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第八章/解明



港町の霧が晴れぬまま朝が訪れ、薄灰色の光が村の屋根を淡く照らす。柏木は荒牧の犠牲を胸に刻み、村の集会所にある古い書架の前に座り込んでいた。机の上には巻物、古文書、郷土史、警察の事故記録、気象データ、海難事故の報告書、そして民俗学の論文が散乱している。紙の匂い、インクのかすかな刺激、古い木の机のひんやりとした感触が、彼の集中力を研ぎ澄ます。


柏木は深呼吸をひとつし、作業に取りかかる。まずは村の古老が語った「七人ミサキ」の伝承を整理するため、民俗学の論文や郷土史に目を通す。伝承には、海難事故と村での不慮の死が周期的に絡むこと、波間に漂う黒い影や、死者の魂が彷徨う場所が記されていた。年表に沿って整理すると、過去の海難事故の記録と照合できる節が浮かび上がる。


「なるほど……怪異は単なる伝承ではなく、歴史的事実の痕跡として残っているのか……」柏木は低く呟く。古文書の文字は擦れ、墨の濃淡が微かに揺れるが、そこに記された日付や場所を丹念に拾い、ノートに逐次記録する。


次に、港町や周辺海域で発生した海難事故の公的記録を精査する。海難事故は漁船や小型船舶の沈没、漂流、溺死など、表面的には自然現象や操縦ミスとされている。しかし柏木はそれらの記録の中に、一定の周期性や共通する異変が存在することに気づく。


事故の発生時期を整理するため、柏木は表を作った。列には日付、被害者数、船舶名、天候、目撃証言、そして事故現場の地理的座標を記入する。すると、数十年にわたり、ほぼ同じ時期に同じ海域で事故が発生していることが浮かび上がった。さらに、事故の際には必ず黒い霧や異常な波音、奇怪な光の目撃談が存在する。これらは民俗伝承の七人ミサキの描写と符合する。


柏木は鉛筆を走らせながら、事故の発生パターンと伝承の内容をクロスリファレンスする。紙の上には複雑な線が引かれ、過去の海難事故と伝承上の犠牲者が点と線で結ばれていく。波音、霧、黒い影、漂う遺体……あらゆる情報を時間軸に沿って可視化すると、七人ミサキの影が歴史の中に規則的に存在していることが明瞭になった。


「これは……偶然ではない……」柏木の指先は、過去の記録の上をなぞる。明治、大正、昭和、平成……各時代の事故報告書、漁民の日誌、港町の行政記録まで、可能な限り照合する。未発見の犠牲者は、事故記録の中に潜み、表向きには「遭難」として処理されているだけだ。柏木は胸の奥で、村の近隣のどこかに最後の犠牲者の遺体があることを確信した。


作業は日を跨いでも続く。古文書の折れ目から微かに土埃の香りが漂い、夜が深まるほどに港町の波音が静かに反響する。柏木の眼は赤く充血し、指は紙の繊維と墨に染まる。何百枚もの資料を読み、事故と伝承の関連性を丹念に書き込む作業は肉体的にも精神的にも疲弊を伴う。しかし、荒牧の犠牲を無駄にしないため、柏木は一切の手を止めない。


やがて、柏木はある傾向に気づく。過去数十年の海難事故の発生地点は、港町から半径数十キロ以内の湾岸や小島に集中しており、そのいずれも潮流や気象だけでは説明できない異常があった。事故の翌日、霧の中に黒い影を見たという漁民の証言も散見される。これらは、七人ミサキの未発見の犠牲者が、港町周辺のどこかで浮かばれぬまま存在していることを示唆していた。


「……必ず突き止める」柏木は机に伏して、疲労困憊の身体を押さえつつも、眼前の資料を睨む。遺体の在処を見つけ出すことが、七人ミサキの完全な封印、港町と村の安寧、そして荒牧の犠牲を無駄にしない唯一の方法だ。資料の海を前に、柏木の決意はますます固まっていく。


港町の霧は朝を迎えても薄れず、波音は微かにうねる。資料の山の上に落ちる光が微かに揺れ、柏木の瞳は赤く充血しながらも、未発見の犠牲者の在処を突き止めるための最初の糸口を掴む決意で光を帯びていた。




港町の朝は、薄曇りの空に淡い灰色の光を投げかけるだけで、霧は海面を覆ったままだった。港の木造桟橋に立つ柏木は、冷たい潮風に髪をなぶられながら、膝元の資料を何度も見直す。手には護符、古文書のコピー、事故報告書、民俗学論文、漁民の日誌が重なり、まるで小さな山のように積まれている。紙の匂いと湿った潮風が混ざり、鼻腔をくすぐる。


柏木はまず港北岸の砂利浜から探索を始める。波音は静かに砕けるかと思えば、突如荒波が打ち寄せることもあり、足元の砂利や小石が微かに滑る。海面には霧がゆらめき、光の反射で揺らぐ黒い輪郭が目に映るたび、柏木の胸はわずかにざわつく。影は明確な形を持たず、しかし確かに存在感を放つ。


「……微かな波動……護符が反応している」柏木は低く呟き、膝をついて地面の波動を確認する。護符が微かに熱を帯び、手のひらに振動が伝わる。これは残穢の兆候であり、未発見の犠牲者の存在を示す微細な信号だ。柏木は視線を岩礁の隙間や漂着物に移す。古びた木片、漁網、錆びた錨……一見するとただの漂着物に見えるが、過去の海難事故報告と照合すると、その配置や形状に規則性がある。


湾岸を歩きながら、柏木は資料を片手にメモを取り、現場の潮流や波の向き、漂着物の位置を詳細に記録する。岩の割れ目に差し込む潮風が体に冷たく染み渡り、霧が髪や肩にまとわりつく。視界の端に黒い影が揺れるたび、心臓が跳ねる。波間に漂う霧の揺らぎ、岩礁に反射する微光、潮で濡れた海藻の色……あらゆるものが、未発見の犠牲者の存在を知らせるかのように柏木の感覚に訴えかける。


小島の一つに辿り着くと、岸壁の岩の間に微かに濃い影が潜んでいた。潮の流れで揺れる海藻か、それとも……柏木は息を整え、慎重に足を進める。護符が微かに光り、冷たい振動が指先に伝わる。残穢の波動が微細に震え、影の輪郭がわずかに人型を思わせる。柏木は膝をつき、資料を広げ、過去の海難事故記録、漂着物の位置、民俗伝承にある黒い影の描写を頭の中で照合する。


時間は静かに過ぎ、波音が規則的に反響する中、柏木は疲労を感じつつも、手を止めない。目の奥は赤く充血し、指先は資料の紙と潮で湿った岩の冷たさを感じる。微かな霧の揺らぎ、黒い影の微動、護符の震え……あらゆる要素が一点に集中する。柏木は確信した。「ここに……未発見の犠牲者がいる」


彼は深呼吸し、膝をついたまま祈るように手を合わせる。「地蔵菩薩よ……どうか、この魂を導き、成仏の道を示してください……」護符の光がわずかに強まり、波動が彼の体を包み込むように伝わる。黒い影が微かに揺れるが、確かに存在は確認できる。過去の事故、民俗伝承、そして港町の残穢……全てが、この場所に一体の魂が留まっていることを示していた。


柏木は資料を再確認し、地図と照合して影の位置を記録する。潮風に濡れた髪が顔に張り付き、砂利が靴底を冷たく刺激する。波音と霧の中で、彼の心は静かに燃える。未発見の犠牲者を見つけ出し、成仏させること――それこそが七人ミサキの完全封印と港町・村の安寧への唯一の道である。


港町の霧は依然として厚く、波音は荒く、岩礁の隙間に漂う影は微細に揺らぐ。柏木は立ち上がり、護符を握りしめ、次の小島へと歩を進める。膝をつき、資料と照合し、黒い影に集中する……その足取りは、緊張と決意に満ちていた。微細な残穢の兆候を追い、過去の海難事故と伝承を照合する柏木の目には、未発見犠牲者の姿が徐々に輪郭を持ち始める。


港町の冷たい潮風に吹かれながら、柏木は一歩一歩、影を追う。未発見の犠牲者を突き止め、成仏の儀式へ導く決意は、疲労と霧の不安を上回る熱い使命感となり、港町の波音の奥に響くように彼の心に刻まれていった。


港町の霧は朝から濃く、灰色の光が海面を淡く照らすだけだった。柏木は岸辺に立ち、護符を握りしめ、波音と潮風の微細な変化を感じ取ろうと集中していた。その時、波間に微かに揺れる黒い影を見つけた瞬間、背後から柔らかな声が響いた。


「柏木殿……」

振り返ると、青雀が長い僧衣を翻しながら立っていた。尼僧の眼差しは鋭く、しかし慈愛に満ち、周囲の残穢を読む力が確かに備わっている。柏木は僅かに頷き、二人は無言で視線を海に戻す。


「ここは……穢れが濃い。結界が必要になるほどだわ」青雀は護符を掲げ、手のひらに微かな光を集めながら波動を読む。その光は微細に揺れ、港町の霧や波音と共鳴している。彼女の指先が微かに震え、残穢の濃度が波動として手元に伝わる。


二人は海岸線に沿って歩き始める。柏木は資料で確認した過去の海難事故の位置、漂着物の分布、民俗伝承での影の出現地点を思い出しながら、青雀は護符と波動の感覚から、より濃い残穢の場所を指摘する。


「この湾の突端、岩礁が入り組んだ辺り……黒い影が濃く漂っている」青雀は指を差す。柏木は眼差しを凝らし、護符の微細な振動を確かめながら、潮流の流れや波の形状を注意深く観察する。水面には微かな渦が複雑に交錯し、普通の潮流ではありえない僅かな凹凸がある。


「……この潮流、異常だ……」柏木は低く呟く。資料で確認した過去の事故報告と照合すると、この地点には、過去にも船が漂着または沈没した記録が集中していた。波音の微細な乱れ、霧の奥で揺れる影……全てが未発見の犠牲者の存在を示す兆候だった。


柏木は護符を手に取り、岩礁を慎重に越える。青雀は隣で微かに祈るように手を合わせ、波動を読む。護符の光が微かに強まり、残穢の濃さを指し示す。柏木は微細な潮流の揺らぎを目で追い、視覚的にも波の異常を確認する。岩礁の間には波の隙間に小さな凹みがあり、まるで水流が溜まるエアポケットのようになっていた。


「……ここだ、青雀殿……」柏木は息を呑む。潮流の凹み、波の交錯、黒い影の微動……全てが示しているのは、過去の犠牲者が漂着または沈没した痕跡が、水中に隠されている地点であることだ。青雀は護符を高く掲げ、波動の感覚を全身で読み取りながら頷く。


「柏木殿、この地点は穢れが濃い……結界を張るには、慎重に進めなければなりません」青雀の声は低く、しかし確信に満ちている。柏木は膝をつき、波間の微細な潮流と岩礁の配置を確認し、資料と現地情報を照合する。水面に反射する霧の揺らぎ、黒い影の微細な動き、護符の光の微弱な変化――あらゆる要素が、この地点が未発見犠牲者の存在を示す重要なポイントであることを裏付けていた。


二人は暫し立ち止まり、静かに観察する。港町の波音は荒いままだが、二人の呼吸は慎重に整えられ、周囲の微細な変化を見逃さない。柏木は心の中で決意を固める。ここで未発見犠牲者を突き止めなければ、七人ミサキの完全封印は成し得ない。青雀もまた、護符を握りながら波動を読み、穢れの濃さを感覚で捉え続ける。


霧が静かに揺れる中、港町の波間に潜む黒い影と微細な潮流の交錯は、未発見犠牲者の存在をほのめかす。柏木は護符の光を頼りに、青雀と共に慎重にその地点に近づく。エアポケットのような地形が、これまでの調査で見落としてきた魂の潜む場所であることを直感し、二人は探査の準備を整える。


港町の冷たい潮風に吹かれながら、柏木と青雀は互いに頷き、次の一歩を踏み出す。微細な残穢の波動が護符を振動させ、黒い影が波間で微かに揺れる。未発見の犠牲者を突き止め、成仏させるための決定的な探索が、今まさに始まろうとしていた。




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