二人(2)
2‐2.
あれから一ヶ月、商売は驚くほどに順調だった。
初めは右往左往していた配達作業も、手際がよくなった今では、しっかりと巡回ルートを考えて宅配するようになっていた。
思いやりのある村人たちが大口の注文をしてくれるようになったおかげで、水を運ぶ回数も随分と減ってきている。十リットルを十回運んでいた以前に比べると、五十リットルを二回運ぶだけで済むのだから、疲労の度合いも大違いだ。
そういったスタイルが確立されたせいもあり、三人は自分の時間を持てるようになっていた。
ジタは村人と話す機会が増え、臆面なく付き合えるようになった。最初の一歩を踏み出すまでが大変だったが、それ以降の適応力は『見事』と言う他ないくらいだ。同年代の話し相手も出来、食卓にその話題を持ち込むこともしばしばあった。
一方、ランドは良くも悪くも変わりない。
「よぅ」
「疲れただろう。休んでくれ」
店まで水を運んできたランドは、背に担いでいた水筒をドラム缶の横に置いた。
「おっちゃん、マジですっげぇよ! こんなのどうやって持つんだ?」
ジタと駄弁っていた小さな男の子は、ランドが抱えていた水筒を持ち上げようと挑戦している。数百キロにも及ぶ鉄の筒はピクリとも動かず、中の水が微かに波打つ程度だ。
「手を使えばいいんじゃないかね。よく分からんけど」
ランドは男の子に視線すら送らず、店の奥に腰を下ろした。メインストリート沿いの家に背を預け、日陰のひんやりとした感覚を味わうように芝生を撫でる。
「だいじょうぶ?」
見慣れた後ろ姿をぼうっと眺めていると、仕事が一段落したヒアシレィズが近寄ってきた。膝を抱えて隣にちょこんと座り、草をむしっていくごつい手を見つめている。
「なんだ、肩でも揉んでくれるのか」
「揉む」
ランドは立ち上がろうとするヒアシレィズの体を引き寄せ、
「冗談だ。ピアも休んでろ」
「うん」
水筒からドラム缶に水を移し変えていくジタの後ろ姿をじっと眺めていた。
手馴れた様子で作業しながら、同時に接客までもこなしていく。時折とおりかかる常連客に愛想を振り撒くことも忘れない。
ランドは、今のジタが少し遠い存在のように感じていた。
家で会話をしていると、必ずと言っていいほど聞き慣れない人間の名前が出るのだ。
楽しそうに話すジタを見ていると複雑な気持ちになる。ジタが嬉しいと、ランドも嬉しい。だが、他人のことを話されると、耳を塞ぎたくなってしまう。その得体の知れない感情に悩んでいるのだった。
「苦しい」
きつく抱きしめられていたヒアシレィズが、太い腕の中で顔を赤くしていた。
ランドは慌てて腕の力をゆるめる。
「……悪かった」
「いい」
ヒアシレィズはそのまま動かず、心音を聞くように厚い胸板に頬を押し当てる。
「そうか」
「うん」
心地好い陽気の中、二人は身を寄せ合ったまま体の力を抜いた。
「なあ……ピアは、人間が好きか?」
ヒアシレィズは長々と考え込み、「分からない」と短く答えた。ほとんど無表情だというのに、ランドの瞳には泣き顔のように映っていた。
「おれは嫌いだ。もし、こんな姿になってなかったら……ここの奴らを狩ってた。ピアは、なんで我慢してるんだ?」
ランドは、水筒と戦っている男の子に目を向けた。丁度、ヒアシレィズと同年齢くらいだろうか。
「ハレルが好きで、ハレルが好きだから」
「そうか。おれと同じだな」
「うん。だから、人間を狩らないで」
「……どうだろうな。なんとも言えん」
「お願い」
それは、自分のためだったのだろうか。それとも、ランドのためなのだろうか。
ヒアシレィズは、ランドに引っこ抜かれた草を集め、再び地面に植えはじめた。芝生と土のまだら模様が少しずつ消えていく。
「よし、分かった。ジタとピアが傍にいる間は、あっちに手は出さん。おれはピアも好きだからな」
微かに頬を赤らめたヒアシレィズは、いつになく感情のこもった声で、
「うん」
と、いつものように短い言葉を発したのだった。