蜂を潰すための針──帝国宰相の命令
自由都市ヴェステラ。
かつて“辺境”と呼ばれたその地に、いまや帝国すら無視できぬ都市の風格があった。
石畳を走る魔導搬送車、移民で溢れる登記所、物流拠点と化した市場街。
そして、誰もが当たり前のように手にする貨幣──共通通貨ルーメ。
それは、かつて誰も信じなかった土地に“価値”を宿らせた象徴だった。
加賀谷零は、政庁塔のバルコニーからその光景を見下ろしていた。
すべてが、通貨の流れに沿って動いている。都市の呼吸が、確かに自分たちの築いた制度と共鳴していた。
「……ルーメも流通が回ってきたな」
そうぼやいた加賀谷の背後から、足音がひとつ。
「なぜ、“ルーメ”と?」
尋ねたのは、ヴァルド・レヴァンティス。
公国の名門貴族出身にして、今は自由都市連合の信任を受けた軍政補佐官。
彼の問いには、敵意ではなく純粋な関心が宿っていた。
「光がほしかったからだよ」
加賀谷は肩をすくめる。
「この公国は、真っ暗だった。金も希望も道理もなかった。
でも、“信じられるもの”が何かひとつあれば、人は歩ける。……通貨にそれを託しただけだ」
「それで光、ルーメ。ずいぶんと詩的ですね」
「理想のない通貨は、紙屑と変わらないからな」
加賀谷の目が、街の遥か向こうへと向かう。
制度が動き、人が集まり、価値が循環する。都市とは“信頼の構造体”だ。それを誰よりも理解していた。
──だが、その構造を壊そうとする者たちもいる。
* * *
帝国首都セイグラン。
黒曜石の塔の奥深く、《財務庁地下第二局》では重苦しい会議が進んでいた。
「……国家的信用を賭けた作戦となりますが」
財務次官、ガルステイン・セルテンが一歩前に出る。
「構わん」
帝国宰相、マルク・ルクスフェルトは椅子にもたれたまま答えた。
「信用とは本来、操作するためにある。形を与えられれば、人間はそれにすがる。
……連中のルーメも例外ではない」
宰相は一枚の文書を取り上げる。
《黒鋳計画》──共通通貨ルーメの信用破壊工作を意味する指令。
「蜂を潰すのに剣は要らん。毒を撒いて、翅を腐らせる。それで十分だ」
ガルステインは静かに頷く。
「すでに、標準封印術式の改竄に成功した“偽ルーメ”を、沿岸都市の流通に投入済みです。
港湾ギルドの一部は既に混乱し始めています」
ルクスフェルトは満足げに笑った……が、その目の奥には違う色があった。
視線は、魔導光板に浮かぶ都市ヴェステラの光点へと注がれている。
「戦火を広げ、覇道を極めようとする者なら、まだわかる。
だが──奴は、この世界に存在していなかった“理”を持ち込んだ。
帝国の法も、通貨も、価値観すら……やすやすと塗り替える、“常識外の怪物”だ」
ガルステインはその言葉に対し、肯定も否定もしなかった。
「制度に魂はない。だが、奴の作った仕組みは人の行動を変え、都市を動かしている。
──それが“思想”に進化する前に、潰さねばなりません」
ルクスフェルトは小さく息を吐き、笑った。
「“王”になろうとしているのなら、まだ可愛げがあった。
だがあれは、自ら玉座を作り、貨幣を玉璽に仕立てあげた……まるで、世界そのものの設計図を書き直そうとしているようだ」
鋳造炉の封印がゆっくりと起動し、魔導熱が空気を撓ませる。
《偽のルーメ》は着々と仕上がりつつあった。
「“蜂”などではない。あれは──燃え広がる種火だ。
誰もが気づいたときには、世界が別の色で塗り替えられている。……ならば、今のうちに、叩き潰すしかあるまい」
地下の空気が、しんと静まり返った。
その場にいた誰もが、あの名を──“加賀谷”という名を、すでに戦場の主軸として認識していた。
◆あとがき◆
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