れもない事実です」
頑固な意思を感じた俺は、ため息を吐いてからそれを言った。
「じゃあ、おまえ、『主』である俺の言葉を疑うのか?」
効果はてきめんだった。
あえて主であることを前面に答えれば、ラエルは一瞬呆気にとられてしまったかのようにぽかんと口を開けていたかと思うと、「ですが、でも」と言い募ってくる。
「あの日、誓っただろう? 『おまえが俺のそばにいる限り、おまえはラエルなんだ』って。……それで、十分だろ? おまえがラエルでいるために必要なことなんて」
「――っ」
厳密に言えば違うけれど、ようは解釈次第で、あの誓いはそう意味取ることも出来るはずなのだ。
「言っておくが、俺は、おまえが望むままになすがまま約束をしたわけじゃないからな? ちゃんと、俺にとっての利点だってある。――じゃないと、不公平だしな?」
俺はラエルに見せ付けるようにして、にやりと笑った。
すると、ラエルの目が瞬いたように俺には見えた。暗い悲しみに堕ちていた眼が、輝きを取り戻すかのように。
「本当?」
「ああ」
「このわたしを受け入れることで、あなたに、利点があるの?」
「だから、あるって言ってるだろ?」
根気良く諭してやれば、ラエルはふと押し黙った。
「……わたし、あなたのそばにいたいの」
「知ってるよ。もう一年も前に」
出会った日の翌々日に、ラエルはそう言っていたのを、俺は確かに覚えている。
「……主様」
ラエルが俺を呼ぶ呼び名が元に戻ってしまった。けれど、それは常の彼女に戻ることを意味していることだったので、良い傾向であると俺は思った。
満月の光を受けたラエルが、俺を見上げて、言う。
「祝福を――」
「へ?」
囁く声が聞こえなかった。
俺が聞き返そうとすると、ラエルが、ゆっくりと囁いた。
「あなたの望む場所に祝福を……」
「――はぁっ!?」
(何を言い出すんだ、コイツは!?)
驚くしかない俺に何を思ったのか、ラエルが顔をしかめて、悲しそうな顔をしてしまった。
思わず、罪悪感を感じてしまいそうになる。俺は突然すぎる発言に対してただ当然の反応をしただけなのに。
「おまえ……俺を試してるのか?」
苦し紛れの俺の言葉に、てっきり策士めいた顔をするのかと思ったら、ラエルは不思議そうに首を傾げただけだった。
「試す? わたしがですか? しかも、あなたに? ……そんなはず、あるわけないじゃないですか」
依然突拍子もつかないことを言う彼女に、俺の思考は置いてけぼりを食らっているままだった。
とにかく、意図がつかめないのだ。
「――どうしてだよ?」
「だって、主様は……あなたは以前、わたしに別の場所をと仰ったでしょう? わたしに望んで下されたでしょう? わたしがあなたの望む場所にしたほうがいいのですか?」
あのときの申し出をしっかりと覚えられていて、俺は思わず頭を抱えたくなった。
(――あー、言ったさ! 言ったとも! だから、どうした!)
「あのときは勢いで言っただけだ! だから……」
「だから?」
潤んだ目をしてラエルが俺を見上げてくる。俺はそれをまともに見てしまった。
体の全感覚が、目の前にいる少女のことを探ろうとする。
縋る柔らかな体、間近に見てしまった彼女の瞳。――その全てが、俺を追い詰めていく。
「っお……おまえこそ、どう思ってるんだよ?」
「え?」
「おまえを受け入れている俺のことを、たった今利点と言った俺のことを、どう考えているんだ? 多大なる感謝があるから――なんて考えでいたら、後悔するぞ」
呟いた声は我ながら低く掠れていた。
俺の問いかけに、間を置いて、ラエルが答えた。
「――後悔なんて、しません。あなたが望むのなら……」