「行方不明?」1
長引いた学舎での用事を終わらせて、俺はリーグルの家へと向かう道を急いでいた。
自分に学が無いことを、これほどまでに悔いた日は無い。しかも今日は講義の補修を一人きりで受けるはめになって、俺は師に出題された問題を己一人で解読する以外に学舎を脱出する術は無かったのだ。
丁度、街外門の前に鎮座する詰め所前に差し掛かってから、意外な男たちの喧騒を目にし、俺は歩みを止めた。
「あれ?」
視線の先、自警団の男たちと、父の姿が見えていた。
父は仕事の関係上、他の街の人間に比べればあの跳ね橋を渡ることが多く、出入りを繰り返しているからには街の防衛を一手に引き受けている自警団側の人間とも話をする方だった。
だから、別に、そうしていること自体は良く見る光景だというのに、揃いも揃ってでかい図体を並べて深刻そうに話しているさまは、何やら異様に思えた。
「――何故だ!? まだ、見つからんのか!」
耳をすまさずとも聞こえてくるのは罵声ばかりで、そんな我が父らしくない姿を見過ごせるはずもなく、俺は声を掛けることにした。
「父さん? 何してんだよ、こんなところで……」
振り向いた男たちの顔は、強面の大人ばかりで、揃いも揃って強烈な形相をしていた。
「ロアーツ!?」
中でも父の顔は凄まじく、思わず、俺は体を丸めて縮み上がりかけた。
「いつまでほっつき歩いていたこの馬鹿息子! 肝心なときにおまえが役に立たんとは! ――ラエルは、何処だ!? 見つけたのか?!」
「――え?」
言われた言葉の意味が、俺にはわからなかった。
「ラエルは……家にいるだろ? こんな時間まであいつが歩いてるわけが……」
既に夕暮れを迎えている時間帯だった。
今日は一緒に帰れなかったとはいえ、品行方正という言葉はまさに彼女のためにあるかのような言葉で、日頃優等生として過ごしているラエルが、今の時間まで外にいるなんて俺には思いつきもしなかったのである。
「この馬鹿者!! 家にいない、街で見かけない、誰も見ていない! だから、このような事態だと言うのに!!」
一瞬、何かを聞き違えたかと思った。
「……えっ? ちょっと待てよ、父さん。見かけないって……? 俺が学舎に残る羽目になったから、コーラルがラエルを送っていったはずだ。だから――」
「それが、最後だ! 昼過ぎの目撃情報だぞ? それ以後、行方が知れないなどと、冗談ではないっ!!」
話についていけない俺を無視して、父は男たちに向き直り、懇願した。
「手分けして、一刻も早く、ラエルを保護して下さい! お願いします!!」
父の声が、暮れてしまった暗い街中に響き渡った。
街は大まかに分けて、南北東西の四方部と、特に住宅街の多い西部と南部の間の区画だけを南西区、市が開かれる中央広場地区、商人や、自警団の施設、そしてリーグル邸のある街入口に近い東南区の、全部で七つの区域がある。
区域ごとに分担され散っていた自警団の男たちの連絡網の結果、わかったことは、橋の門番の証言による、『未だ街は出ていない』という事実だけだった。
「くそっ――!」
苛立ちのまま、俺は拳を握り締める。
父に話を聞いて、ひとまず邸に帰った俺は、邸中を虱潰しに探した。
薬草園がある中庭も、居間も、食卓も、彼女の部屋にだって入って、あの屋根裏部屋まで調べたのに、ラエルは何処にもいなかったのだ。
「――ロアーツ。おまえ、心当たりは無いのか?」
「心当たりって……?」
それは、父に叱り飛ばされた後、すぐさまに聞かれた言葉だった。
藁にも縋るような思いでいるのだろうか、父はこれまでに見たこと無いほど、切羽詰ったような焦りの表情をしていた。
「家出にしろなんにしろ……、今は何でもいいから情報が欲しいのだ! ここ最近、彼女に変わったところは無かったか? ――ロア、おまえはラエルから、何も聞いてはいないのか?」
父の言葉に、俺は冷水を浴びせられたような気がした。
何も、言葉が浮かんでこなかったのだ。
(――俺は、彼女のことを、何も知らない。何も聞けずにいるまま、ただ満足していただけで……)
悔しさのあまり、俺は、強く唇を噛み締めた。
「父さん、ごめん。俺が思いつく限りは、何も……」
「――そうか」
父は、それ以上は何も聞かず、俺の頭にぽんと手を置いた。
「……その、先ほどは取り乱してすまなかった。今までに、こういったことが無いわけじゃないのにな。大丈夫、父さんが必ずあの子を見つけてあげるから……」
傷心の思いで思考が鈍っていたとはいえ、俺は父の言葉の意味深さを聞き逃しはしなかった。
「父さん、今の……どういう意味だよ!? ――それじゃ、まるで!」
俺の反応を予測していたのか、父はそう慌てるわけでもなく「母さんには黙っておけ」とだけ言って俺に背を向けた。
「その話は後で幾らでも聞かせてやる。……わたしとて、確信があるわけではない。だが、だからこそ、彼女は旅人だったのではないかと、わたしはそう思っているだけだ」
父は「母さんを頼むぞ」とだけ言って、邸から出てしまった。
俺は呆然とするまま、邸に取り残されたのだ。
父に、役立たずと言われても仕方なかった。