兵制改革と武人ガロウの忠誠(前編)
国家台帳が動き出して数週間。
リィナは執務室の窓から訓練場を眺め、軽くため息をついた。
兵士たちの動きは鈍い。装備はバラバラ。
いくら数字を整えても、「このままでは国は守れない」と痛感させられる光景だ。
「軍事って避けて通れないんだな」
横で帳簿をめくっていた加賀谷がぼそりとこぼす。
口調はいつもの柔らかさだが、目は真剣そのもの。
「法律や商取引のルールも、守らせる“力”がなきゃ机上の空論だ。――でも俺、軍事は素人だからさ。現場をわかる人間を探したい」
「存じています。……一人、心当たりがありますわ」
リィナが思い出したのは、辺境駐屯地にいる無口な隊長――ガロウ・ヴェスタ。
かつて小さな盗賊騒ぎで的確に部隊を動かし、彼女に強い印象を残した男だ。
「農村出で独学の武人、と聞いていますが?」
「学歴より実力、でしょ? 会ってみよう」
加賀谷は書類を閉じ、軽く背伸びをした。
「数字を整えた次は、人材だ。優秀な指揮官に“ちゃんと回る予算”を渡せば、軍はまだ立て直せる」
こうして二人は、辺境へ向かう馬車に乗る。
国家再建の次の鍵が、まだ誰にも評価されていないその男にあると信じて――。
───
辺境駐屯地は、首都から二日の行程だった。
風が吹きさらす荒れ地に、石壁と木柵で囲っただけの簡素な宿営地。
「――お迎えできず失礼しました。隊長代理、ガロウ・ヴェスタです」
出迎えに現れた男は、質素な軍服に擦り切れたマントという姿だった。
軍規通りの敬礼をしながらも、その眼差しは静かで、濁りがない。
リィナはほっと息をつく。昔、盗賊鎮圧で見かけた時と同じ“まっすぐさ”が失われていなかった。
「早速だが、訓練を見せてくれないか」
加賀谷の頼みに、ガロウは頷き、笛をひと吹きした。
わずか数秒で兵たちが持ち場につき、古い槍と盾で小隊陣形を組む。
歩調・掛け声・武器の上げ下げ――どれも無駄がなく、統率が取れていた。
「装備は粗末なのに、この整い方……」
加賀谷が思わず漏らすと、ガロウが淡々と答える。
「物が足りないなら、動きで補うしかありません。隊の全員に、最短で相手を倒せる型を叩き込みました」
「自分で?」
「ええ。申請は何度も出しましたが、装備は――まあ、ご覧の通りです」
言いながらも愚痴の色はない。ただ、事実を述べる声音だった。
訓練が終わると、兵たちは整列し、破れた雑嚢から砥石や油布を取り出し、武器の手入れを始める。
誰に言われるでもなく淡々と動く様子に、加賀谷はうなった。
「数字で見えた“歪み”の裏で、よくここまで維持してきたな……」
ガロウが僅かに肩をすくめる。
「足りぬなりに守るのが務めです。――もっとも、守れているかは別ですが」
その言葉にリィナの胸が痛む。だが、加賀谷は一歩前に出た。
「守れてるよ。君の隊は“費用対効果”で見れば、この国で一番高い。だから提案がある」
ガロウの眉が動く。
「提案、ですか」
「兵制を根本から組み直す。装備だけじゃなく、給与・補給・指揮系統まで全部。俺は財と制度を用意する。君は現場を任せてほしい」
沈黙。風が杭に吊るした古い旗を揺らした。
やがてガロウが静かに口を開く。
「――私には野望などありません。ただ、『強い軍に身を置きたい』と願ってきただけです」
彼はリィナに一礼し、次いで加賀谷へ向き直る。
「もし本当に、この国を“強い軍”へ導くおつもりなら…………その道、私も共に歩ませていただきます」
膝を折ることはない。
代わりに、右拳を胸甲に当てた敬礼――この国の武人が“対等の誓い”を示す印。
加賀谷は拳を返すかわりに、そっと右手を差し出した。
「ようこそ。数字の国へ」
ガロウは、その手を力強く握り返した。
――軍制改革、始動。
そしてミティア公国は、「守れる国」へ向け、またひとつ歯車を噛み合わせた。