食料危機からの脱却(前編)
「食糧は、まだ足りていないですね……」
資料の束に目を通していたリィナは、ふと呟いた。
軍制改革も台帳整備も、すでに軌道に乗っていた。
それなのに、城内の食卓には相変わらず干からびたパンと冷めたスープが並ぶ日が続いている。
あの日、カガヤ──加賀谷零は、城の執務室で小さく呻いた。
「……マジで、メシがないな……」
冗談めかして言ったその言葉が、なぜかリィナの耳に引っかかった。
軍を養い、町を回し、制度を支えるには、食料が必要だ。だが、その根幹がまだ整っていない。
原因は明白だった。
ミティア公国は、耕地が少なく、農業技術にも乏しい。
収穫量のほとんどが一部の豪農に偏っており、市場には回らない。
自給率は、統計上でも五割を切っているという。
「戦で領地を取る、という選択肢は……ないのでしょうか?」
思わず問いかけると、加賀谷は書類から顔を上げ、曖昧に首を横に振った。
「コスパが悪すぎる。勝っても、農民は逃げるし、土地は荒れる。こっちの軍も持たない」
「結構、公女サマも物騒なことを言うんだな」
それでも彼の目は、どこか前を見ていた。
まるで、すでに別の手を考えているような──そんな確信めいた目つき。
(何か、考えている……)
リィナはそう思った。
帳簿を整え、軍を再建した男が、ここまで手を打たないはずがない。
そして、そんな彼が近ごろ頻繁にある名前を口にするようになっていた。
──レオン・グレイブ。
名前だけは聞いたことがある。
細身で怪しげな風貌の男。どこの派閥にも属さず、どこの街にも根を張らず、商いだけを追う異端の商人。
だが、結果だけは出す。
どうしても通したい交易路があれば、彼に任せろ──そんな噂が飛び交っている。
リィナは少しだけ眉をひそめた。
「……あのような男に、任せるおつもりですの?」
加賀谷は答えなかった。
ただ、スープの皿を横に押しやり、立ち上がる。
「準備する。付加価値貿易を展開する。あいつを使ってな」
そう言って、背を向けた。
まるで、次の一手はすでに見えているとでも言うような、そんな足取りで。
(この人は……何を見ているのだろう)
思わずそう思った。
公国という、今にも崩れそうな土台の上で──彼はずっと、前を見続けている。