はじまりまでの10% 後
後輩の衝撃の告白から二カ月、あれから何度か好きだと言われた。
一応気を使っているのか、二人きりになった時しかその話題には触れてこない。
思い返してみれば今までそんなに二人きりになった記憶は無いから、後輩は忙しい合間を縫ってわざわざ俺に時間を割いているようだ。
「信じてくれるまで言うからね、オレ」
あの日の別れ際、後輩の言葉を思い出す。
さすがに二カ月過ぎても言われ続けるとなると信じないわけにはいかない。
念のため、後輩の言う「好き」がどの好きなのかも確認した。
先輩として、人として、「好き」なのか、恋愛としての「好き」なのか。後輩は顔を真っ赤にしながら両方だ、と答えた。だから大好きなんです、とも。
いつだったか悪友のARAKI(という芸名のモデルだ)が、後輩は本当に俺に懐いている、と言っていた。その時は話半分に聞いていたが、確かに後輩は俺と目が合うと嬉しそうに笑う。
愛想の良いあいつのことだ、誰にでもそうなんだろうと思っていたけれどもしかしたら違うのかもしれない。
後輩に好きだと言われるのが嫌なら、はっきり断ればいいのだ。
でも意外にも男の後輩に愛を囁かれて嫌な気分にならない俺がいる。
今まで女の子としか付き合ったことは無いが、同性もいけるとは新鮮な驚きだ。
とはいえ女子とも告白されたから付き合っただけなので、単に流されやすいだけかもしれない。
彼女に「恋人らしい」振る舞いをしなかった俺はあっという間にフラれた。
私のこと、本当に好きなの、と。
本当に好きもなにも俺は一度だって好きだなんて言っていない。ただ単に彼女くらいいた方が都合が良いから付き合っただけだ。我ながら最悪な理由。
でも相手もたいして知りもしない俺に告って、俺が思い通りに動かないから別れを切り出すんだからそれについてはお互いさまだと思う。
だから後輩に言われて面倒くさいとか気持ち悪いとか思わない時点で、俺の答えは半分くらい決まっている。悔しいが俺は後輩と一緒にいる時間は嫌いじゃない。
ただ、だからこそ何故俺なのか、と思う。
後輩は俺と違って女の子を大切にする。愛想が良く明るいから弄られることも多いが、その親しみやすいキャラは老若男女人気がある。
男女問わず声を掛けられることも、告白されることもある。俺は一度だけ後輩が告白される場面を目撃した。いわゆる地下アイドルと言われるグループに所属する美少女だった。
俺でさえ「役者」という付加価値で一般より人気がある部類なんだから、後輩なんて「愛の告白」など日常茶飯事だろう。
でも後輩は変に手を出したりは絶対にしないし、フラれた人間からの悪評も聞かない。多分あいつは「そんな人とは思わなかった」なんて言われないんだろう。
さすが戦隊レッド。プロデューサーの采配は大当たりだ。
俺には絶対に後輩のまねは出来ない。口にはしてやらないが、そういうところは素直に格好良いと思う。
ポケットからスマホを取り出して、後輩にメッセージを送る。
『お前、今日空いてる? ヒマだったら家に来い』
あいつにヒマなんて無い事は知っている。
これは賭けだ。もしこれであいつが来るなら俺は後輩との運命ってやつを信じてみてもいいかもしれない。
『9時からなら空いてるよ!それでもいい?』
ほどなくして返事が来た。どうやら俺も覚悟を決める時が来たらしい。
だらしなくソファに腰掛けていた俺はインターフォンの音に顔を上げた。
一人暮らしの狭い家にソファは邪魔だが、あまりの座り心地の良さに事務所の先輩の俳優から譲り受けたものだ。やっぱり稼いでいる人は違う。うん。
立ち上がって後輩を招き入れる。室内が薄暗いのに驚いたのか、玄関で後輩がぱちくりと瞬いた。
「ほれ、入れ」
俺に促されて後輩が室内へ入る。
「座れよ。電気明るくする?」
「あ、いやオレはどっちでもいいです」
後輩がソファに腰掛けながら返事をする。後輩が来るまでうたた寝をしていた俺は、照明を薄暗く設定していた。別に話が出来ない程暗いわけではない。
まあいいか、と俺はそのまま隣に座った。後輩が右、俺が左だ。
「先輩、用事って何? いや、用事が無くてもうれしいけど!」
緊張しているのか後輩の口調がいつもより早い。俺は口の端だけつり上げて笑った。
「お前さ、俺のどこがいいわけ?」
いきなりの直球に後輩の顔が固まる。なぁ、と促せばテンパっているのか上を見たり横を見たりしながら、最終的に俯いた。
「わかんないけど……先輩がいいです」
「俺は、恭司みたいにイケメンじゃないし、麻賀みたいに頭良く無いし、佐久間さんみたいに格好良くもないぞ?」
事務所で売れ筋の友人たちの名を上げていく。
本来なら嫉妬をするところなんだろうが、俺はこの仕事に向いていないと心から思っているのでもはや尊敬しかない。
いや、こんな監視社会もびっくりな世界は俺には到底無理だ。まだARAKI以外誰も知らないが、大学卒業と共に事務所を辞める気でいる。
「そこにARAKIさんは入らないんだね」
突っ込むところはそこか?
「……そこはまぁ、察しろよ」
同じ時期に事務所に入ったARAKIはモデルがメインだけあって高身長の美形だ。が、それ以外を勘定してしまうとどうもな。なによりお互い「悪友」と認め合うような仲だ。素直に褒めるのは癪に障る。
「で、なんで?」
だが後輩、残念だが俺はそんな軽口で流されてはやらない。
「本当にわかんないんですって。オレは女の子の方が好きだと思ってたし。でも、一緒にいたいのはいつの間にか先輩だったんですよ」
なんだそれ、お前は少女漫画の主人公か。聞いているこっちがこそばゆい。
「ふーん、なら、」
言って俺は腰を浮かしてソファを移動する。後輩の隣に肩が触れるほどの近さで座った。膝の横に置いてあった後輩の掌に自分の手を重ねる。
「せ、っせんぱい!?」
派手に裏返った声とともに後輩の肩が大げさに震える。浮いた指先を握りこむと後輩の顔が一瞬で染まった。耳まで真っ赤だおもしれー。
くくっと喉の奥で笑い、膝が向き合うように体の位置を変える。半身を捻って後輩の顔を覗きこむと、近くなった顔に後輩が口をぱくぱくしている。
「わかんないなら訊き方を変えてやる。お前、俺と付き合って何をしたいの?」
恋人同士がすること、月並みに言えばデートだとかキスとかそれ以上とか。お前は俺とそんなことがしたいの? それ以上、なんて男同士でどうするのか知らねーけど。
けれど、そんな俺の疑問に返った答えは俺の想定をはるかに超えていた。
「大事にしたいよ」
「え?」
拍子抜けして間抜けな顔をさらした俺に、後輩は少し困ったように笑う。
「泣いてたらそばにいたいし、怪我しそうなら庇ってあげたいし、ピンチだったら守ってあげたい」
なんなの、なんなのこいつ。
戦隊レッドは心の中まで聖人君子のヒーローなの?
どくん、と心臓が震える音がする。認めたくはないが目の前で顔を真っ赤にしている後輩ではなくて、これは間違いなく俺の音だ。
「俺は、お前の気持ちを知っててこんな事する嫌な奴なのに?」
「それでもオレは先輩が好きだし、先輩が意味もなくこんな事しないのも知ってるよ」
それに先輩が意地悪なのは前からでしょ、なんて後輩は生意気な一言を付け加える。嬉しそうに微笑むその顔は多分誤魔化しなんて一切ない。
負けた、心に浮かんだ言葉はそれだけだ。
照明を薄暗く設定していてよかった。じわじわと俺の頬にも熱が上がってきている。
赤くなる顔を見られたくなくて少し俯く。後輩の指を握る腕とは逆の手で目の前の胸に触れた。後輩がびくりと肩を揺らす。
ひたり、と手のひらを密着させたその下で心臓がどくどくとせわしなく動いている。
おー俺以上に早く動いてる。
小さく呼吸を整えて、俺は後輩の耳元に顔を寄せた。少し低い声で囁く。
「ブー、ハズレ」
少しだけ顔を遠ざけて目の端で様子を伺う。
後輩は一瞬目を見開いて、そのまま眉を寄せて俯いた。多分振られたと思ったんだろう。
項垂れる姿にほんの少し罪悪感が沸く。さすがに、可哀想か。俺は少し離れて隣に座り直した。
「勝手に落ち込んでんじゃねーよ。八割方、俺はお前に落とされてもいいと思ってるぜ」
俺の言葉に後輩は弾かれたように顔を上げた。その表情は喜びよりも驚きばかりが際立っている。
「だけどお前、俺がそんなすぐ怪我したりピンチになると思ってんの?」
「え……いや、それは言葉のあやというか、なんというか」
俺が不機嫌に言えばしどろもどろになった後輩が口をもごもごさせる。言い訳を探しているが上手く言葉が出てこない、といった様子だ。
ったく、本当にからかいがいがある。さすがに俺だってこの流れで本気でそんなこと言いやしない。
でも、
「今のお前の答えは80点だ。100点になったら落とされてやるよ」
「え、それってどういう?」
「そのまんまだな」
俺は、お前にイエスと応えてやってもいい。けれど、まだダメだ。まだ足りない。
今のこいつはきっと俺を庇って自分が傷つくことを恐れない。俺はそんな甘やかしは望んでない。
だって自己犠牲なんて綺麗事、本人だけ満足してこっちに痛みを押し付ける自己満足だろう?
「俺は、お前に守られなきゃならないほど弱くねーよ」
俺は誰にも守られたくないし、守らなくていいものしか欲しくない。
こいつはいつか百点にたどり着くだろうか。ヒントはいくらでもくれてやる。気紛れな俺はいつ飽きるかわからない。
だから早く辿り着け、なんて思ってしまう俺は、もう九割方こいつに落ちている。
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