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イノリβ  作者: 山橋 雪
24/27

02-17


 ユウカに詰められた女将は、真っ青な顔をして、わなわなと口を震わせ、あれこれと言葉にならない声を発した。

 暫く騒いだあと、それが通じないとわかると、がっくりと肩を落とした。

 そして、呟く。



 その口は、嗤っていた。

 


「――あのお方のためさ。ねぇ、アンタ」


 ゆっくりと顔を上げる女将。

 その目はどす黒く、舐るようにユウカを見つめている。


「なに?」


 ユウカが少しだけ身動いだその瞬間、怒号が響き、生垣の中から男が飛び出した。

 その手には斧。男はそれを大きく振りかぶり、ユウカに向かって振り落とす。


「なっ」


 ユウカはなんとか身を捩って、それを避ける。直撃は免れたが、咄嗟に出した右手を斬りつけられたようだ。鮮血が地面に花を咲かしている。


 男は虚空を見つめ、喘いでいる。

 その顔に見覚えがあった。


 行きの電車で見たプリントアウト。

 この民宿のもう一つの顔。

 女将の夫だ。


「しっかり当てなよ、使えないねぇ」


 女将はイラついた口調で夫を蹴り上げた。

 男は何も喋らない。


「……くっ。アンタ、いったい……」


 右手を庇いながら、ユウカは立ち上がろうとする。

 男がユウカの頭を掴み、蹴り上げた。

 弾かれたようにユウカが後方に飛ばされる。


「素敵でしょう? ウチの旦那。喜んで供物になってくれたの。あの天井裏の仕組みのね」


 思えばそうだ。

 あの大掛かりな仕込みをするにあたって、もう一人の経営者たる夫が無関係であるはずがない。

 女将とグルであって然るべきだが、まさか供物になんて……。

 


「ノロイは規模が大きいほど消費が激しいのよ。始動も、維持もね」


「始動がこの人。感情全て持ってかれちゃったけれど、思考回路が残ったのはラッキーだったわ。雑用として使えるの」


 嬉嬉と話すその様。

 自らの夫を犠牲に、人ならぬモノにしておきながら、自責や後悔の念は微塵もない。

 狂気の他に形容する言葉が見つからない。


 背筋を伝う汗は冷えていく。


「そして……維持のためにこれを使っているのよ」

 

 女将は足元の石を――地蔵を足蹴にして語る。


「腐れ外道が……。お前なんぞがどうこうしていいもんじゃねぇぞ」


「あら、神様は人を助けてナンボでしょ? だったらこれも本望じゃない、随分助けてもらってるわ」


「……蔑み貶し結果発露するバチをノロイに吸わせているのか」


 鼻血を拭いながらユウカが上半身を起こす。

 頭を打った衝撃のためか、立ち上がることはできそうにない。


「ふーん。わかるのね。無名の祈祷師まがいのくせにやるじゃない」


「なんのためにこんなこと」


「言ったでしょう? あのお方のためよ。良質なエネルギーが必要なの」


 女将はフンと鼻を鳴らして、男に目配せをする。

 焦点の合わぬ目で、ぼんやりとそれを捉えた男は、斧を引きずりユウカに近づく。


「……クソ」


 ユウカはまだ立ち上がれない。

 うつぶせに体勢を変え、腹ばいで必死に逃げている。

 しかし、現実は無情。

 男がその身体を踏みつけ、最後の抗いを力任せに制す。


 右手を振りかぶる。

 握られている斧が鈍く光る。


 まさにそれが振り下ろされるそのとき。

 僕は走り出していた。


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