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武士(もののふ)クライシス  作者: マイン


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2/12

英雄たちの帰還

奥平沢の悲劇から一週間。事件は全国ニュースのトップを飾り続け、日本社会に深い爪痕を残したが、最も劇的に変わったのは、事件のあった山間部の空気だった。


行政と警察は、失われた信頼を取り戻すための会見を連日開いたが、その言葉は空疎で、住民の心には届かない。


「駆除は適切に行います。しかし、鳥獣保護法に基づき、むやみな捕獲はできません…」


法と建前ばかりを繰り返す県の担当者に、会場の地元住民は怒鳴りつけた。


「法!?法が何の役に立った!?俺らの命が法より軽いってのか!?あの日、助けてくれたのは、猟友会の爺さんたちだけだろう!」


その通りだった。警察や自衛隊が到着するまでの間、恐怖に凍り付いた奥平沢に駆けつけたのは、地元で細々と暮らしていた数名のベテラン猟師たちだった。


彼らは法や手続きを無視し、夜の闇に潜む熊を追跡。ライフルを使い、危険を顧みず何頭かを仕留めた。彼らの勇敢で迅速な行動がなければ、犠牲者はさらに増えていたはずだ。


一人の老人が、彼ら猟師のことをこう評した。 「あの人たちは、まるで…英雄だった」


英雄――その言葉は山間の集落から、瞬く間に県全体、そして全国の山村へと広がっていった。


主人公の一人、元ベテラン猟師の加納かのう 幸蔵こうぞう(54歳)も、奥平沢に出動した一人だった。事件後、自宅に戻った彼の元には、連日、人が途絶えることがなかった。


地元の農協組合長、漁業組合の代表、そして自治会長たち。彼らは現金や高価な日本酒、そして何よりも「命」を救ってくれた者への敬意を持って幸蔵に頭を下げた。


「加納さん。どうか、この地域を…私たちの暮らしを守ってほしい」

「お願いだ。行政は頼りにならない。あんたたちにしか、もう頼めないんだ」


幸蔵は、ただ黙って彼らの願いを聞いた。彼の心は、亡くなった奥平沢の知人たちのことを思って沈んでいた。


彼は数年前に引退していた。理由は、熊や鹿が人間界に近づきすぎたことで、「動物と人間の境界線」が崩れ、狩りが単なる「駆除作業」になり下がったことに嫌気がさしたからだ。しかし、今は違う。これは駆除ではない。これは、防衛だ。


「わかった。命懸けの仕事だ。金銭や形式は問わない。ただ、この地域で、俺たちが動けるだけの環境を整えてくれ」


幸蔵が承諾した瞬間、彼の周りに集まった地方の有力者たちの顔が、喜びに歪むのを見た。それは純粋な安堵の表情ではなかった。彼らは「武力」という、この時代で最も価値ある資産を、手中に収めたのだ。


その頃、奥平沢の悲劇で九死に一生を得た若者、青山あおやま たける(26歳)は、幸蔵の家の前で待ち続けていた。彼は事件の直前、山で道に迷い、熊に遭遇したが、通りかかった幸蔵に間一髪で救われていた。


猛は都市からIターンで来たばかり。行政の仕事に就く予定だったが、熊害でその計画は崩壊した。そして彼は、現代の社会が持つ「力」の真実を、熊の爪と幸蔵のライフルを通して学んだ。


――法も金も、命を守れない。命を守れるのは、力だけだ。


猛は幸蔵を前に、土下座した。


「お願いします!俺を、弟子にしてくだい!」

「猟師になろうってのか?若者がやるような仕事じゃない」幸蔵は吐き捨てるように言った。

「仕事じゃない!俺は、あの時の熊の恐怖を忘れない。そして、誰も俺を助けてくれなかったことも。でもあんたは、銃一丁で俺の命を救った!俺は、行政の書類仕事なんかより、あんたの持つその力が欲しいんです!」


猛の目は、強い信念と、何かに取り憑かれたような渇望に満ちていた。幸蔵は、彼の目に過去の自分自身を見た気がした。


「熊を殺すのは、人を守るためだ。わかっているな?」

「はい!俺は、この里山と、ここで暮らす人たちを守りたい!」


幸蔵は深く息を吐き、猛を見据えた。

「…そうか。覚悟を決めたなら、俺の隣に来い。ただし、泣き言は許さんぞ」


こうして、現代の「武士の卵」が、その師となる人物と出会った。


この地域の顔役である県議会議員、真田さなだ 義人よしと(48歳)は、幸蔵たちの動きを密かに観察していた。彼は地元企業や農協からの献金、そして強い地盤を持つ地方の「豪族」の卵だ。


真田は、奥平沢の事件がもたらした公権力の空白を、政治的な好機と捉えていた。


「熊問題は、天からの贈り物だ。」彼は秘書に呟いた。

「この機に行政の無能さを訴え、住民の不安を取り除けば、私はこの県の真の支配者になれる。」


真田はすぐに、幸蔵に提示する条件を整えた。単なる報奨金ではない。それは、武力を私有化するための契約だった。


「加納さん、君は英雄だ。だが、英雄も生活し、英雄の家族も暮らさねばならない。」

真田は、幸蔵の目の前に分厚い契約書を差し出した。

「『地域安全組合』を結成する。君と、君が信頼する猟師たちを、専属の防衛チームとして雇い入れたい。」


契約書には、破格の月給、最新鋭の装備(通信機器、ドローンなど)の支給、そして行政区域内の特定の土地の管理権までが明記されていた。


幸蔵は契約書を読み進め、その条件の異常さに目を疑った。これは、もはや単なる雇用契約ではない。これは、地方行政から武力と権限を切り離すための、真田による大胆なクーデターの宣言だった。


「…真田さん。これは、我々を、あなたの私兵にするということですか?」

「言い方が悪いな。君たちは、住民と、この地域の平和の守護者だ。そして、その守護者を、この真田が責任を持って支える。行政の無能な手続きなど、もう必要ない。我々だけで、この地を護る。どうだ、悪い話ではあるまい?」


真田は、公権力への不信感という名の波に乗って、現代の**「豪族」**へと変貌を遂げようとしていた。そして、幸蔵に差し出されたこの契約書は、現代日本における「武力」の値段と、新たな身分階層の誕生を告げる、静かな宣戦布告だった。

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