第四章/村に忍び寄る七つの影
灰色の冬の空が低く垂れ込める中、村全体に不穏な空気が漂っていた。港での怪異の報せは瞬く間に村中に広まり、漁師たちの間では囁き声が絶えなかった。「七人ミサキが……」「波止場に黒い影が……」誰もが息を潜め、日常の音すら異様に大きく感じるほど、村全体が恐怖に包まれていた。
村の家々の戸口には、漁師や農夫が塩や護符を置き、わずかな安心を求めていた。小さな子供たちは母親の胸にしがみつき、祖父母の話す昔話の中でさえも、恐怖の影を探して耳をそばだてる。港での転落事故や、岸壁での不可解な足跡の目撃は、村人たちの間に連鎖的な恐怖を生み、港に近づく者は減る一方だった。
その混乱の中、古老・庄吉は村の広場に人々を集めた。彼は長年、村に伝わる伝承や儀式を守り続けてきた人物で、七人ミサキの存在についても詳しかった。深い皺の刻まれた顔は冬の光に影を落とし、長い白髪を風に揺らしながら、低く重い声で語り始める。
「七人ミサキ……これは、海難に遭い、現世に未練を残した者たちの霊じゃ。岸や港に漂い、我らを惑わす……近づく者には、恐怖と災いをもたらすものじゃ」
庄吉は続けて、古い経典や木札、護符を取り出し、村人たちに見せる。その中には、地蔵菩薩の名を記した祝詞や、海難者を鎮めるための儀式の手順が書かれていた。彼は村人に向かって言った。
「我らは科学の力のみではこの影を退けられん。古の知恵と地蔵菩薩の御力を頼るしかない。波間に漂う七つの影、彼らを冥界へ還すには、祝詞を唱え、儀式を行う必要があるのじゃ」
村人たちは恐怖と困惑の入り混じった表情で庄吉を見つめる。港での怪異は現実であり、科学的に説明する者もいたが、目の前の事象は理屈を超えていた。岸壁に残る濡れた足跡、夜の波間に漂う黒い輪郭、そして港の小舟や倉庫の異常な揺れ――すべてが、七人ミサキの存在を否応なく証明していた。
村の子供の一人が母親の袖を握り、震える声で尋ねる。「おばあちゃん……あの影は……もう来るの?」
母親は必死に微笑みを作り、祖母に助けを求めるが、祖母もまた目に見えない恐怖に打ちのめされていた。庄吉は子供たちに向かって静かに言う。
「影は消えたように見えても、まだ港に潜み、次の災いを待つ。だからこそ、我らは地蔵菩薩の御名により、祝詞を唱え、冥界に還す準備をせねばならぬ」
その夜、村の広場に仮設の祭壇が設けられ、庄吉は古びた経巻を取り出す。波の音が遠くから聞こえ、風は冷たく、木々の枝がかすかに擦れる音が重なる。庄吉は低く唱え始めた。
「南無地蔵菩薩、慈悲の御光により、生者を守り、死者を安らかに導き給え……七つの影よ、岸に留まることなかれ……冥界の深き底へ還れ……」
祝詞の声は静かな冬の夜に響き渡り、港や岸壁、村の小路にまで届く。村人たちは息を詰め、波間に漂う黒い影を見張る。祝詞の力が、七人ミサキに届くのか、誰も保証できない。しかし、庄吉の声には、古来より村を守ってきた知恵と威厳が込められていた。
港では、微かに波が静まり、濡れた足跡が薄れていく気配があった。村人たちはそれを見て一瞬安堵するが、庄吉は静かに警告する。
「忘れるな、影は完全には消えておらぬ。海の底で眠りにつく者も、次の波が満ちるとき、新たな影として現れるかもしれぬ」
柏木は岸壁で記録を続けながら、村人たちの恐怖心と祝詞の影響を分析する。科学者としてはまだ説明できない現象が、祝詞や儀式によって微妙に港の空間に変化をもたらしていることを感じ取る。影の力は、心理的恐怖と現実の物理現象を同時に操り、村全体に連鎖被害を広げていた。
夜が深まるにつれ、村人たちは各戸に戻り、戸口に塩や護符を置き、火を灯して眠りにつく。港からの風が吹き、波間に揺れる微かな黒い輪郭は、祝詞の唱和によって消えかけている。しかし、村の誰もが心の奥底で知っていた――七人ミサキの影は完全には去っておらず、地蔵菩薩の祝詞は次の怪異の予兆を封じるための伏線であることを。
港の空気は静まり、波音だけが夜に残る。村全体の連鎖被害は一時的に収まったかに見えるが、岸壁の濡れた跡や港の波間の微細な揺れは、七人ミサキが再び現れる可能性を静かに告げていた。柏木はメモを閉じ、古老と共に次の対策を練る決意を固める――科学と民俗学、そして地蔵菩薩の御力を総動員して、港と村を守るために。
冬の夜は冷え込み、港の波は凍りつくかのように静まり返っていた。村人たちは昨夜の庄吉の祝詞で、一時的な安堵を得たかのように見えた。しかし、港の波間に漂う微かな黒い輪郭は、依然として消え去ることなく存在感を示していた。
夜半、遠藤雅也の小舟の前に、不意に水面の揺れが生まれる。微かに光を反射する黒い影が、水中から静かに浮かび上がり、波に沿って岸壁へと近づいてくる。遠藤は身を固くし、波のざわめきと、影の微細な動きに呼吸を詰める。影は七つ、まるで並んで岸壁を監視するかのように揺れた。
「……また、来たのか……」遠藤の声は震え、言葉にならなかった。彼の視線の先で、影の一つが水面を撫でるように手を伸ばす。まるで生者の命を確かめるかのように。波打ち際の砂利が湿り、微かに足跡のような形が残る。影が触れた瞬間、冷たい波が岸辺に打ち寄せ、遠藤の足元を覆う。
港では同時に、若い漁師の佐々木亮太が岸壁で作業中に異変を察知する。目の前で小舟が不自然に揺れ、縄が絡まる音が響いた。彼は船に駆け寄るが、波間に浮かぶ黒い影のうち一つが、微かに手のような形を水面に映し、彼の動きを封じる。佐々木はバランスを崩し、岸壁の段差から転落、冷たい海水に全身を浸すこととなった。
岸に引き上げられた佐々木は、全身が青白く、唇は紫色に染まり、震えが止まらない。彼の目は波間を見つめ、言葉にならない恐怖を伝える。柏木は岸壁で観察を続け、波間に漂う黒い輪郭のパターンをメモする。影は港全体を巡回するかのように、不規則だが確実に接触可能範囲を把握していた。
港の倉庫付近では、また別の影が出現する。倉庫に灯りを取りに来た老漁師の高橋清は、黒い影が扉に沿って滑るのを目撃する。扉が微かに揺れ、濡れた跡が床に残る。高橋は息を呑み、護符に手を触れながら祈る。影はその間に一瞬、光を避けるかのように身を潜め、再び波間に戻る。
港の灯火が揺れる中、柏木は港全体の観察を続ける。七つの影は波間、岸壁、小舟、倉庫の四方に不規則に現れ、港の空間を覆う。彼の科学的記録では、影の動きは人間の予測を超え、光や波、風の条件に微細に反応している。心理的恐怖と物理的現象が同時に起きることで、村人は無力感に包まれる。
夜の港での新たな犠牲は続いた。若い漁師の宮本翔太は、岸壁で濡れた縄を整理している最中、黒い影の一つに足元をすくわれる。転倒し海に落ちた瞬間、影が水面を覆い、波が彼を岸から遠ざける。柏木は救助に向かうが、翔太は恐怖のあまり声を上げることすらできず、全身が青白く震え続ける。
港の波間、黒い輪郭はまるで意志を持つかのように動き、村人の行動を封じる。岸壁や倉庫、船に触れるたび、濡れた跡や微細な波の揺れが残され、目に見えぬ痕跡として存在を示す。村全体の心理は緊張と恐怖に包まれ、港から離れられない漁師や監視者たちは次の被害を予感する。
庄吉は港の中心に立ち、仮設の祭壇の経巻を取り出す。低く重い声で唱える祝詞は、港全体に響き渡る。
「南無地蔵菩薩、慈悲の御光により、生者を守り、死者を安らかに導き給え……七つの影よ、岸に留まることなかれ……冥界の深き底へ還れ……」
祝詞の声は、七人ミサキの影に微かな動揺をもたらす。波間の黒い輪郭は、わずかに縮み、岸壁の濡れた跡が薄れていくように見える。しかし庄吉は静かに警告する。「影は完全に消えたわけではない。次の波が満ちるとき、新たな影として現れるかもしれぬ」
港の夜は、再び静寂を取り戻したかのように見える。しかし岸壁や倉庫の暗がり、波間の揺らぎには、七人ミサキの再出現の痕跡が残されていた。村人たちは恐怖を胸に、灯火と護符、塩の力を信じながら、次の怪異に備える。港の空気は一見落ち着いたが、黒い影は再び現れる可能性を秘め、村全体に新たな緊張を残していた。
柏木は観察記録を閉じ、庄吉と共に次の対策を練る決意を固める。科学と民俗学、そして地蔵菩薩の祝詞――三つの力を結集して、港と村を守る戦いは、まだ終わってはいなかった。
港での一連の異変から数日が経過した。しかし、港の冷たい海風は依然として村人の心を凍らせる。灯火を絶やさぬ家々、塩を盛った戸口、祭壇に置かれた護符――あらゆる手段が尽くされていたにもかかわらず、七人ミサキの影は再び姿を現した。
夜半、港から少し離れた浜辺で、老漁師の石川忠雄が小舟を繋ごうとした瞬間、波間に黒い影が立ち上がった。影は七つ、互いに離れながらも、まるで意思を持ったかのように石川の動きを観察している。彼の目の前で、波が異様なうねりを作り、縄や小舟を絡ませる。石川は必死に小舟を押さえようとするが、影の力に押し戻されるように体が固まる。息を整え、冷たい海水に触れた手は震え、唇は紫色に染まる。
港内では、若い漁師たちが舟の手入れを行っていたが、彼らもまた異変に気づく。黒い影の一つが波間を滑るように近づき、小舟の底に触れる。波が小舟を揺らし、彼らのバランスを崩す。岸壁に残る濡れた足跡は、昨日のものと同じ形で、影の足取りを示していた。村人は互いに目を合わせ、無言の恐怖に震える。
庄吉は港の中心に立ち、低く響く声で祝詞を唱える。
「南無地蔵菩薩、慈悲の御光により、生者を守り、死者を安らかに導き給え……七つの影よ、岸に留まることなかれ……冥界の深き底へ還れ……」
祝詞の響きは、港の波間に漂う黒い輪郭にかすかな動揺をもたらす。影はわずかに縮み、岸壁の濡れた跡が薄れるように見える。しかし完全に消えたわけではなく、港の隅々に潜み、次の瞬間に再び出現する可能性を示唆する。
その夜、港外の砂浜では新たな犠牲者が現れる。若い漁師の小林翔太は、浜に停めた小舟の手入れ中、波に足を取られ転倒する。黒い影の一つが水面に手を伸ばし、翔太の身体に触れると、冷たい力が全身を貫き、声も出せぬまま岸辺に引き寄せられる。柏木は遠方から観察し、影の動きが岸辺の波や砂利、微細な水流に反応していることを記録する。
港に戻った村人たちは、灯火を増やし、塩を撒き、護符を確かめる。しかし七人ミサキの影は、それらの防御を軽くかわすかのように波間に漂い、岸壁や倉庫に接触する。港全体が影の存在に支配される緊迫した空気に包まれ、誰もが息を詰めて次の動きを待つ。
庄吉は村人たちに呼びかける。
「影は物理的な存在ではない。恐怖と海の力が形を成しておる。地蔵菩薩の祝詞は、彼らを完全に消すものではない。冥界に還すための力を一時的に封じるものじゃ。だからこそ、村全体で協力し、影を観察し、次の行動に備えるのじゃ」
村人たちは互いに目を合わせ、理解と恐怖が入り混じる。港の夜空には星が瞬くが、波間の黒い輪郭がその光を遮るかのように揺れ続ける。岸壁や倉庫、浜辺の砂利に残る濡れた跡は、七人ミサキの再出現の痕跡として、村全体に不気味な緊張をもたらした。
柏木は港の角度を変えて観察を続ける。影は港内の灯火や波の動き、船の位置を正確に把握しているかのように動き、心理的恐怖と物理的影響を同時に村人に与えていた。影の存在は、科学的解析だけでは説明できず、民俗学的直感と庄吉の祝詞が唯一の対抗手段であることを証明していた。
夜が深まる中、港の波間、黒い輪郭は微かに漂いながら、村人の視線を追い続ける。影は完全には消えておらず、次の犠牲者を待つかのように存在感を放つ。村全体の連鎖被害は、港と浜辺を中心に拡大しつつあり、庄吉の祝詞の力も、影の動きを一時的に制御するに過ぎないことが示される。
港の夜は静まり、灯火が揺れる。村人たちは恐怖を胸に、塩や護符、地蔵菩薩の祝詞の力を信じながら次の怪異に備える。港全体に漂う七つの影は、冥界への帰還を待ちながらも、現世に潜む力として村に警鐘を鳴らしていた。
柏木は観察記録を閉じ、庄吉と共に港全体の監視体制を確認する。科学と民俗学、そして地蔵菩薩の祝詞――三つの力を総動員しなければ、村と港を守ることはできない。七人ミサキの影は、港と村を支配し続ける恐怖として、夜ごとにその存在感を増していた。
夜が更け、港の波音が村全体に響き渡る中、村人たちは広場に集められた。老漁師や家族連れ、若者たちまで、灯火を手に持ち、白い塩を散らし、護符を握りしめる。空には冬の星々が瞬き、月光が港の波面に反射して揺れる。その光景は一見、静かで平穏に見えるが、村人の心は緊張に張り詰めていた。
庄吉は祭壇の前に立ち、経巻を広げる。古びた木札には地蔵菩薩の名と、海で命を落とした者を冥界へ導くための祝詞が書かれている。庄吉の顔は皺深く、冬の冷気に赤く染まり、瞳には決意の光が宿っていた。
「今宵、この港に漂う七つの影を冥界へ還す。南無地蔵菩薩、慈悲の御光により、生者を守り、死者を安らかに導き給え……」
庄吉は低く、重く、しかし一定のリズムで祝詞を唱える。村人たちはそれに合わせて手を合わせ、声にならぬ声で念じる。波間に漂う黒い影は、港の水面に微かに揺れる輪郭を残しつつ、徐々に動きを止めた。風が吹き、塩の匂いが鼻を刺す。灯火が揺れ、影が微細に反応する。
港内の小舟や岸壁では、影の一つが水面に触れると、波が静かに鎮まるように見える。倉庫の戸口に沿って漂う影も、祝詞の響きに呼応するかのように縮み、濡れた足跡が薄く消えていく。村人たちは息を呑み、手のひらに握りしめた護符の温もりを感じながら、祝詞の力が影に届いていることを実感する。
庄吉は声を強め、祝詞のリズムを加速させる。
「七つの影よ、岸に留まることなかれ。冥界の深き底へ還れ。生者に触れ、悩ますことなかれ……」
波音が祝詞のリズムと微妙に共鳴し、港全体に不思議な振動が走る。影は水面を滑るように、岸から離れ、港外の深い波間へと消え入る。港の水面は平静を取り戻し、濡れた足跡も砂利に残るかすかな跡を除けば消えていた。
村人たちは息をつき、微かな安堵を覚える。しかし庄吉は、目を細めて港の深みに目を凝らす。影は完全には消えていない。波の奥底、潮の満ち引きに紛れて潜み、再び現れる可能性を秘めていることを彼は知っていた。
祭壇の周囲では、村人たちが塩を撒き、護符を口にあて、息を合わせて祈る。冬の冷たい風に混ざり、祝詞の声は波間に漂い、港の闇を切り裂くように響いた。その声に応えるかのように、七つの影は微細に揺れながら徐々に港外へと遠ざかる。
港の灯火が揺れ、月光が水面を照らす。影が遠ざかるにつれ、村全体に一時的な静寂が訪れる。港を見渡す村人たちの顔には、恐怖と安堵が交錯していた。祝詞の力は影を一時的に封じ、港を守る壁となったが、庄吉の目には未来への警告の光が宿る。
「影は今、退いた……だが、完全に消えたわけではない。次の波が満ちるとき、また現れるであろう」
柏木は岸壁で観察記録を閉じ、祭壇に立つ庄吉を見つめる。科学的には説明できぬ現象だが、祝詞による影の制御は確かに効果を示している。村人たちは静かに港から引き上げ、灯火を絶やさぬよう各戸へ戻る。港と村に漂う緊張は緩んだが、影の存在は依然として暗示されていた。
夜が深まるにつれ、港の波間に残る黒い輪郭は微細に揺れ、港外の深海へと溶け込んでいく。七人ミサキは一時的に退いたものの、次の波の満ち引きと共に再び現れることを示唆していた。村全体は静寂を取り戻したかに見えるが、港の空気は依然として不気味に張り詰め、地蔵菩薩の祝詞は次の怪異の伏線として、村人たちの心に深く刻まれた。
柏木はメモ帳を閉じ、庄吉と共に港全体の監視体制を確認する。科学と民俗学、そして地蔵菩薩の祝詞――三つの力を結集して初めて、港と村を守ることができる。七人ミサキの影は一時退去したが、村に残る不安と警戒の空気は、緊迫した伏線として夜の港に静かに漂っていた。
祝詞の儀式から一夜明け、港は表面的には静まり返っていた。灯火の揺れる家々、塩の盛られた戸口、護符を握りしめた村人たち――村は一見、安堵の空気に包まれている。しかし、港の水面にはわずかに波紋が残り、岸壁の砂利には乾ききらぬ濡れ跡が微かに点在していた。
柏木は朝早く港に赴き、影の痕跡を観察する。昨日までの七つの影は一時退去したが、水面の揺らぎ、砂利の跡、倉庫の扉の微かな擦れ音――それらは決して偶然ではない。波音の合間に、微かに黒い輪郭が水面に揺れ、影が潜む気配を告げている。
漁師たちも港に出て、船や道具の手入れを行うが、誰もが背筋を凍らせる。小舟の底に触れる水の感触、波に混ざる冷たい振動、倉庫の扉がかすかに揺れる音――すべてが祝詞の効力をかすかに破るような微細な兆候として現れる。
庄吉は港の広場で村人たちに告げる。「影は一時的に退いた。しかし完全には消えておらぬ。波間や倉庫、岸壁の奥底に潜み、次の波が満ちるとき、再び現れるであろう。警戒を怠るな」
港の隅、波止場の石の下には微細な水紋が生じ、昼の光に反射して淡い黒色の輪郭を作る。柏木は双眼鏡で観察すると、まるで小さな手が水面を掻くように揺れる微細な影を捉えた。視覚ではかすかで、風や波の自然な揺れに紛れているが、確かに生者を監視しているかのような動きだ。
岸壁沿いの倉庫では、扉の隙間に黒い濃淡が浮かぶ。昨日の影の残留痕か、あるいは次に現れる影の前触れか――村人の目には、僅かに揺れるそれが不気味に映る。倉庫に足を踏み入れる若者の足元に、微細な濡れた跡が点在し、まるで港の波が忍び寄ったように見えた。
村全体では、港の水面の揺らぎや倉庫の微かな異音を耳にした者が、無意識に手を合わせたり、護符を確かめたりする。祝詞の効果は影を港から遠ざける力となったが、完全な消滅ではなく、微細な兆候として港と村に残存していることが、村人の心理に不安を残す。
庄吉は港の中心に立ち、微細な影を注視する。「影は今、潜んでおる。姿は見えぬが、波間や闇に気配として存在する。生者を惑わす力は失われておらぬ」
柏木は記録用ノートに波間の揺らぎ、倉庫の影の動き、砂利の濡れ跡などを詳細に記録する。科学的には偶然や水流の影響で説明できそうな現象も、村人の証言や庄吉の観察と照合すると、影の存在を示す不可解な一致が浮かび上がる。
港の波面には、遠くで微かに黒い輪郭が揺れ、光を避けるかのように波に紛れる。岸壁には濡れた足跡が点在し、倉庫の扉は微かに揺れ続ける。村人の心には、祝詞で退いたはずの七人ミサキが、港の深みで潜み続ける恐怖が刻まれた。
夜が訪れると、村の灯火は依然として揺れ、波音が港全体に反響する。庄吉は再度、低く祝詞を唱え、村人たちは灯火を絶やさず護符を握る。微細な影の兆候は消えないものの、祝詞の力が港を包む壁となり、村全体の安全をかろうじて保っている。
柏木は岸壁に座り、港全体を見渡す。港外の波間に漂う黒い輪郭は微かに揺れ、倉庫や砂浜の濡れ跡にその存在を残す。祝詞は影を一時的に封じたが、港と村を完全に守る力ではないことが明確となった。港の空気には、次の怪異の伏線として、七人ミサキの影が微細な形で漂い続けている。
港は一見平穏を取り戻したかのように見えるが、波間や岸壁、倉庫の隅に潜む黒い輪郭は、村人に次の恐怖を予告する。庄吉の祝詞と村人の祈りは、影を抑え込み、一時的な安全をもたらしたに過ぎず、七人ミサキの影は、港と村に永続的な警鐘を残したまま、夜の深みへと溶け込んでいった。
祝詞の儀式から数時間が過ぎ、港は表面的には静けさを取り戻していた。灯火が揺れ、波音が夜の空気に溶け込む。だが、港を歩く村人の足元には、昨日の雨で濡れた砂利の上に微かに残る、黒い濃淡の跡がまだ点在していた。岸壁の石の間、倉庫の扉の隙間、波打ち際の小さな水紋――目には見えにくいが、確かに異常な痕跡が港全体に散らばっていた。
柏木は双眼鏡とメモ帳を持ち、港を一望できる小高い場所に立つ。観察する彼の目には、黒い輪郭が波間に潜む微細な動きが捉えられる。光を避けるかのように揺れる黒い影。水面に反射する月光の下で微かに波紋が広がる。科学的には水流の影響と解釈できる範囲だが、庄吉の言葉や村人の証言と照らし合わせると、偶然とは考えにくい規則性が存在した。
港近くの倉庫では、老漁師の高橋清が扉の隙間に目を凝らす。微かに揺れる影。扉の下にわずかに湿った跡。彼はそっと手を合わせ、護符を握り、祈る。「この港にもう、災いは来ませんように……」声にならない祈りが港の静寂に溶ける。しかしその目には、不安の色が残っていた。
港の灯火を見守る村人たちも、微細な異変に敏感になる。波音の合間に、水面に浮かぶ微妙な黒い揺らぎ。砂浜に残る濡れた足跡の連なり。倉庫の扉の擦れ音――すべてが、祝詞による一時退去の後でも影が潜伏していることを示す兆候だった。
庄吉は港の中心で低くつぶやく。「影は今、退いた。しかし潜んでおる。完全に消えたわけではない。次の満ち潮が訪れるとき、再び現れるであろう」
柏木は観察記録を詳細にまとめる。波間の揺らぎの周期、倉庫扉の微細な動き、砂利の濡れ跡の位置。科学的な解析を行えば、自然現象として説明できるものもある。しかし村人の証言や庄吉の観察と重ね合わせると、七人ミサキの潜伏と再出現の兆候である可能性が高いことを示していた。
村人たちは港の異常を見守りつつ、次の対策を話し合う。灯火の配置、塩の補充、護符の設置、そして庄吉の祝詞のタイミングを調整する必要がある。村全体で協力しなければ、七人ミサキの影の脅威に立ち向かうことはできない。
柏木は庄吉に問いかける。「庄吉さん、影が完全に消えることは……あるのでしょうか?」
庄吉は目を細め、港の波間を見つめながら答える。「完全に消えることは、難しいであろう。生者を惑わす力は潜伏し続け、港の深みや波間に潜んでおる。しかし、村人と共に灯火と塩、祝詞を用いれば、影の活動を抑えることはできる」
夜が深まるにつれ、港は再び静まり返る。灯火は揺れ、波音が港全体に反響する。柏木は岸壁に座り、波間に潜む黒い輪郭を観察し続ける。港の微細な兆候は、村人に次の行動の指針を示す信号でもあった。
村人たちは港から引き上げ、灯火と護符を家々に戻す。影は港の深みに潜むが、祝詞と村人の祈りにより、再び直接的な脅威を及ぼすことはなかった。港全体の空気は一時的に緊張から解放されるが、七人ミサキの影は潜伏したまま、次の満ち潮を待っている。
柏木は記録を閉じ、庄吉と共に次の対策を練る。科学と民俗学、そして地蔵菩薩の祝詞――三つの力を総動員して初めて、港と村を守ることができる。七人ミサキの影は一時退去したが、村人たちの心に刻まれた恐怖と警戒は消えない。港の微細な兆候は、次章で再び影が姿を現す伏線として、静かに漂っていた。
祝詞の儀式を経て、港には一時的な静寂が訪れた。夜明け前の冷気が村を包み、灯火の揺れが砂利道や倉庫の扉に微かな影を映す。港の波面は平穏に見えるが、波間に漂う黒い輪郭、濡れた砂利の跡、倉庫の隙間に浮かぶ濃淡――それらは、七人ミサキの影が完全には退いていないことを示す微細な兆候だった。
柏木は小高い岸壁に座り、双眼鏡で港全体を見渡す。波間に漂う黒い輪郭が微かに揺れ、月光に反射して淡く黒ずんだ影が点在する。科学的には水流や光の屈折と解釈できる現象も、庄吉の祝詞の観察や村人の証言と照らし合わせると、偶然とは考えにくい規則性がある。影は確かに、港と村を潜伏の場として選び、次の出現の機会を窺っている。
港近くの倉庫では、老漁師たちが扉や船の様子を見守る。微細な濡れ跡や扉の揺れに敏感に反応し、手を合わせて護符を握る。若者たちも互いに声を潜め、波間の微細な動きを確認する。港全体に漂う緊張は、表面的な平穏とは裏腹に深く根を張っていた。
庄吉は祭壇の前に立ち、港全体を見渡す。低く響く声で祝詞を唱え、村人たちはそれに合わせて手を合わせる。
「影は今、退いた。しかし完全に消えたわけではない。生者を惑わす力は潜み続け、港の深みや波間に宿る。次の満ち潮と共に、再び姿を現すであろう」
村人たちは、灯火や塩、護符、庄吉の祝詞を総動員することで、港と村の安全を確保できることを理解する。港の微細な兆候は、警戒を怠るなという明確な警告として村人たちの心に刻まれた。
柏木はメモ帳に観察記録をまとめる。波間の揺らぎ、倉庫扉の微細な動き、砂利の濡れ跡――科学的に説明可能な範囲であっても、影の潜伏を示す重要な手がかりとして残す。港全体の異常は、科学と民俗学、両方の視点で検証する必要がある。
村人たちは港から家々へ戻り、灯火を絶やさず、護符を確認する。港の表面は穏やかに見えるが、庄吉は村人たちに警告を発する。「影は退いたが、完全に消えたわけではない。港と村の安全は、一時的に保たれているに過ぎぬ。引き続き警戒せよ」
夜が深まるにつれ、港の波音は穏やかになり、灯火が揺れる。しかし岸壁や倉庫、砂浜の微細な濡れ跡に潜む黒い輪郭は、次の怪異の予兆として存在感を保つ。七人ミサキの影は一時退去したが、港と村に残る微細な兆候は、村人と柏木に次の行動の指針を与える。
港を見渡す柏木と庄吉は、科学的解析と民俗的知識を融合させ、港全体の監視体制と対策を再確認する。祝詞の力と村人の協力によって、港は今、わずかな平穏を取り戻した。しかし港の深みに潜む影の存在は、次章で再び村を試す恐怖の伏線として静かに漂っていた。
港の灯火が揺れ、波音が夜空に反響する。港の微細な兆候は、村人たちにとって目には見えぬ脅威であり続ける。祝詞による一時的な封じと港の監視体制は、次の波が満ちるまでの猶予に過ぎない。七人ミサキの影は、一時的に姿を隠したものの、港と村を支配する恐怖の象徴として、夜の港に静かに息づいていた。