渇き
ワタルを捜す二人であったが、僅か一時間で体調に異変が生じていた。茨で脳を絞めつけられるような頭痛と、空腹を思わせるかのような渇き。この異変の一つの作用か、あるいは非現実的な現象に遭った精神の乱れか。いずれにせよ、ミチルは自力で歩く事すら出来ない状態に陥っていた。
そんなミチルにノボルは舌打ちをすると、ミチルを肩に担ぎ、適当に目についた建物へと運んだ。
建物の中は瓦礫で塞がれた場所が多く、通れる場所は一箇所だけであった。ノボルはまるで操られているかのように瓦礫に塞がれていない場所を進んでいき、三階のとある一室に駆け込んだ。
部屋の中は過去に何らかの事務所があったかのような名残りがあり、ノボルは埃被った椅子の上にミチルを座らせた。
「……ありがとう」
「今は休め。どういうわけか、ここでは異様に疲れる。ジッとしているだけで休まる事を願うしかない」
「……あの子は大丈夫かしら。ワタルは私達よりも小柄で、体力もあまり無い」
「アイツは俺達よりも賢い。そして正しい判断と行動を選べる人間だ。案外、今頃楽しく何処かで調べものをしているかもしれん」
自分の分の椅子を探している途中、ノボルは置くに配置された机の上に置かれた異物に目を惹かれた。近付いて見ると、それは四肢と頭部を切り取られた牛の死骸。切り裂かれた胴体の中身には本来詰まってる物が取り除かれており、代わりに色とりどりの宝石が詰まっていた。
宝石類に興味の無かったノボルであったが、宝石が放つ鈍い光に魅入られていた。
「ノボル? どうしたの?」
机の前に立ったまま動かないノボルを不審がったミチル。暗がりの中で、何かを貪るその背中に若干の恐怖を覚えていると、ノボルはゆっくりとミチルへ振り返った。
ミチルは危機感を覚え、その場から逃げようと考えるも、体が思考に追いつかず、椅子から転げ落ちてしまう。這いずって行こうとした矢先、ノボルによって仰向けにされ、強引に口を開けられた。
外の光が届かぬ闇の中、ノボルの左手に握られた宝石だけが鈍く光っていた。
「あ……え……!」
「これもワタルを見つけ出す為だ。許せよ」
ノボルは握っていた宝石をミチルの口の中に押し込むと、吐き出さぬように手で蓋をした。ミチルはジタバタと力無い抵抗をするが、やがて諦め、口の中一杯の宝石を飲み込んだ。
不思議かな。宝石を血肉に変えたミチルは瞬く間に体調不良が回復し、以前よりも増して活力が沸き上がった。その力は、馬乗りになっている大柄のノボルを腕の力だけで突き飛ばしてしまう程。突き飛ばされたノボルは宙を舞い、奥の机へと激突した。その衝撃で、机の上に置かれていた牛の死骸に詰められた宝石がノボルに降り注いだ。
ノボルは床に散らばった宝石を雑に集め、まるでスナック菓子を食べるように頬張った。その姿は、ミチルには奇怪にも思えたし、同時に羨ましく思った。
「こいつは良い。喰う度に、力が沸き上がってくる。自分でも怖いくらいだ」
「気でもおかしくなった!? アナタが今食べてるソレは、アナタが私に食べさせたコレも、ただの宝石! 食べ物じゃない!」
「だが、実際楽になっただろ? 元の世界でもこういった食い物があっただろ。肉や魚、野菜や果物。食い物と知らなきゃ、口にしようとも思えない見た目をしてるだろ。俺が先に喰って確かめたんだ。コイツは喰える、とな」
立ち上がったノボルは机の上に置かれている牛の残骸を片手で握り持つと、ミチルの目の前に放り投げた。牛の腹から零れた宝石に、ミチルは理性を保とうと我慢したが、床に散らばる宝石から目を離す事が出来ず、次々と食べてしまう。
宝石を平らげた二人は一息つくと、何事も無かったかのように外へ出た。
ついさっきまで静寂に包まれていた外には、およそ現実に存在しているとは思えない奇妙な生物が地面や建物の壁を這いずっていた。肌色の芋虫のような胴体にはヌメりがあり、左右に生えている足はムカデのようであった。大きさは百センチ程であるが、胴体の太さが実際の大きさよりも更に大きく錯覚させる。
その異様な生物は体を激しく痙攣させ、引き裂かれた胴体から産声を上げた。黒い肌には確かな硬さがあり、人型ではあるものの人ならざる容姿をしていた。フジツボのような瞳を二人に向けると、三角状に裂かれた口で咆哮した。
次々と産まれる化け物に明確な敵意を向けられた二人には、不思議と恐怖は無かった。
あるのは唯一つ、殺戮衝動。
二人は襲い掛かって来る化け物の群れを殴り、蹴り、引き裂き、潰し、殲滅した。
その結果、二人の周辺には、血肉が泥のようになった化け物の残骸が広がっていた。
人外よりも更に秀でた力を手に入れた二人が感じたのは、恐怖や無敵ではなく、渇きであった。