「紫の御仁」2
しぶしぶとした足取りでいるラエルを従えて俺が学舎にたどり着けば、俺のいやな予感が的中してしまったらしく、これでもかと言うほど学舎の建物中に人が溢れていた。
邸から学舎へと出向く途中も、同じ方向へと向かう人しかいなかったのだ、予想できない方がおかしかった。
(あーあ、やっぱり、後三日は粘ればよかったかな)
既に2日休んでいた。俺の成績はともかく、ラエルの輝かしい成績をこんな理由で失くしてしまうのは、俺としても残念だった。
とはいえ、儀式の対象が学舎の何かであるのなら、授業は平常道理に行われるはずもない。現に、俺たちのいる学舎門付近にまで生徒達はたむろしていて、半ばお開き状態にも見えた。
まぁ、師の中には真面目に授業をやろうとする師もいるだろうから、皆が皆、師と審査人の様子をここから窺っているようだった。
「――あ、ロア。やっと来たんだ?」
俺の姿を捉えただろうケインは、その直ぐ後でラエルに気付いたようだった。
「ラエルちゃん? ……なんか元気ないようだけど、どうしたの?」
「こんにちは、ケイン。わたし、ちょっと、いやな胸騒ぎがして……」
「紫の御仁の話をしてから、ラエルってばずっとこんな感じなんだよ。――まぁ、俺は来ても良かったんだけど、ラエルを一人にしておけなくってさ」
ずっとそばにいたのだと匂わせれば、頭の良いケインはその意図に気付いたらしく、俺をじろりと睨んできた。
「なるほど、ね。ラエルちゃん、心配しなくても大丈夫だよ。昨日大体の審査は終わったらしい。今回は、『師』が対象だったみたいだから」
「学舎の『師』がか? なんでまた?」
俺が思わず口を挟むと、ケインは肩を竦めてみせた。
「さぁね? 頭の良さだけで言うのなら、僕の親戚筋の方がよっぽど頭良い奴多いと思うんだけど。――あ、これ、嫌味じゃなくて客観的事実だからね? この前の『料理人』だって妙とは思ったけど、辺境の地の学舎の師なんかよっぽどじゃないと望む人材なんていないと思うんだよね。……どうせ、王族の誰かの世話係でも探してるんじゃないか?」
「だろうな」
ケインの見解はあながち間違っていないだろうと思って頷いていると、コーラルがラエルを見つけて飛んできた。いつも思うが、勘のいいやつである。
「ラエルちゃん、この人混みに酔っちゃったのか? なんかまるで初めてあったときみたいだけど」
コーラルの開口一番の台詞に、俺は頭を殴られたような思いがした。
(……そうだ、そうだった! 何故、この俺が、それに気付いてやれないんだ!)
あの日、俺は、仲間たちと遊びに明け暮れた帰り道で、ラエルに出会った。ケインも、コーラルもその場にいた。ただ俺だけが飛び出していって、ラエルの前に立ったのだけれど、出会い自体は三人共に一緒だった。
俺があのとき無我夢中でいたがために忘れていたことを、コーラルとケインは覚えていてもおかしくはなかった。
でも、俺が彼女に気を配れなかったことを他のヤツラに思い知らされるのは、なんだか癪だった。
(――って、そんなこと気にしている場合じゃない!)
「ロア、おまえ、ちょっとラエルちゃんつれてこっちにいろよ!」
「なぁなぁ、あいつら、こっちに来そうだぜ?」
「――けど、今更隠れるところなんて……」
もたもたしていると、本当に、人混みを従えるかのように審査人は、俺たちの直ぐそばに来た。
三年前、俺は九歳だった。相手の顔なんて完璧に覚えているつもりは無かったが、ちらと見てみたところ、前に現れた審査人もあんな顔をしていたような気がする。
人混みがあることをいいことに合間合間からそっと覗いていると、紫の御仁その人の眼がぎょろりと動いて俺を見たような気がした。
(げっ――)
逸らすに逸らせずに俺がたじろいでいると、やがて、その人は俺の目の前にやって来た。
紫の御仁は、外套のフードを頭に被ったままの状態で御徴である紫の布を面布のように扱って、目先だけを晒しているようだった。
目とそのまわりの少しだけしか見えないだけに、ぎょろりとした薄い茶色の眼が、俺を見据えるように見下ろしている。
いつの間にか俺の後ろ背にしがみついているだろう少女の手が、俺の背をぎゅっと掴んでいた。
「おまえ……」
審査人は、俺を見下ろして何を思ったのか、厳かに言い放った。
「剣をやれ。良い目をしている。きっと、おまえの役に立つ」
「剣を?」
後ろにいるラエルの手の力が、更に増したような気がした。
「……俺に出来るでしょうか」
思わず俺がそれを尋ねれば、審査人が、目だけで笑ったような気がした。
「おまえには、出来ぬのか?」
試す目に、俺は何も言えず、ただ見つめ返した。
紫の御仁が人ごみを引き連れて去っていくと、ようやく緊張を解くことが出来た。
「おい、ロアーツ。何でおまえ、審査人に将来アドバイスされてんの?」
「ある意味次の勧誘だったりして」
ケインがそれらしいことを言うので、当の俺は気が気じゃなかった。
「やっぱ、そうなのかな。正直、俺、将来のことなんて何も考えてなかったけど、確実的にリーグルは継げないもんな。――どうせなら、武芸で身を立てて、自警団とか入りたいな」
俺の言葉に、二人が「おっ!」と反応を見せる。
「――いいかもな、それ!」
「ロアに似合うって言うか、体技武芸はお手の物だよな?」
「……まあ、ケインよりは成績いいけど?」
「はいはい。俺はおまえに学術で勝ってるからいいの!」
茶化す俺の声を冷静に流してくれるケインだったけれど、案外、俺とは違う部分に劣等感を抱いてるのかもしれないと思って、俺は笑った。
笑う俺たち三人に対し、俺の背から手を離したラエルは押し黙っていた。
「ラエルちゃん? 心配しなくても、審査は終了したと思うよ? あの人、多分、キリル師を呼びに来たっぽかったから」
「キリルって、あのキリル=ヴァレン? ヴァレンタイン邸宅の次期当主様じゃん! 王命に従って召し上げられたらそのまま騎士とかになっちゃうんじゃ?」
「だから、それを予期したヴァレンの当主がキリルさんに雲隠れを命じてたって、言う噂だよ」
「あー……なるほどね」
「そう。――ね? だから、大丈夫だよ? ラエルちゃん? 明日から楽しい授業だよ?」
勉強馬鹿のケインの言葉に、思わず「楽しくは無い」と突っ込みたかったが、大人しいラエルの様子が気になったので俺は口を挟まなかった。
「実質目にするまで、まさかとは思いましたが……あの紫のお人に選ばれただけで、王都に行かねばならないんですね?」
「まあ、そうだね。一応は名誉あることとして歓迎されるのかな。当人にしろ、その身内にしろ、迎え入れる王都側も」
ケインがその疑問に優しく答えれば、ラエルは更に表情を曇らせた。
「じゃあ、わたし、大人になんて――なりたくないです」
ケインとコーラルはラエルの言葉に笑ったけれど、俺には笑えなかった。
紫の御仁が俺に指し示してくれた一つの未来。
もしもそれを願えば、俺は、かけがえのないこの時間を失うことになるのだと、頭の何処かでわかっていた。