暴力
夜。木々の隙間から漏れる黄金の光で照らされる森の中は、白夜であった。時間を見る物が無ければ、時間を計る空も見えない。森の集落に住む獣人達は、眠る者もいれば、作業に打ち込む者もいた。
ミチルの寝顔を眺め終えたノボルがテントから出ると、一人の獣人がノボルに近付く。小さな容姿と幼い顔立ちから、まだ子供のようだ。
「俺に用か?」
屈んだノボルは獣人の少年と目線を合わせ、特に表情も作らずに訊ねた。獣人の少年は少し緊張した素振りをしながら、抱えていた一冊の本をノボルに差し出した。
本の表紙には謎の言語のタイトルだけが書かれており、本の中身に書かれてある文字も当然同じ言語であった。
「アンタ、ニンゲンなんだろ?」
「ああ」
獣人の少年の問いにノボルは淡白に返しながら、ページをめくりながら挿絵らしきものを探した。
「やっぱそうなんだ! オレ、ジジっていうんだ! ニンゲン、オレもニンゲンになれるかな?」
「体毛が多過ぎる。諦めろ」
「見た目は関係ない! オレさ、アンタらみたいになりたいんだ! ニンゲンになって、伝説を創りたいんだ!」
「この本に書かれてるようにか?」
「ああ! 開拓者ラフィン! 旅の途中で仲間を集め、遂に自分の国を見つけた伝説さ!」
(コイツの言うニンゲンは【人間】なのか? もしそうならば、俺達以外にも人間がこの異界に? 本に書かれるくらいだ。ずっと昔から人間がいるのか?)
にわかに信じ難い話であった。この異界に来た当初、ノボルとミチルは体調不良に悩まされていた。偶然にも体調不良を解決する宝石を見つけられたものの、あれが無ければ今頃二人は死んでいただろう。それ程までに、この異界は人間に適していない世界であった。
悩むという事を忌み嫌うノボルは一旦この事を忘れ、ジワジワと存在感を露わにしていた違和感に向き合った。
静まり返っている集落。物音どころか、声すら聞こえない。嫌な静けさであった。
「ジジ。そこのテントで寝てる俺の連れを起こしてこい」
「そしたらニンゲンになる方法を教えてくれるかい?」
「いいから行ってこい。後で毛を短くしてやるから」
「だから見た目はいいんだって!」
ジジは言われた通りにテントへ向かい、ベッドで眠っているミチルを起こしにいった。肩を揺らされて目を覚ましたミチルは、ジジに手を引かれてノボルの所へ案内された。
「連れて来たよ!」
「んん……おはよ、ノボル」
「シャキッとしろ。何かいるぞ」
「……敵?」
「分からん。同じ気配が複数。だが、妙な感じだ。敵意が全く無い」
ミチルはジジの肩に手を置くと、ソッと自身に寄せた。表情が一変した二人に、ジジは感じた事の無い静かな恐怖を覚え、ミチルにしがみついた。
すると、診療所のテントからアレザが外に出てきた。ミチルはアレザにも知らせようとしたが、ノボルに制止されてしまった。
ノボルの判断は正しかった。アレザの足取りは不確かで、顔が風船のように膨れていた。
次の瞬間、アレザの顔が破裂した。首から蕾が生えると、蕾が花咲き、顔となった。それは正しく、変異であった。更に変異が起きたのはアレザだけでなく、他のテントにいた獣人や、診療所で治療を受けていた負傷者もアレザ同様、花を咲かせていた。
「なんだよこれ……みんな! みんなどうしたんだよ!」
「ミチル! お前の魔法で連中を燃やせ!」
「アレザさん……アレザさんが……」
「クソが……! これだから弱者は!」
ノボルは二人を両脇に抱えると、包囲網から抜け出す隙間を探した。だが集落にいる全ての獣人が花と化したようで、抜け出す隙間など無い。
息を整え、ノボルは駆け出した。どんな攻撃を繰り出してくるか不明の敵に対し、ノボルが取った行動は【殺られる前に殺る】であった。子供と女性とはいえ、二人を両脇に抱えているとは思えない俊敏さと豪快さで花と化した獣人を蹴り倒していき、僅かに出来た抜け道から包囲網を抜けた。
集落を抜け、西の方角に進む道を駆けるノボル。後方からは花と化した獣人が追ってきており、その速さは獣らしく、徐々に距離が縮まっていく。このままでは追い付かれるのも時間の問題であった。
(このままじゃ追い付かれる! どうする? 進行方向で連中を撒ける何かに期待して進むか? 駄目だ! 俺一人ならともかく、足手纏いが二人いる所為でそれは取れねえ選択だ! ならここは、連中の数を減らすしかない!)
ノボルは両脇に抱えていた二人を出来るだけ遠くに投げ飛ばすと、後方に振り返って一人立ち向かった。先頭集団を倒す事は容易であったが、そこから後ろの集団には攻撃を繰り出すチャンスを作らせてしまう。
獣人の体はもはや獣ではなく植物であった。手から伸びた木の皮の触手がノボルに巻き付き、周囲の木々や地面へ乱暴に叩き付ける。ノボルは叩きつけられながらも、体勢を立て直し、引っ張られる力を耐えて、逆に自分の方へ引っ張っると、飛んでくる獣人達をまとめて地面に投げ潰した。
そうして徐々に数を減らしていたノボルであったが、二人の獣人が触手を使って頭上を通り過ぎて行くのを許してしまった。二人との距離はあるが、いずれにせよ、戦力にならない二人のもとへ敵が向かっている。
ノボルは二人に近付く獣人を追いかけようとするが、触手に手足を拘束され、身動きが取れなくなった。獣人八人分の力は、人間八人分とは訳が違い、簡単には引き剥がせない。
(近付かれる……アイツらが、殺される……殺されてたまるか!!!)
「俺の目の前で! 弱者が殺されるなんてあっちゃいけないんだ!!!」
ノボルの限界値が大きく上昇した。それすなわち、瞬きの間にノボルが強くなった事を意味する。引き剥がせなかった触手をいとも簡単に引き千切り、ひとっ飛びで離れた位置にいる獣人を掴むと、地面に圧し潰した。そしてすぐに残党狩りに向かい、あっという間に獣人達を殲滅してみせた。
敵を倒し終えたノボルは、自身の力が瞬く間に強くなった事に違和感を覚えたが、深くは考えずに二人のもとへ急いだ。