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 翌日になって、明石凜花は僕を屋上へと呼びだした。学生の頃に味わってみたかったシチュエーションだっただけに、教師となった現在では、恐る恐るといった状況である。


 放課後の屋上で、女子生徒と男性教師が密会だなんて、見つかれば面倒なことになるのは明白だ。彼女にとってみれば、それは大したダメージにはならないのかもしれないけれど、僕にとっては瀕死級のダメージに成り得る。教壇から引きずり降ろされてしまう可能性だって、楽観的にはなれないほどにある。教師という職業に未練があるわけではないけれど、収入源がなくなるのは、誰だって御免被りたいはずだ。


 僕は屋上へと続く階段をひっそりと登りながら、今日も明石凜花はゴミ箱扱いされていたことを思い出した。食べきったお菓子の袋は、次々と彼女の席の机に置かれ、新発売のジュースを試しに買ってみて、まずかったからと、明石凜花に飲むことを強要する者もいた。明石凜花は、涙目になりながらジュースを飲み干し、ペットボトルを本当のゴミ箱へ捨てに行こうと立ち上がると、手に持っていたペットボトルを取り上げられ、彼女に向けてペットボトルが投げつけられた。


 僕が見る限り、明石凜花に対してのいじめを行っているのは、女子生徒のみのように見えた。男子生徒は一緒に笑ったりはするが、直接的に行動に移したりはせず、囲んで笑っているだけだ。まあ、それもいじめに変わりはないのかもしれないけれど、第三者の目からするとそれは、意思のない、同調するだけの人形に見えて仕方なかった。


「来てくれてありがとうございます」


 明石凜花は、僕が屋上にやって来ると恭しく頭を下げた。昨日、車で家まで送ってほしいと、無遠慮に発言していた彼女と比べると、随分殊勝な態度である。

 

 僕は、落下防止用に備え付けられているフェンスに近づき、網目の間から校庭を見下ろした。明石凜花も僕に倣うようにして横に並び、校庭の方へ視線を落とした。

 学校から解放され、嬉々として帰宅していく生徒たちの姿が、地上絵のように描かれている。


「何か、別世界みたいですね。私は、あの世界の中にはいないような感じがします」


 彼女は僕に聞かせるように語って、その後にぽつりと呟いた。


「でも、そんな風に思いたいだけなんだ」


 僕は彼女が呟いた言葉をわざと聞こえなかった振りをして、彼女の方へ身体を向けた。彼女は動くことなく前を向き、フェンス越しに遠い何かを見つめているようだった。


「僕をここに呼んだのは、昨日言っていたVtuberの感想を聞くためか?」

「はい、そうです。そのために、今日もうここに来たんですから」


 《《学校》》ではなく、《《ここ》》というのが、拒絶の現われのように思えた。その単語を口にするのすら、最早忌まわしくて気持ちが悪いと、短い言葉が力強く、言外に叫んでいる。


「忖度なく言っても、いいかな?」

「もちろんです」


 少し、空気が重たくなった。おすすめされたモノが自分には合わなかった、ただそれだけの話で、何も目の前の少女に怒っているとか、そういったことは一切ない。淡々と、自分の抱いた感想を彼女に話して、人には好みがあるから、というまとまり方で終わりだ。そこに彼女が傷つく理由も、意味も、全くないのだ。


 だというのに、この場の無駄な緊張感は、一体なんだろう。明石凜花が微動だにせず、ひたすら遠い所を眺め、合格発表の連絡を待っているかの様子が、空気をおかしくさせている。明石凜花にとって、【リンリン】という名のVtuberについての感想は、彼女の人生を大きく左右するものであるかのようだ。


「大丈夫か?」

「だ、大丈夫です。早く言ってください」


 彼女の声が震える理由を追求することなく、僕は正直に伝えた。【リンリン】の配信は、配信者としてあまりにも未熟であり、面白くない、と。


「…………」


 明石凜花は、上下の唇を内側にまるめて、ぎゅっと力を入れた。微動だにしていなかった身体が小動物のようにプルプルと震えて、十秒ほどすると唇も緩み、身体の震えも止まった。


「本当に、大丈夫か?」

「――大丈夫ですよ。やっぱり、そうですよね」


 彼女はこちらに身体を向けて、遠い何かから僕へと視線を移した。微妙に上がった口角が、妙に痛々しかった。

 

「【リンリン】は、以前に私がたまたま見つけたVtuberだったんです。初心者ながらも頑張ってる姿が、なんだか応援したくなってしまって。一人でもファンが増えたらいいなと思って、先生にすすめてみたんです。確かに配信自体はあんまり、かもしれませんが、健気に頑張ってる姿は萌えませんでした?」


 彼女の頭が下がり、上目遣いで僕を見るが、どこか卑屈で、歪む口角は笑っているのか苛立っているのか、判然としなかった。


 僕は、昨夜の【リンリン】の配信を思い出した。健気に頑張っている姿……いや、どうだろう。僕からの視点では、そのように感じなかった。


「なんというか……頑張っている、というよりも、もがいている、っていう印象だったかな。流砂に飲まれてそこから這い上がってこようとしているような。まあ、そういうのを実際に見たことはないんだけど」


 明石凜花はうな垂れた様子で、「そうですか」と一言言って、激しく頭を左右に振ったかと思うと、胸を張り大きく息を吸い、吐いた。


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