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あふれるまでの10%

「はじまりまでの10%」より前の話です。

どうやらオレは先輩が好きみたいだ。

初めは、憧れだと思っていた。


大学入学と共に東京に出てきたオレは、初めて遊びに行った原宿でスカウトされた。

何の覚悟も無いままアルバイト感覚で仕事をはじめ、最初の写真撮影でガチガチに緊張した。なんというか都会を舐めていた。

事務所ですれ違う人すれ違う人、みんなオーラみたいなものがあり、場違いなところに来たとすぐに後悔した。

そんな時、スタッフの人以外で初めて声を掛けてくれたのが先輩だった。

なんて綺麗な人だろう、と思ったのが第一印象。その人が少し口の端を上げて面白そうに言った。


「すっげー緊張してるね。失敗してもだれも死なないからもっと気楽にやんなよ」


第一印象とは裏腹に、とても親しみやすい、言い方は悪いがちょっと雑な人だった。

先輩はオレの面倒を見てくれと事務所の人に頼まれていたらしい。

地方出身のオレとは違い、もともとこちらが地元の先輩は、仕事以外の事も親切に教えてくれた。目立たない穴場のレストランだとか、オススメの服屋だとか、とにかく色々。

東京の案内もして貰い、家にも遊びに行かせて貰った。

聞いた話では先輩もスカウトでこの事務所に入ったらしい。

もともと芸能界に興味は無かったそうだが、憧れの大物女優が個人事務所を構える前にこの事務所にいたから入ったんだそうだ。

先輩は子供の頃にその女優が出ている映画を見て感動し、映画を好きになった。

さらにその女優の出ている映画の原作を読んだのがきっかけで本も好きになったそうで、空き時間にはたいてい本を読んでいる。そのせいか難しい言葉も良く知っていた。

頭の回転が速く、誰と話しても会話にストレスがないので事務所のみんなから好かれていた。


オレもそんな中の一人だと思っていた。


先輩や、先輩と特に仲の良いARAKIさんに下の名前で呼ばれ、こちらも二人に軽口を返せるくらいになったころ、オレは「ただの先輩」に感じる気持ちとは違う感情が含まれていることに気付いた。

会えれば嬉しいし、事務所に居なければついその姿を探してしまう。

はじめは無意識だったけれど、その回数が増えるうちに自分でも疑問に思った。

先輩は人付き合いの垣根が低い人だから、ふざけて触られるたびに心がざわついた。

そんな自分でも整理がつかない感情を、とりあえず検索してみたら、出てきたキーワードは「恋」だった。

いや、検索なんてしなくたって、この感情が何かは知っていた。ただ、認めたくなかっただけだ。

本当は「恋」ではない答えを探して検索を掛けたのだ。諦め悪くさらに調べて辿り着いた答えは「思春期の疑似恋愛」だ。

思春期なんて自覚は無いけれど(というかもう通り過ぎた歳だ)、この今の先輩に向ける感情がそれなんだろう。

だってオレは男で、先輩も男だ。こんな気持ち、伝えてみたところで迷惑になるだけだ。

触れたい、なんて「憧れ」で誤魔化すには限界だ。

人を好きになるのは素敵な事、なんて当事者では無いから言える台詞だ。だってオレはその辺のなんとも思っていない男の後輩に告白されたらきっと困る。

たぶん相手の為にも自分の為にも疎遠になる道を探すはずだ。少なくとも今までの関係ではいられない。

この業界、同性愛を公表する人も多いから偏見は無いけれど、それはお互いが納得しているから築ける恋人関係だ。

少なくとも先輩に彼女がいた話はすでに聞いている。

「仲の良い後輩」というポジションを失うことを恐れたオレは、だからこの「思春期」が終わるまでこの気持ちに蓋をすることにした。



――――はずなのに、



仕事の合間、久しぶりに事務所に顔を出したその日、先輩とARAKIさんが来ていると聞いて休憩室に足を運んだ。

期待通り、二人はそこにいた。いつもは他にも誰かしらが一緒だが今日はいない。

輪に加わってくだらない話をしながらジュースを飲んでいたオレは、先輩からの視線にとうとう顔を上げた。

先ほどからずっと見られていたのは知っていた。気づかない振りをしていたけれど、あまりにも、長い。


「なに、先輩」

「ああ、悪い。気になった?」

「それだけ見られれば気になります」

「いや、イケメンは何してもイケメンだなって思って」

「っそれは、どうも」


オレ自身は生まれた時からこの顔だから良くわからないけれど、周囲はみんな「格好良い」と評価してくれる。

だからオレはみんなの言葉を信じることにした。謙遜したところでそんなことない、と言われるだけなのでこれはもう挨拶みたいなものだ。


「何、突然。口説いてんの?」


ARAKIさんがいつもの調子で茶化す。この人はいつだってこんな感じだ。下心がなければただのふざけ合いだと流せるけれど、多いに下心のあるオレはとても対応に困る。


「ちっげーよ。なんつーか、良くあるだろ、車の形とか建物の形とか、なんとなく好きなフォルムってやつ。そういうのと一緒。生理的に無理ってやつの反対。よくわかんないけど好き、っていう……何、怖い顔してんのお前?」


話しの途中、ARAKIさんからオレに視線を戻した先輩が言う。

怖い顔、は誰のせいだと。あなたがとんでもないことを言うからオレは顔に出ないようにするのに精一杯なんですよ。

好意がある人間に「無意識のレベルで好き」と言われて嬉しくない人間などいない。怖い顔でもなんでもしないとだらしなくにやけるに決まっている。

ARAKIさんはそんなオレの表情の変化に気が付いたのか、意味ありげに目を細めた。


「なぁ、それ俺男だけど抱かれてもいいってやつ?」


ARAKIさんが先輩に向かって言う。

うっかりぶふっと噴き出してしまった。口にジュースが入っていなくてよかった。これが飲んでいる途中だったら大惨事だ。

そのオレの様子に、あろうことか先輩がにんまりと笑った。

これはマズイ。絶対にマズイ。脳内で非常警報が鳴り響く。先輩のこの顔は明らかに面白い事を思いついた時のそれだ。


「そうそう、それ。俺、男だけど~ってやつ」


わざわざオレの目をまっすぐに見て、先輩がニヤニヤしながら言う。

悪ふざけだってわかってる! わかってるけど!

色々な感情が零れないように口を引き結んでいると、オレがいつまでも反応しなかったせいで先輩が少し顔を曇らせた。

たぶん先輩は、またまたー、とかなんとかオレが適当な返事を放るのを望んでいたんだろう。


「悪い、ふざけすぎた?」


困ったように眉を下げた先輩が小首を傾げて訊いてくる。なんでそこで首を傾げるんですかあんた。女の子じゃあるまいし!


「お前が顔しか褒めないから怒ったんだろ」


ARAKIさんが先輩に言う。違います、違いますよ。でも先輩は、納得、とでも言いたげな顔をした。


「ああ、それは確かに俺が悪かった。俺も『顔だけは上品』って良く言われるけど知らんがな、ってなるわ」


先輩は腕を組んでうんうんと頷いている。ていうか、そんな失礼なこと言うやつは誰ですか。


「先輩は顔だけじゃないよ!!」


状況も忘れ、どこの誰かも分からない相手にイラッとして思わず力説してしまった。

先輩がぽかんとしている。おっきく丸まった目が可愛い、じゃ、なくて。

明らかにこのテンションは可笑しいだろ、オレ。


「本当にお前はイイやつだな。ちゃんとお前のことも好きだぞ。この前アイス買ってきてくれたし」


先輩が上機嫌でオレの肩に手を回す。すみません近いです、頼むから耳元で話さないで。


「それ上手に使ってるの間違いだろ」

「そんなことないし」


ARAKIさんのつっこみに、あはは、と先輩は楽し気に笑っているが、正直オレはそれどころではない。

さっきから耳元で話さないでって言っているでしょう、ありがとうございます。


「お前は先輩を立ててくれる出来た奴だよ。わんこみたいで可愛いぞ」


興が乗って来たのか、先輩は肩に回した手でオレの頭をぐりぐりと撫ではじめた。ますます体が密着する。


ああもう、そういうあんたは猫みたいですね! 


普段はおちゃらけててもパーソナルスペースに他人を入れないくせに、気を許した相手には無駄に距離が近いのはなんでなんすか。

まじでおそうぞこのやろう。

絶賛混乱中のオレの脳内とは反対に、顔だけはひたすら無表情で耐えているとARAKIさんが吹き出した。


「もうやめてやれよ。プルプルしてるぞ」


その声に、先輩が、やべ、やりすぎた、という顔をする。

どうやらオレが本気で怒っていると勘違いしたらしい。


「あーっと、今度こそ本当に悪かった」

「あ、いや、怒ってはいないです」


少し離れて、先輩が居住まいを正して頭を下げる。

本気で謝ってくれているその様に、違いますから、と念を押すと、先輩はほっとしたようにはにかんだ。


なに、オレが怒ってると嫌なの!? オレが許してくれたらそんな顔で笑っちゃうの?


先ほどから衝動的に飛び出しそうになる何かに耐えて、口を押えて下を向く。

そんなオレを見てARAKIさんがさらに言った。


「じゃあ、具合悪いのか?」

「そーなのか? 最近お前忙しいもんな。体調悪いならこんなとこいないで、帰れよ」


言葉を受けた先輩が俯くオレの顔を覗き込む。と、驚いたように二度瞬いた。


「えっ、マジ!? 吐きそう? 顔赤いし熱あるかも。トイレ行ける?」


先輩がオレの右腕を掴む。付き添ってゆっくりと立ち上がろうとするのを慌てて遮った。


「違います。体調も悪くない、ほんとに!」

「でも顔赤いぞ? 熱は?」

「ちょっと暑いだけ」

「そうなのか? そんな暑い感じしないけど。まあ体調不良じゃないならいいけど。でも本当に具合悪かったらちゃんと言えよ。辛かったら送ってやるから」

「はい、ありがとうございます」


ああ、先輩優しい! 好き! と、感動したのも束の間。

先輩は掴んだオレの右腕を、おもむろに撫でだしたと思ったら、さらに両手でぐにぐにと揉みだした。


「なに、お前ちょっと筋肉付いた? 戦隊ヒーローだもんな。感心感心。足は?」


さらには右手を隣に座るオレの腿に伸ばす。楽しそうに人の太ももを撫でたり摘まんだりしている先輩にもう言葉も出ない。


あんたは! なんでそう身内には距離が無いんすか! そういうとこだぞ!


もう疑似恋愛でも何でもいい。この気持ちが思春期のせいならこのまま一生続けばいい。

そんなオレの、ちょっと、いやだいぶ、沸いた思考をよそに、オレたちを正面で見ていたARAKIさんが吹き出した。

いきなり声を立てて爆笑しはじめた友人を、先輩は危ないものを見るような目で見ている。

その先輩の視線をかいくぐり、ARAKIさんはオレを見てわかりやすく口の端を持ち上げた。

すべて知っているぞ、とでも言いたげなその様に肩が跳ねる。どういうわけかバレているみたいだ。

これは確実に弄られるコースだ。この人は絶対に「後輩の恋」を優しく応援なんてしてくれない。

ARAKIさんは間違いなく慌てふためく人間を見て楽しむタイプだ。それが予期できる程度には、オレはこの人とも仲を深めている。

まったくもって嫌な予感しかしない。前途が多難すぎる恋にオレは心の中でひっそりと涙を流した。



あふれるまでの10%


……

………


「なあ、戦隊ヒーロー、お前もう聞いた?」

「その呼び方止めてください、ARAKIさん。で、聞いたって何を?」

「昨日、あいつ撮影で怪我したらしいぞ」

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