不安の種
集落に戻った二人は、アレザに約束の青い花を届けた。早速アレザは瓶の中に保管していた様々な薬草と青い花をすり鉢で混ぜ合わせ、塗り薬を調合した。ベッドで横たわる怪我人の傷に塗り薬を塗ると、苦痛に満ちていた表情が徐々に和らぎ、痛みに悩まされずに眠る事が出来た。
「お二人共、ご協力に感謝します。アナタ達のおかげで、怪我人の治療が完了しました。あとは二、三日程様子を見て、固まった塗り薬を削れば傷は完治されるはずです」
「それは良かった。その塗り薬は余っていますか? もしよろしければ、彼にも使わせてください。実は青い花を採りに行く際、アレザさんが言っていたマンドラと遭遇してしまい、彼は怪我を負いました」
「マンドラに!? それは大変、すぐに薬を―――あれ?」
アレザはノボルの背後に回り込んで背中の傷を確かめた。
しかし、ノボルの背中には傷は無く、鋭利な刃物で斬られた痕が服に残っているだけだった。
「傷を負った箇所は、何処ですか?」
「背中です。かなり大きく斬られたはずですが」
「確かに、そのような風には見えますが、傷は見当たりません」
「え?」
ミチルはマンドラが剣でノボルの背中を斬りつけた瞬間を確かに見ていた。だから傷が見当たらないというアレザの言葉に疑問が浮かんだ。だが実際にノボルの背中には傷が無かった。斬られたのはほんの少し前の事。この短時間で斬られた傷が綺麗に完治する事などあり得ない。
(まさか、宝石の力が?)
ミチルはノボルに目を合わせると、ノボルは首を横に振った。ミチルは口に出しかけた宝石の話を飲み込み、胸に秘めておく事にした。
「マンドラとかいう化け物はこの俺が倒した。これ以上の被害は出ないだろう」
「マンドラを倒した!? どうやって!?」
「この身で」
「武器を持たずにマンドラを……ありえない」
「嘘を言って何になる。それより、テントは余っているか? 俺達は一休みしたい。だから貸してくれ」
「え、ええ。それなら、キャラバン隊のテントを使うのがいいでしょう。キャラバン隊は現在、この診療所のベッドで休んでおりますから」
その言葉を聞くや否や、ノボルは診療所から出ていった。ミチルはテントを貸してくれたアレザとベッドで横たわっているキャラバン隊に頭を下げると、先に外へ出たノボルの後を追った。
キャラバン隊のテントに着くと、中には数人分の鞄と装備が飾られており、人数分の簡易ベッドが置かれていた。ノボルは奥にあるベッドに横になると、両手を頭の後ろに置いて目を閉じた。ミチルはノボルの隣にあるベッドに腰を下ろし、外に漏れないように声を抑えてノボルに話しかける。
「いつから傷が治ってたの?」
「ここに戻る途中でだ。奴から受けた傷の痛みが感じられず、頬の傷に触れてみたんだ。するとどうだ。えぐれていた頬の傷が、まるで何事も無く元通りになっていた」
「十中八九、宝石の力でしょうね。常人離れした力に、異能、更には回復能力まで……恐ろしい代物だね」
「恐ろしい? 強大な力を手に入れる事の何処に恐ろしさがあるっていうんだ?」
「強大だからこそ、恐れるべきなの。強い力には必ずといっていい程に何かしらのデメリットがある。気付けないだけで、もう影響を受けているかも」
「だが宝石が無ければ俺達は生きちゃいない。橋を渡ってすぐ、頭痛や渇きで死んでいただろう。例え宝石にデメリットがあるとしてだ。延命出来たのだから文句は無いさ」
「……あの宝石は、一体何なのかしら?」
「頭を悩ませてくるな。俺達は化け物と戦ったんだ。戦いの後は休み、次の戦いに備える。お前も少し眠っておけ。今の所、獣共から敵意を感じてはいない」
そう言い終えると、ノボルはすぐに眠った。ミチルもベッドに横になって眠ろうとしたが、行方不明のワタルの事で頭が一杯になり、眠る事が出来なかった。
診療所にて。アレザは塗り薬の効果で安眠するキャラバン隊の様子を見守っていると、そこへミチルがやって来た。
「ミチルさん。テントでお休みになるのでは?」
「……眠れなくて。良かったら、少し話をしても?」
「ええ。歓迎するわ」
アレザはミチルを椅子に座らせると、木のコップに注いだハーブティーをミチルに差し出した。気分が落ち着く香りがするハーブティーの味は、その香りとは裏腹に薄味で白湯のようであった。
「ここはアレザさんの生まれ故郷なんですか?」
「いいえ。私の、私達の故郷はここから遠く離れた場所にあります。この森のように自然が豊かな場所だったのですが、度重なる災害によって緑は荒れ果て、辺り一面灰色の世界と化してしまいました。それから私達は第二の故郷を求めて旅を続け、ここを見つけたのです。ここは故郷のように自然が豊かで、果実や薬草が豊富に採れます。最初こそ苦労はしましたけど、今はここを本当の故郷としている者も少なくありません」
「あの化け物。マンドラとは?」
「あれは突然現れました。最初の犠牲者は酷い状態で治療の施しようがなく……その後すぐに討伐隊を編成したのですが、怪我を負う者ばかりでマンドラを討伐する事は叶いませんでした。唯一の望みは、キャラバン隊が別の場所から腕利きの者を連れてくる事でした。ですが、そのキャラバン隊もマンドラに襲われ、ここへ運ばれました」
「そうですか。ですが、もう安心です。あれはノボルが倒したので」
「……本当に倒したのですね。もちろん疑っているわけではありません! ただ、あれだけ恐れていたマンドラを倒したという事実が、受け入れられなくて。おかしな話ですよね。悩みの種がいざ解決されると、安堵するよりも先に疑問が浮かぶなんて。安心する事って、こんなに難しいものなのですね」
「不安はいくつ取り除いても、次々と芽が出てしまうものです。難儀なものですね」
「フフフ。随分とご苦労されているのですね」
「お互い様、ね」
二人は木のコップで乾杯を交わすと、他愛のない会話を繰り広げた。アレザは聞き上手なミチルに甘えて、普段は話せないような事や、小さな悩み事をミチルに聞いてもらうのであった。