女王の夜会
夜のフィーネ。街の中心にある政府庁舎の迎賓殿には、ひときわ華やかな光が灯っていた。
各州の代表者、連邦軍幹部、技術局の責任者、市場を牛耳る女商人──
“男たちが口を挟まぬ夜”と呼ばれる、レーナ連邦特有の夜会が、今宵も粛々と始まっている。
そこに、公国の使節団が招かれていた。
◆ ◆ ◆
「なにこれ……戦場……?」
広間に足を踏み入れた瞬間、リィナは思わずつぶやいた。
着飾った令嬢たちが、表情ひとつ変えずに火花のような視線を交わしている。
刺すような笑顔。絡めとるような言葉。軽口ひとつにも政治と戦略が透けていた。
「貴族の夜会より、よほど攻撃的かもしれませんね」
ミロがそっと囁く。手元のワイングラスを両手で抱えたまま、隅に後ずさった。
ノアはというと、どこからか見つけてきたミートボールをくわえたまま、既に背後の壁際へ退避済み。
「ちょっと! ちゃんと同行者としての威厳を──」
「む、無理ですうぅ……」
「あたし、派手な服着せられてる時点でHP半分減ってるんだけど」
“これが外交か……”とリィナが腹の底で泣きながら、精一杯笑みを作ったその時だった。
◆ ◆ ◆
「……ようこそ」
中央に据えられた玉座のような席。そこに腰を下ろす、イーリス・ラグラロア。
その一声が、広間の空気を張り詰めさせた。
「リィナ・ミティア。少し、話しましょう」
周囲が視線を向ける中、リィナは静かにうなずき、ゆっくりと進み出る。
(ここが、本番……)
イーリスは隣に席を空けると、ワイングラスを傾けながら、淡々と切り出した。
「あなたの言葉、昼間は確かに響いたわ。けれど、それだけじゃ信用には足りない」
「当然です。信頼は“交わす”ものですから」
その返しに、イーリスはうっすら笑った。
「では、“交わす材料”は?」
リィナは息を整え、切り札をひとつずつ口にしていく。
「交易では、私たちの自由都市が持つ流通網を――」
「物流には価値がある。でも、その地はまだ不安定」
「軍事では、連邦が保持する兵器と技術に対し、私たちは情報と魔導素子を――」
「魔導技術の安定供給は、確かに魅力ね」
会話は、問答にも似ていた。
どれだけ自国を魅力的に見せられるか。どれだけ交渉相手の琴線を探れるか。
リィナはふと、隣の女の横顔を見た。
(この人は……手札を見せ合う場に、感情を持ち込まない)
それでも、ただの冷徹さとは違う。
イーリスの瞳には、明らかに“何か”を計る視線があった。
そしてそれは、リィナの中に“覚悟”を見ようとしていた。
◆ ◆ ◆
「……本当は、怖いです」
沈黙のあと、リィナがそう言った。
「私たちはまだ小国。背伸びをして、賭けに出て。……でも、未来のために、ここで繋がなければいけない」
イーリスの眉が、わずかに動く。
「私は“女王”じゃない。けれど、“この国を背負う人間”にはなりたい。
加賀谷様のように、未来を形にできる人になりたいから……ここにいます」
まっすぐに放たれたその言葉は、もはや外交の文言ではなかった。
ひとりの公女の、真摯な決意だった。
◆ ◆ ◆
「……いいわ」
イーリスが、ふっと息を吐いた。
「その覚悟があるなら、こちらも応じましょう。対等な“同盟”として」
「ありがとうございます」
リィナが頭を下げると、広間のあちこちでざわめきが走った。
レーナ連邦が、ミティア公国との“対等な連携”を認めた瞬間だった。
やがて夜会の場は、さながら祝宴のように空気を変えていく。
◆ ◆ ◆
「……やりきったぁぁぁ……!」
夜会が終わり、控室に戻ったリィナがソファに顔から突っ伏した。
「肩こりすぎて背中が別人格名乗りそう……」
「でも、交渉成立ですよ」ミロがそっと水を差し出す。
「わたしら、いま“同盟国の初日”に立ち会ったってことですよね」
ノアがぼそりと呟き、静かにうなずく。
「……公国って、ちゃんと前に進んでるんだな」
リィナは顔を起こし、少しだけ涙ぐんだ笑顔を見せた。
「……やっと、“背中”を見せられた気がする」
その夜、レーナ連邦の空には晴れ渡る星がきらめいていた。
◆ ◆ ◆
賓客たちが下がり、夜会が終わった後。
イーリスは広間の奥にある小部屋へと静かに足を運んだ。
待っていたのは、連邦軍政局次官であり、彼女の腹心──ヴァネッサ・エルン。
長髪赤毛の髪。精悍な横顔。
軍務に忠実でありながら、私室ではイーリスの紅茶の好みまで把握している、頼れる右腕だ。
「評価は?」ヴァネッサが静かに尋ねた。
イーリスは背もたれに深く腰掛けながら、空になったグラスを揺らした。
「……馬鹿正直ね、あの子」
「はい」
「けれど、正直さも戦術だとしたら……なかなか手ごわいわよ」
ヴァネッサは笑わないが、わずかに眉を動かした。
「“気に入りましたか”?」
イーリスは否定も肯定もせず、窓の外を見つめたまま呟いた。
「――あの目、忘れないわ。ああいう顔で、昔の私も旗を掲げたものよ」
「だからこそ、試した?」
「当然よ。公女という肩書きは飾りにも重荷にもなる。
その殻を破って、真正面から向かってこなければ、国同士の結びつきなんて無理」
沈黙がひとつ、落ちる。
イーリスは立ち上がり、夜の風を吸い込んだ。
「でもね、ヴァネッサ」
「はい」
「……少しだけ、羨ましくなったの。彼女の背中の“誰かのために”って熱。あれは、私の中から随分遠ざかってたものよ」
ヴァネッサが、珍しく視線を伏せた。
イーリスは、それを見てふっと笑う。
「だから。もう少しだけ、彼女を見てみたいのよ。
政治家としてじゃなく、“生き様”の部分で、ね」
それは、戦略ではない興味だった。
けれど、女王と呼ばれる彼女にとって、そう思わせた時点で──
「やっぱり、ただの姫様じゃないのね。あの子」
その呟きが、夜の帳に溶けていった。
◆あとがき◆
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