城内で抜かれた凶刃
「下がれ、リィナ」
そう言うより早く、“何か”が音もなく飛び込んできた。
黒ずくめの影が床を滑るように走り、殺気と共に刃が閃く。
加賀谷は、慌てて椅子を倒して距離をとった。
剣の切っ先がかすめ、彼の肩口の布を裂く。
「くそ……!」
足がもつれる。次の一撃を避けきれない──そう思った瞬間、
部屋の隅から鋼のような腕が割り込んできた。
「下がってくださいッ!」
刺客と加賀谷のあいだに割って入ったのは、灰色の外套に身を包んだ男──ガロウだった。
「カガヤ様、リィナ様、すぐに背後へ!」
鋼のような声と共に、巨躯が割り込む。
ガロウ。加賀谷の改革で頭角を現した武人。その腕が、太刀を振り下ろした襲撃者の刃を受け止めていた。
「ガロウ……っ!」
リィナが思わず声を上げたその刹那、ガロウは力任せに襲撃者を弾き飛ばす。
壁に叩きつけられた刺客の体がくの字に折れ、床に崩れた。
「……他にもいる。まだ数は不明。ですが──ここでおふたりを討たせるわけにはいきません」
額に血が滲みながらも、ガロウの視線は鋭く周囲を見据えている。
すでに足音が、別の廊下から迫っていた。
「ここは私が塞ぎます。行ってください!」
「しかし!」
リィナが反射的に制止しかけるが、加賀谷がその腕を引いた。
「任せよう、リィナ。ガロウは……そのために、ここにいる」
加賀谷の声は、どこまでも静かだった。
その言葉に、リィナの瞳が揺れる。
だが、すぐに頷いた。
「……わかりました」
彼女は踵を返し、加賀谷とともに階段を駆け下りる。
背後では、ガロウが一歩前へ出ていた。
「来い、狗ども」
手にした刃が、わずかに風を裂く。
黒装束たちが音もなく迫るなか、ガロウは片膝をつき、剣を水平に構えた。
「お前たちは……通さない」
* * *
石造りの階段を駆ける足音が、空気を切り裂く。
このような非常時に備えてミロに仕掛けてもらった脱出路は、この先の中庭に面した通用門に通じている。
「……急げ、ミロの結界がいつまでも保つとは限らん」
「はい!」
リィナが先を走り、加賀谷がその後ろを追う。
途中、崩れかけた壁や、血の跡が視界をよぎる。すでに何者かが、城内に侵入している証だ。
(間に合って……)
リィナが唇を噛んだ。
* * *
通用門の先には、蒼い光を放つ魔導陣が展開されていた。
ヴィーくん──ミロの使役端末が、鳥のような形で浮遊している。
《起動準備完了。識別コード:加賀谷・リィナ、確認》
「行け!」
加賀谷が叫び、二人は結界を抜けて外へ飛び出した。
その瞬間。
後方から、再び気配が迫る。
第二波──まだ刺客が残っていた。
「くっ……!」
加賀谷が振り向く。
だがその刹那、リィナが彼の前に立ち塞がった。
「カガヤ。あなたは“逃げて”ください」
その顔は、ため息が出るほど凛としていた。
「あなたがいなければ、この国の未来はない」
リィナの震える手が、最後の魔導札を結界の端に放った。
《脱出トリガー作動――転移術式、発動》
光が加賀谷の身体を包み込む。
リィナはほんの少しだけ微笑んだ。
「わたくしは、大丈夫です。だから、必ず……生きて」
視界が白に染まる。
そして加賀谷の姿は、結界の向こうへ消えた。
残された通用門に、再び静寂が戻る。
その静けさを破ったのは、リィナの足元へ迫る黒装束たちの影だった。
だが──彼女は逃げなかった。
杖を握り直し、まっすぐにその刃へ向き直る。
「統べてきた誇りに、恥じないために」
その声は、誰にも聞こえないほど小さく。
けれど、誰よりも強い覚悟を宿していた。
* * *
《転移完了。術式、待機状態へ移行》
機械的な音声と共に、足元の光陣がふっと消える。
「……っ」
加賀谷は、荒い呼吸を整えながら辺りを見渡した。
そこは、城から少し離れた山中の避難用拠点──ミロと共に設計した、数少ない“もしものため”の施設のひとつだった。木立に囲まれた石造りの小屋。外からの視認性は低く、転移先の座標も定期的に撹乱されている。
「リィナ……無事でいてくれよ」
口に出してから、彼は拳を握る。
まだ、終わってはいない。
――この国は、ようやく歩み出したばかりだ。
帳簿を整え、軍制を変え、貿易を繋ぎ、産業を育てた。
それを、こんな形で壊されてたまるものか。
「……ミロ。生きてるな?」
「は、はいぃ……っ! た、たぶん……」
隅の壁面から、青白い顔のミロが顔を覗かせた。魔導端末を抱きかかえながら、小刻みに震えている。
「や、やっぱり来ましたね……“刺客”……転移術式の起動に干渉されなかったのは……奇跡、です……っ」
「十分だ。よくやった、ありがとう」
そう言って、加賀谷は上着を脱ぎ、椅子の背に放った。
「敵の目的は明確だ。俺の排除──つまり、内通者がいる」
「うぅ……はい。けど、それってつまり……」
「内部からの反乱だ」
加賀谷は、転移前に見たリィナの背中を思い出す。
公女として生きてきた彼女が、自ら剣を取り、自分を逃がした。あの瞬間、確かに“彼女がこの国を背負っていた”。
「ここで黙ってるわけにはいかない」
肩を回し、乱れた髪をかき上げる。
「ミロ。最寄りの近衛詰所に通信回線を通せ。俺は……城に戻る」
「え、えぇぇぇっ!? ま、また!? で、でも危ないですよぉ!? 敵がまだ……っ」
「行かなきゃならないんだよ」
静かな声でそう言い、加賀谷は扉に手をかける。
「約束したからな。“生きて戻る”って」
木製の扉が、ぎぃ、と軋んだ音を立てて開いた。夜の冷気が吹き込む中、彼は一歩、足を踏み出す。
――反乱は、まだ本格化していない。
だが、その気配はすでに、王都全体に静かに満ちていた。
そして加賀谷零は、ふたたび“戦場”へと戻っていく。
まだ見ぬ敵と、名もなき叛意と――そして、信じる者たちのために。




