「行方不明?」3
この一瞬が数十分だったのか、一時が数分間だったのかすら、俺にはわからなかった。
怪我を負うにつれ、身を庇う俺の集中力が衰えるごとに、新たに走る身体の熱と痛みがあった。
いつしか俺はうつ伏せになって倒れていて、体に力を入れて立ち上がろうとしても、中々立ち上がることが出来なくて。体に力を入れた拍子に、わき腹あたりにぴしりと痛みが走った。
「ううっ……!!」
呻いてしまったと同時に、腹の底から何かがこみ上げてくるのを感じた。むせ返ってくる嫌悪感に、溜まらずにそれを吐き出す。
「っ!? ――げほっ……う、ぐ……っ!」
血を吐く俺の前に、男の足が見えた。息を整えて男を見れば、男はただ俺を見下ろしているようだった。
男の足が、動く。
咄嗟に頭を庇おうとして、俺は、ぐっと歯を食いしばった。
身を走る衝撃は、決して斬撃ではない。そう、いつまでたっても、男はその小刀を使おうとはしなかった。
俺には、それが悔しくて仕方なかった。
「――くっ! くそお……! ――うらああぁっ!」
振りかぶって、俺は男に立ち向かうけれど、それが男のもとにそれが届く間もなく、男の手に阻まれる。
「ぐっ!?」
簡単にあしらわれたかと思うと、すぐさま衝撃が身を襲う。今度はもろに腹に食らってしまったらしい。次いで、俺の動きが止まるのを待っていたかのように、足蹴にされる。体の節々がガクガクと震え、痛んだ。
先ほどから少女の泣く声と、嘲笑う男の言葉が耳に入らない。
「――主様ぁ!」
駆け出そうとしてくる彼女の姿が見えたが、男の手に阻まれたらしかった。
「お姫さんはあっちで大人しくしとけって」
男が言って、足を掃われた彼女はまた転ばされてしまっていた。見れば、彼女も俺も砂埃にどろどろだった。おまけに俺は自分の吐いた血で血糊もついているし、最悪なのだろうけど。
(――ああ、本当に最悪だ。だけど……)
「お願い、もうやめて! これ以上はもう――っ!」
彼女の悲鳴のような懇願する声が上がったのを、俺も、男も無視した。
「――ラエル、お前は下がってろよっ!」
(――勝つ。絶対に! 勝って、目の前の男を打ち負かせさえすれば――!!)
(きっと、ラエルは、どこにも行かずにすむ……)
その思いがある限り、俺は何にでも耐えられるような気がした。
例え勝ち目の無い、こんな茶番劇にだって。
「もうそろそろか。時間がおしてるし……これで最後にするか」
やがて男が、呟いた。
そして、ようやくそれを逆手に持ち替えた。斬るためにではなく、その短剣の特性に相応しく、突き刺すために。
「小僧、悪く思うなよ?」
振り下ろされようとしている刃。その刃がこの身を襲おうとしているのに、俺は、動くことも出来ない自分の体を知る。
(――駄目だ。よけられない……!)
刹那、為す術も無く死への恐れを感じて目を閉じた俺は、無意識に彼女の名を呟いていた。
「あうっ――!?」
声がした。それは、少女の声だった。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
ラエルが自分の前にいて、腕に傷を負って。そして、勢いのまま地を滑り、転がってしまった。
それを、俺は呆然と見ていた。
「げっ! 嬢ちゃん、やりやがったな……?! あーあー、おい、大丈夫かよ――」
俺よりも、男の方が衝撃から覚めるのが早かったらしい。男は、片手にあの小刀を持ったまま、慌てたように彼女に近付いていく。
うずくまる彼女が、腕の傷に手を伸ばしていた。けれど、血は止まらずに、その小さな手を汚し始めている。
少女のその手を掴んだ男は、完全に俺に背を向けてしまった。
「あーあー、もう。こちとら雇われの身なんだから大人しくしててくれねえと困るってさっきから言ってるってのに……」
びりっと服を破る音と、ぶつぶつ愚痴っている男の声が聞こえる。
俺は、わけもわからぬまま、そろりと体を浮かせて、起こしにかかった。腕を突っ張って、ゆっくり伸ばす。握りこんだ手で、そばにあったしっかりとした堅い感触を確かめた。
「――ったく。俺がどやされるじゃねえかよ。ホラ、立てるか? うん?」
地に伏した彼女は答えない。
そのとき、彼女の様子を窺っていた俺にはその眼が見えていた。彼女と俺とを隔てる男の体では、隠しきれていなかった空間を使い、俺たちの視線がぴたりと合わさった。そんな気がした。
俺は、何とか立ち上がる。
「ううっ……」
対して、身を起こしかけたラエルが、声を上げて苦しそうにうずくまったように見えた。
「おい、嬢ちゃん? まだ痛むのか? おいおい、勘弁してくれって。ほら、起してやるから手を――」
言う男が、その手を伸ばす。
その瞬間を、ずっと待っていた。だから、ただの一度も、失敗は許されなかった。
振り下ろした木の棒はいわゆる棍棒並には威力があったらしく、ぴくりとも男は動かないし、起き上がらなかった。ぐったりとしてはいたが、息も一応ある。背後から頭を狙ったのだ、油断した男にとってはひとたまりも無かったんだろう。
俺は、ばたりと倒れた男が完全に気絶していることを確かめてから、ラエルのもとに駆け寄った。既に彼女はむくりと起き上がって、俺に背を向けるように両膝を地につけてしゃがみこんでいた。
その右腕は、負傷した左腕を庇うかのように抑えられている。
激しい痛みのためなのか、ラエルが気絶してしまったのは、その直ぐ後だった。