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帝国の拒絶、7兆ドル宣言(後編)

 ──帝国は、果てしなく整っていた。


 都の城門をくぐったとき、リィナは息を呑んだ。

 石畳の道は寸分の狂いなく整えられ、街路樹は間隔まで正確に配置されている。衛兵の歩調はまるで機械のように揃い、街には乱れた声ひとつなかった。


 隣を歩く加賀谷が、ぽつりと呟く。


「……国ってより、組織だな。上場企業の本社ビルに近い」


 言葉の意味はよく分からなかったが、リィナは頷いた。圧倒的な秩序と、緊張感。ここがこの大陸最大の覇権国家なのだと、歩くだけで分かる。


 彼らが案内されたのは、帝都セイグランの中央行政庁舎。その奥、緋の絨毯が敷かれた会議室に、彼はいた。


 帝国財務次官──ガルステイン。


 中年の男で、髪も眉も真っ白だった。冷たい視線の奥に、知性と苛立ちが並存している。最初の数分で、リィナには彼が“歓迎していない”ことが分かった。


「……ようこそ。ミティアの使節団諸君」


 応接の礼を欠くわけではない。だが、その声に込められた感情は明らかだった。


 加賀谷は、丁寧に一礼した。


「帝国の御厚意に感謝します。我々からの提案は一点。“ミティア公国の売却”です」


 会議室の空気がわずかに動いた。


 ガルステインの眉が、かすかに跳ね上がる。


「国を、売る?」


「そう。貴国がこの地域に置いて戦略的価値を見出すなら、吸収していただくのが最適解。公国単独では、財政再建も外交継続も困難です」


 言葉は明快で、迷いがなかった。だがそれは、まさに“異質”だった。


 加賀谷は、手元にあった巻物を差し出す。

 手製のIM──企業概要書。

 帝国において「商業ギルドの鑑定書」のような扱いだと説明を受けていた。


「我が国の経済構造、歳入歳出、未償還債務、主要産業、労働人口、地域戦略上の特性──すべて記載しています」


「これは……」


 ガルステインが手に取り、目を走らせた。その瞳が、次第に険しさを増していく。


 加賀谷は、話を続けた。


「現在、国内総生産は約七万金相当。だがこれは落ち込み続けており、三年で破綻は確実。軍も未払い状態」


「では何を以て、我が国にとっての価値だと?」


「ロケーションです。貴国は北に商圏を展開しすぎた。補給線が細く、税収の回収効率も落ちている。南部に補完拠点を持てば、物流が安定し、人的資源の融通が可能になる」


「……」


「加えて、鉱山跡地にはまだ再開発余地がある。魔導鉱石の採掘ノウハウが一部に残っており、精製技術も私が手配できます」


「お待ちを」


 ガルステインが声を遮った。冷静に見えたその口調に、微かに“怒り”が混じっていた。


「君は、まるで私に講義をしているようだな。帝国の戦略、財政、そして内政まで──我々の目の前で並べ立てるとは、なかなかの胆力だ」


 リィナが口を開きかけたが、加賀谷は首を横に振った。


「これは交渉です。私が知っている知見を、最善の形で差し出しているだけです」


「その“知っている”というのが、私には気に入らないのだよ」


 ガルステインは、巻物を静かに卓上に置いた。


「確かに、君の分析は的を射ている。構造も、戦略も、財政の危機も──それは理解できる。だが、だからといって受け入れられるとは限らない」


 その声は、理屈ではなかった。

 プライドだった。

 帝国の財務を担う男として、“部外者の知識”に圧倒された屈辱。

 それが言葉を越えて、空気を刺す。


「これは、国家の決定だ。ミティアの売却は、我が国としては“買わない”。以上だ」


 ガルステインの言葉は冷徹だった。


 会議室に、重たい沈黙が流れる。


 リィナは硬直したまま立ち尽くしていた。だが──その横で、加賀谷はふと笑った。


「なるほど。納得したよ」


 彼はゆっくりと巻物──IMを回収し、静かに続けた。


「“合理性”は理解できても、“感情”が追いつかないんだろう。国家の誇りだとか、前例主義だとか、あるいは──自分の知らない世界の論理を認めたくないとか」


 その言葉に、ガルステインの頬がぴくりと動く。


「だが、それでいい。ここが資本主義の国じゃないのは最初から分かってた」


 加賀谷は席を立ち、くるりとリィナの方へ向き直る。


「この世界にはまだ、“企業価値”も“信用スコア”も“資本市場”もない。だったら──全部、俺がつくってやるよ」


 リィナが、目を見開いた。


「え……?」


 加賀谷は言い切った。静かに、そして誇らしげに。


「この公国の時価総額を──日本と同じ、七兆ドルまで引き上げる」


「し、七兆……?」


「数じゃない。“価値”だよ。人も土地も制度も技術も、眠ってる資産はある。誰も気づいてないだけだ。だったら、俺が見せてやる。この国が、世界の覇権国家に“頭を下げさせる価値”を持つときが来るってことをな」


 目を見開くリィナの視線を、そのまま受け止めた。


「売れないなら、仕方ない。欲しがらせてやるよ」


 その言葉とともに、加賀谷は歩き出した。


 帝国が背を向けたこの交渉の場から。

 だがその背中には、揺るがぬ“意思”が刻まれていた。


 リィナは、その歩幅に半歩遅れてついていきながら──まだ知らない未来の予感に、胸をざわめかせていた。

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