02-17
ユウカに詰められた女将は、真っ青な顔をして、わなわなと口を震わせ、あれこれと言葉にならない声を発した。
暫く騒いだあと、それが通じないとわかると、がっくりと肩を落とした。
そして、呟く。
その口は、嗤っていた。
「――あのお方のためさ。ねぇ、アンタ」
ゆっくりと顔を上げる女将。
その目はどす黒く、舐るようにユウカを見つめている。
「なに?」
ユウカが少しだけ身動いだその瞬間、怒号が響き、生垣の中から男が飛び出した。
その手には斧。男はそれを大きく振りかぶり、ユウカに向かって振り落とす。
「なっ」
ユウカはなんとか身を捩って、それを避ける。直撃は免れたが、咄嗟に出した右手を斬りつけられたようだ。鮮血が地面に花を咲かしている。
男は虚空を見つめ、喘いでいる。
その顔に見覚えがあった。
行きの電車で見たプリントアウト。
この民宿のもう一つの顔。
女将の夫だ。
「しっかり当てなよ、使えないねぇ」
女将はイラついた口調で夫を蹴り上げた。
男は何も喋らない。
「……くっ。アンタ、いったい……」
右手を庇いながら、ユウカは立ち上がろうとする。
男がユウカの頭を掴み、蹴り上げた。
弾かれたようにユウカが後方に飛ばされる。
「素敵でしょう? ウチの旦那。喜んで供物になってくれたの。あの天井裏の仕組みのね」
思えばそうだ。
あの大掛かりな仕込みをするにあたって、もう一人の経営者たる夫が無関係であるはずがない。
女将とグルであって然るべきだが、まさか供物になんて……。
「ノロイは規模が大きいほど消費が激しいのよ。始動も、維持もね」
「始動がこの人。感情全て持ってかれちゃったけれど、思考回路が残ったのはラッキーだったわ。雑用として使えるの」
嬉嬉と話すその様。
自らの夫を犠牲に、人ならぬモノにしておきながら、自責や後悔の念は微塵もない。
狂気の他に形容する言葉が見つからない。
背筋を伝う汗は冷えていく。
「そして……維持のためにこれを使っているのよ」
女将は足元の石を――地蔵を足蹴にして語る。
「腐れ外道が……。お前なんぞがどうこうしていいもんじゃねぇぞ」
「あら、神様は人を助けてナンボでしょ? だったらこれも本望じゃない、随分助けてもらってるわ」
「……蔑み貶し結果発露するバチをノロイに吸わせているのか」
鼻血を拭いながらユウカが上半身を起こす。
頭を打った衝撃のためか、立ち上がることはできそうにない。
「ふーん。わかるのね。無名の祈祷師まがいのくせにやるじゃない」
「なんのためにこんなこと」
「言ったでしょう? あのお方のためよ。良質なエネルギーが必要なの」
女将はフンと鼻を鳴らして、男に目配せをする。
焦点の合わぬ目で、ぼんやりとそれを捉えた男は、斧を引きずりユウカに近づく。
「……クソ」
ユウカはまだ立ち上がれない。
うつぶせに体勢を変え、腹ばいで必死に逃げている。
しかし、現実は無情。
男がその身体を踏みつけ、最後の抗いを力任せに制す。
右手を振りかぶる。
握られている斧が鈍く光る。
まさにそれが振り下ろされるそのとき。
僕は走り出していた。




