「少年ロアーツと、主と呼ぶ少女」1
目覚めた途端に告げられた言葉は、まるでわけがわからなかった。
「おはようございます。ロア様。――突然ですが、これより、あなたのことを主様とお呼びしたいのです」
(――彼女は、今、俺に何を言った?)
俺は、ゆっくりと体を起こす振りをしつつ、発言者である『その人』に視線を向けた。
いまや彼女だけの特徴といっても過言ではないだろう頭巾を被り、黒に近い紺色の上衣と真っ白の下衣服姿をしている少女も、俺の様子を窺うような目で見ていた。それは間違いなかった。……どうやら、人違いというわけではないらしい。そもそも、俺のあだ名である『ロア』と言う名前で呼びかけられているばかりか、たった今まで眠っていた俺の部屋にいる人間だって俺と彼女しかいないのだから、彼女の言葉は俺以外の誰に向けて言ったというわけでもなかったようだった。
(――だとしても、……なんで今更?)
(大体、『主様』ってナニ?)
やがて、鈍く動き始めた頭から、ぐるぐると疑問が浮かんでは増えていく。答えが見えないまま、埋め尽くされていくようで……。
俺がどう反応すべきか考えあぐねている間に、少女はその場を締めくくりかけようとしていた。
「――そういうわけですので、よろしくお願いしますね。『主様』?」
そのとき、俺は初めて、主と呼ばれた。
俺を主と呼ぶ少女は、まるでそれが当然であるかのごとくニコニコと笑っている。
ただ単に、彼女の呼ぶ『呼び名』が変わっただけ。……だとしても、俺には納得できなかった。
(これから、俺は、そんな風に呼ばれなきゃいけないのか?)
今更な話だった。彼女と出会ってから、もうじき一年が経とうとしているのに。ようやく、俺の名をあだ名の『ロア』の名で呼んでくれるようになっていたのに。
(――そんなの、嫌に決まっている!)
「ちょっと待てよ! ラエル!」
俺は、明らかに否定の意を込めた声を出して、少女に意を決したつもりだった。
しかし、俺の予想に反して、少女の――ラエルの微笑みは崩れなかった。むしろ、満面の笑顔のままで、ラエルは次の言葉を言ってのけたのだ。
「えっと、……何をですか?」
「――は?」
うろたえもしないその反応に、逆に俺が拍子抜けしてしまう。
「な、何をって……」
あまりのことに言葉が続かなかった。
(とぼけているつもりなのか、それで! 俺の不満たっぷりの声色を聞いていただろうに、よくもぬけぬけと……!)
ふつふつとわきあがる怒りを、自らに感じる。
けれど俺は、今すぐにでも怒鳴り声を上げたい気持ちを抑えるためにゆっくりと呼吸した。
熱くなったほうが、負け。
俺は自分自身に言い聞かせると、さも冷静であるかのように装ってから、ラエルに問うた。
「……まずは理由を聞かせてくれ」
ラエルが眉根を寄せて、考える仕草を見せる。
「理由……ですか……」
俺は、辛抱強く彼女の言葉を待つ。
やがて、ラエルが言いにくそうにぼそぼそと言った。
「――なんとなく、です」
俺は、心底ほっとしていた。
「却下だ。そんなもん!」
特別な理由なんて無いはずだと思っていたし、そうであってくれと、こっそり全力で祈っていた。まさにそんな曖昧な答えだけを待ち望んでいたのだ。
「ラエル。頼むから、こんな朝っぱらから変なこと言い出すのはやめてくれよな?」
あの日の朝、きっぱりと宣言したからには、その問題は早々に終わりを告げるはずだった。
なのに、俺が何度文句を言っても、ラエルはその呼び名を一向に止めようとはしなかったのだ。