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贈り物と忠誠

 王城の西庭に、小型の飛行艇が降り立った。


 華やかさこそないが、船体には細やかな彫金装飾が施されている。商人の趣味にしては洒落すぎていたが、この艇の持ち主を思えば納得だった。


 加賀谷零は中庭のベンチに腰をかけ、揺れる緑陰を見つめていた。


 風が葉を撫で、鳥が高く鳴く。


 やがて、足音。革靴が石畳を鳴らし、軽やかな声が響く。


 「……よう、相変わらずの余裕っぷりだな、大公閣下?」


 「レオン・グレイブ。元気そうだな。貿易王になったって噂は本当だったらしい」


 「おかげさまで。加賀谷起案の“中継港構想”が予想以上に当たってな。帝国と沿岸諸国が慌てて動くのを見て、俺はひと足お先に仕込ませてもらった」


 レオンは人懐っこい笑みを浮かべ、ベンチの背にもたれかかった。

 「……で、届いたんだな」


 加賀谷が声を落として尋ねると、レオンは小さく頷き、手にした小箱を掲げてみせた。


 「まさか本当に手に入るとは思わなかったよ。絶版品だろ、これ。帝都でも在庫はほぼなかった」


 「無理言ったな。礼は後で」


 「いいさ。あんたの“そういう顔”を久々に見られただけで、割に合った」


 レオンが意味深に笑った。


 「……しかし、懐かしい香りだな。あれは、リィナの母親が愛用していたやつか?」


 加賀谷は答えず、ただ目を細めて箱を受け取る。


 その仕草に、すでに全てが込められていた。

 *


 リィナの私室は、窓から午後の陽が差し込んで柔らかな陰影を落としていた。

 机の上には、きょう発行された《ミティア新報》が広げられ、黒々とした見出しが目を引く。


〈大公と公女、婚約進まず? 政務不協和の噂〉


 「ほんとうに、好き放題書いて……」


 リィナは頬を膨らませた。

 そこへ、ノック音。開いた扉の向こうに加賀谷が立つ。


 「見出し、派手だな」


 「……笑わないでください。悪趣味なんですから」


 加賀谷は苦笑し、新聞を折りたたむと卓上の隅へ置いた。

 「不仲説、だってさ。実際どう思う?」


 「わ、わたくしは──そ、その……っ。形式のためだけに結婚するつもりはありませんが……不仲というほどでは……」


 声が尻すぼみになる。

 加賀谷は言葉を継がず、代わりに小箱を差し出した。


 「いつも助けてもらってる礼だ。受け取ってくれ」


 「え?」


 リボンを解くと、曇り一つないガラス瓶が現れた。淡い紫の液体が揺れ、柑橘と白花の甘い香りがふわりと立つ。


 震える声。

 「……この香り、まさか……」


 加賀谷は静かに頷いた。

 「前に君が話してくれただろ。幼い頃、お母さんの袖口から漂ってきた“初夏の庭”の香りが忘れられないって」


 半年前、深夜の書庫での雑談。

 帳簿整理に追われる二人の合間、リィナはふと母を語った。

 〈あの香りだけは、もう二度と手に入らないのです〉と、寂しげに笑って。


 「物流が回り始めたとき、レオンに探させた。在庫を持っていた帝都の調香師が一瓶だけ手放したらしい」


 リィナは手の中の瓶をそっと胸元に抱え、息を整える。

 涙は見せない。けれど頬がほんのり朱に染まる。


 「……ありがとう、ございます。大公閣下」


 いつもの張りのある声は影を潜め、代わりに囁くような柔らかさが滲む。

 だが次の瞬間――軽く咳払いをして姿勢を正した。


 「こ、個人的な感謝は別としても、婚約の件は急ぎませんわ。公務がお忙しいでしょうし」


 ツンと肩をすくめる仕草は残るが、瞳に宿る光はどこか照れくさそうだ。

 加賀谷は微笑だけ返し、深追いはしない。


 「飾り棚じゃなく、たまには使ってくれ。香りは揮発するものだからな」


 「……検討いたしますわ」

 リィナは小さく頷き、瓶を大切そうに包み直した。


 *

 香水瓶を抱えたリィナと別れ、加賀谷は静かな回廊へ出た。

 足取りを整えるうち、奥の分厚い扉が重々しく開き、近衛が小走りで近づく。


 「大公閣下。応接の間に――レヴァンティス家当主がお見えです」


 あの大貴族が、ついに動いたか。

 加賀谷が頷くと、近衛は控えめに身を引く。石畳を渡る硬質な靴音が近づき、緋色の外套が視界を染めた。


 廊下に出ると、長身の男が一礼した。

 赤の外套に黒い礼服――ヴァルド・レヴァンティス。ミティア公国中で当代屈指の大貴族の当主だ。


 「お噂はかねがね。遅ればせながら、レヴァンティス家一同、閣下の改革にくみする所存です」


 低頭の声音は静かだが、熱がある。

 加賀谷は差し出された手を握り返した。


 「歓迎しよう。国内の調整役として、そして国外への橋渡し役として――君の力を借りたい」


 「望むところです。ミティアの未来を共に築きましょう」


 窓辺を夕陽が染める。

 淡い香水の余香と、新たな忠臣の誓い。

 大公と公女、そして国を動かす歯車は、静かに次の段階へと噛み合い始めた。

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