帳簿と信用制度の整備
──資本の流れが見えなければ、価値は積み上がらない。
帝国からの買収提案を拒絶されたその日から、加賀谷零は次の一手に取りかかっていた。
“数字”を整える。
それも、国家規模に耐えられるシステムで。
税制、予算制度、支出の記録、年度会計、信用台帳──。
現代の複式簿記に準じた構造を下地に、彼は公国に存在しない会計制度を、一から整備していった。
もちろん、すべてを一人でやるわけではない。
彼には、最高の「演算装置」がいた。
「れ、れいしゃちょー……こ、これ、たぶん合ってると思いますぅ……」
白銀の髪に大きなゴーグル、袖の長い作業服に身を包んだ小さな少女が、怯えたように帳簿の束を抱えて現れた。
ミロ・クレイン。魔導技師見習い。
そして──“記憶魔導”という、超希少な適性の持ち主だった。
「この支出記録、重複してる可能性があります。あ、でも国庫台帳と照合すると整合性が……えっと、今、照らし合わせて──」
ミロは、そばにいる小動物型の魔導端末「ヴィーくん」にそっと語りかける。
「ヴィーくん、七年前の税収推移と、領主経由の支出ルート出して」
ピッ、と光が跳ね、空中に立体の数字群が浮かび上がった。
その演算と投影は一瞬のことだった。
「……速いな。ほんとに記憶魔導なんだな、お前」
「うぅ……速くても正しいとは限りませんよぉ……チェックしますぅ……」
涙目になりながら魔導光の表を指差すミロに、加賀谷は静かに頷いた。
ミロの記憶魔導は、「見たものをすべて保存し、組み替え、可視化できる」という性質を持っていた。
紙に記された数字より、記憶の中で再構成された“仮想帳簿”のほうがよほど正確だった。
その日から、加賀谷とミロは“国家台帳システム”の開発に取りかかった。
・税制ルールと課税根拠の明文化
・会計年度の定義と予算案の策定プロセス
・支出執行に伴う証憑の保存ルール
・為替・貨幣流通に関する基礎データの記録台帳
・債権債務の可視化と再構成
こうした制度設計は、すべて加賀谷の仕事だった。
「会社じゃ、ここまでやるのが“当たり前”なんだけどな……国家ってのは、まるで前時代のファミリービジネスだ」
ぼやきながらも、手は止めなかった。
一方、ミロは魔導端末「ヴィーくん」と共に、次々とデータの可視化と整理をこなしていく。
記憶魔導による帳簿の再構成は、公国の“経済の骨格”を明るみに出した。
これまで誰も気づかなかった資金の流れ、取引の偏り、不正支出や二重帳簿までもが、浮かび上がる。
「……ほんとうに、数字は嘘をつかないんですね」
ぽつりと呟いたミロの横顔に、加賀谷は小さく笑った。
「いや、嘘をつくぞ。つくからこそ、つけないように仕組みが必要なんだ」
数日後、リィナが帳簿整理の現場を訪れる。
空中に展開された立体データ、複数の魔導装置、びっしりと走る符号群。
「これが……あなた方が言う、“国家の信用”なのですね」
彼女の声には、かすかな震えと、確かな尊敬が込められていた。
──かくして、ミティア公国は国家として初めて“自分の価値”を言語化する手段を手に入れた。