「行方不明?」4
無事に、家にたどり着いた。
俺たちは大人たちに迎え入れられたが、状態が常とは違っていただけに、大人たちは慌てふためいた。
お互いに泥だらけで、血のりがついているものの殴打の跡ばかりの俺と、ラエルは応急処置が済まされているとはいえ明らかに怪我をしていた二の腕を庇っていたからだ。
ラエルに比べれば見た目軽傷とはいえ、俺のダメージは半端無いと言うのに、大人たちは、俺の行いを許そうとは思わなかったらしい。
「この馬鹿者っ! 不審な男に一人で立ち向かっただと!? 何故そんな無謀なことを!! おまえ、こんなにぼろぼろになって……そのうえ、ラエルは腕を負傷して……っ! まったく、命があるのが不思議なくらいだぞ!」
「でも、父さん! ……俺は……!」
俺はラエルを取り返したんだと言いたかったが、その思いはまたもや言葉にはならなかった。
飛んで来た父の手を避けられなかった俺は、黙って口の中にたまった血を吐いた。
「ああ……。ああ、すべてはわたしが悪いだろうさ! 悪餓鬼ロア坊とはこの街で有名なお前の名で、そのお前と共にいる彼女が攫われて。それでお前が大人しくしてられるはずも無いと、どうしてわたしは考え付かなかったのだろうか!!」
(――んなの、ラエルが消えたと知っただけで狼狽してる親父が悪いんじゃないのか?)
思いつつも、俺はそれを口には出さなかった。我ながら賢明な判断であるだろう。何しろ、ひりひりするほど頬を打たれているから、意見するがために喋るのですら億劫でもあった。
このとき、俺は計三発ほど、父の制裁を頂戴していた。既に、他の大人たちからも何発かある。おかげで、顔とか腹がどこもかしこも腫れ上がってひりひりとしている。
ただでさえ、あの――今では謎でしかない男からも喰らっていたのだから、これ以上は本当に勘弁して欲しかった。
大人たちが言うことなんて信用ならないが、ラエルを攫ったあの謎の男は消えてしまったらしかった。
結局、あの男は、現れた俺に対しては剣を向けたものの、決してラエルにその刃を向けようとはしなかった。事実、彼女の左腕の怪我は、絶体絶命の俺の前に身を投げ出した彼女自身が起こした怪我とも言える。それに対し、男は驚き、その彼女の傷を手当てして、少なくとも応急処置を済ませようとしていた。
俺には、それが何故なのかわからなかった。
俺がラエルを保護して邸へと帰る間に消え失せた男は、攫った彼女を何処へ連れようと思っていたのだろうか。
最も、第一発見者である俺の見解を聞いた大人たちは、『今はまだ早い』と言って教えてはくれなかったから、大人達には予想がつく話なのだろうか。
まさか、と、勝手な予想をしている部分はある。無傷であることを条件に雇われた男の台詞を察するに。もしかして、大人の男が大人の女に求めるような何かなのだろうかと。そして、もしそれが本当なら、俺はそれを阻んだ者として自分自身を褒めたくて仕方なかった。
「聞いているのか、ロア!」
「……あ。ごめん、父さん。――そんな怖い顔するなよ、ちゃんと要点は、聞いてるって」
「今の反応はあからさまに聞いていなかっただろうがっ!? 今日という今日は、子供だからって容赦はせんぞ! お前に危機感というものをしっかりとだな――!」
激昂する父の様子に、横槍に入れるようなツワモノなんて一人しかいなかった。
その人は、「はいはい」と父をいなし、いきり立つ父の肩をなだめるように叩いている。
「貴方。もうよしなさいよ。貴方が心配しているとおり、この子だって疲れてぼろぼろなんだし」
存外にも心配してくれている様子な母の言葉に、俺はほっと息をついた。
「――しかしだな、ルレッセ!」
父は、至極不満そうな顔をした。
まさかまだ言い足りないのだろうか。
そんな父を、母は無視した。
「はいはい、もうわかったから。――ロアーツ? お前も休みなさい。けれど、わたくしとて説教をしないつもりじゃありませんよ。――明日、覚悟しておきなさい」
「わ、わかった。二人とも、お休み」
一瞥をくれた母の眼の鋭さに怯みつつも、俺はそそくさと退散した。
翌朝、予想以上に長かった説教を耐えた後、目覚めたラエルが傷の手当てを受けている様子を、俺は見ていた。
手当てした薬医者が消え、甲斐甲斐しくラエルを世話していた母がいなくなっても、俺はずっと見ていた。
「あ、あの……」
ラエルが居たたまれなさそうに言葉を上げたのを聞いて、俺は口を開いた。
「何か、言うことねーか?」
自然、声が、顔が強張ってしまった。無事な彼女を確認した途端、怒りだけでは無い感情を、俺はどう扱っていいかわからず持て余し、面倒臭くなってそのままにする。
目の前にいるラエルが、俺の怒りを前に、怯えている。
そんなことはわかっているけれど、どうすることもできなくて。どう言葉を掛けていいかわからなかった。
「……も、申し訳ありませ――」
震える声、不安そうな表情。そして、こんなときまで、馬鹿みたいに丁寧な物言いで、俺は心底腹が立った。
上半身を起こしたままの状態でいるラエルの寝具のそばにより、目の前に立つ。
「ラエルっ!! お前は馬鹿だ! この、大馬鹿野郎っ!!」
とびきり大声で一喝して、その勢いのまま腕を伸ばし、俺はラエルをぎゅっと抱きしめた。ラエルが抵抗するような素振りを感じたけれど、俺はそれを無視した。
文句など聞く耳すら持たないつもりだった。今、確かに俺のそばにいるのだと、感じたかった。
俺はラエルの怪我をしていない方の肩を掴んで、じっと見つめた。
「おまえっ、まさか死ぬ気だったのか!? 刃物持った男の前に飛び出すなんて……! 怪我までして!! なんで、こんな――」
「――で、でも! 主様だって、あなただって……」
反論したそうな口振りをしたラエルを、俺はひときわ険しく睨みつけて黙らせた。
「あのなあ! 俺だって、そりゃ、人のこと言えないかもしれないけど……。少なくとも、おまえみたく自分から無謀な真似はしていない! 武器持った相手の目の前に飛び出すなんて――っ!」
「――で、でも……わたしは……っ!」
顔を俯かせて黙り込んだラエルに、俺は、今度はゆっくりとその体を引き寄せて抱きしめた。労わるように、慰めるように。
「頼むから、もう、こんなことしてくれるなよ。俺、本当に……別の意味で、心臓が止まるかと思った」
「……すみません」
「そういう時は、俺を見捨てていいから! だから、もう……絶対に……」
俺の腕の中で、ラエルがぽつりと呟いた。
「大丈夫だと……思ったんです」
彼女の声は、いつしか湿り気を帯びている。俺と同じように、鼻をすするような音がした。
「……っく、主様が、絶対に助けてくれるって、そう思ったから」
ラエルの腕が俺の背に回って、ぎゅっと掴まれたような感触がした。
「ごめんなさい。……ごめんなさい、主様」
ラエルを腕におさめて、涙ながらの謝罪を聞いているうち、俺は思った。
これで、なんだかんだいって、今回のラエル失踪騒動は、終わったに違いないと。
ラエルが無事だったということに安堵しきっていた俺は、ぎゅっと彼女を抱く腕に力を込めて、その安心感を更に味わおうとしていた。
そのときだった。
「――邪魔をするよ、ラエル」
声とともに、父が部屋に入ってきたのだった。
加筆修正しました。10.4