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ライトピアを求めて  作者: 赤尾 常文
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第4話 デニーズ

 約束をしていた土日の予定が急に中止となったため、男は旅情に誘われた。楽しみにしていた予定だけあって、残念な気持ちが強く、家でじっとしていることなどできなかったのである。


 旅情と言っても、あまり行ったことのない街に行ってみる、という程度のもので、宿泊の予定はない。車で行って、夕方までに帰って来られる範囲で、ふらりと出かける。


「知らない町を歩いてみたい どこか遠くへいきたい」という歌がある。男はたまに、そんな気分になるのだ。


 確たる目的地があるわけでもなかったが、男は車を走らせた。県境をまたぎ、北関東最大の都市に向かう。コロナが流行してから、その街に行くのは初めてだった。およそ三年ぶりだ。


 適当にふらふらと「知らない町を歩いてみる」つもりであったが、その日は生憎の雨だった。五月半ばだというのに、もう梅雨のつもりのような天気が続いている。約束の相手も、そんな気候にやられ、体調を崩したのだった。


 外歩きは無理と判断し、男はいつものようにノートパソコンを持って出かけた。絶対に書くという意気込みは今日は無く、もしどこかで書く気になった時のために、念のため持った。


 一時間、雨の中を運転し、その街に着いた。適当なコンビニの駐車場に車を入れる。時刻は九時を回ったばかり。ほとんどの店はまだ開いていない。雨はだいぶ弱くなった。予報ではこのまま止むようだったが、まだ少し降っているため、外を歩く気は起きない。


 ふと、男は思いついた。


 スマホを取り出し、ファミリーレストラン「デニーズ」の名前を検索する。


 外で執筆することを決めた時に、ガスト、ココスと共に候補に上がった有名チェーンではあるが、普段の行動範囲にある店舗が軒並み撤退してしまったため、諦めていたのだった。


 検索結果は上々だった。五キロ圏内にある店舗がヒットした。


 男は一度止めたエンジンをまた起動し、見知らぬ道をデニーズに向かって走った。


 到着したのは九時半ごろだったが、土曜日ということもあり、デニーズはそこそこ混んでいた。さすがは人口五十万人を超える北関東最大の都市である。


「いらっしゃいませー。デニーズへようこそ!」


 女性店員の明るい声が、男を迎えた。


 目の前がパッと華やいだような気がした。


「デニーズへようこそ」。たったこれだけの言葉が下につくだけで、いつもの「いらっしゃいませ」がワンランクアップする。このような、ふとした瞬間に垣間見る言葉の力に、男はいつも感動してしまう。


 案内された席は、ドリンクバーコーナーの目の前だった。せっかくなので執筆したかったため、遠くても良いので目立たない席が良かったが、仕方がない。見方を変えれば、ドリンクを注ぎながら席が見えるので、いちいちパソコンをバッグにしまう必要もないので、楽と言えば楽である。ドリンクバーを利用する客の姿が頻繁に視界に入るが、このにぎわった店内であれば、集中が削がれるのはどこでも同じように思える。


 テーブルの上には、モーニングのメニューが広げられている。十時半まではモーニングメニューなのだ。「セレクトモーニング」と書かれたページには、四種類のモーニングメニューが表示されていた。Aセットから、B、Cと来て、なぜか四つ目はEセットだった。


 男は四種類の中から、スクランブルエッグモーニングを選択した。セットのトーストの種類も選ぶことができたので、グリルドチーズサンドを注文する。最近まで、スクランブルエッグと炒り卵を混同していたため、本物のスクランブルエッグを食べるのは楽しみだった。


 注文を終えた途端に尿意に襲われたが、とりあえずホットコーヒーだけ取りに行った。よくあるコーヒーやカフェラテの機械にカップをセットし「ブレンド」のボタンを押す。


 が、男はそこで失敗に気づいた。デニーズはコーヒーが一味違うのである。セブンアンドアイグループであるデニーズのドリンクバーには、なんとセブンイレブンと同じコーヒーーメーカーがあり、かの評判高いコーヒーが飲み放題なのである。


 普段コーヒーを飲まないため、こだわりがあるわけではない。飲んだところで、違いがわかる自信もない。だが、あるなら飲みたいと思うのが人情である。しかし、時は戻らない。カップに注がれる「ただのブレンドコーヒー」をテーブルに運び、一口飲んで、トイレに向かった。


 トイレから戻って間もなく、モーニングが運ばれてきた。ベーコンとウインナーをお供に、トロトロ状態の卵が皿の上に広がっている。これが本物のスクランブルエッグだ。


 ケチャップの小袋が別で付いてきただけあって、スクランブルエッグはほとんど味付けがされていなかったが、お供の加工肉ブラザーズの塩気を合間に挟むことによって、見事な調和を実現することができた。


 チーズサンドも、バターの味がしっかりしていて美味だった。パンは薄切りなわりに噛み応えがある生地で、十分満足できる。


 卵とお供、そして二つあるグリルドサンドウィッチを一つ食べ終えたところで、男は性悪さを発揮した。焼きたてのチーズサンドは確かに美味い。だが、時間が経ったらどうなるか。試してみたくなったのだ。


 男は無論、不味くなるほうに賭ける。だがこれは、どちらしても男が得をする賭けである。美味ければ男は予想を裏切られた美味しさに上機嫌となり、不味くても「やっぱりな」と自分の予想が当たったことで気分が良い。一言で言って、不毛である。


 ブレンドコーヒーを飲み終えたので、セブンイレブンコーヒーを注いできた。やはり違いはよく分からない。


 それからしばらく、男は順調に執筆を進めた。ファミレスの喧騒の中で文章を書くことにも、徐々に慣れてきていると感じる。


 十一時近くなると、店内が非常に混んできた。朝はまだ余裕があった店員の声は、今では気合いの発声に近いような響きが生まれている。申し訳ないので、そろそろお暇しよう。男は文書を保存すると、そそくさとパソコンを仕舞った。


 冷めたサンドウィッチを食べると、さすがにチーズは固まっていたが、まだバターの風味が豊かで、美味しかった。嬉しい負けである。


 空になった皿とカップを眺めると、このまま帰るのもなんだか申し訳ないような気がしてきた。モーニングだけでずっと居座ったというのも、ちょっと格好悪い、などと、柄にもないことを男は考える。


 結果、デザートだけ食べていくことにした。今はメロンフェアが開催中で、テーブルの中央にそのメニューが貼り付けられている。いつも思うが、わりとしっかり貼りついているこのテのメニューの接着テープは、綺麗に剥がれる特別なものなのだろうか。それとも、一般的な事務用品と同じように、フェアが終わるたびに強粘着テープに苦戦するのだろうか。


 まるごとメロンパルフェを注文し、しばらく待つ。隣の席に座っている二人組の中年の話声が五月蠅い。食べながら話しているので、飛沫が心配だった。


 先日、男の兄がコロナに感染した。兄の娘も感染し、嫁と息子も自宅待機になっていたという。急に心配になってきた男は、二人組から顔を背け、できるだけそちら側の空気を吸わないように、気休めの対策をした。


 運ばれてきたパルフェも急いで食べたので、あまり味はわからなかった。生クリームを食べたのは久しぶりだということと、メロンゼリーが意外と美味しいということくらいしか残らなかった。


 会計は合わせて千五百円弱となった。朝食としては少々高いが、味は満足だ。居心地も(中年二人組以外は)悪くない。惜しむらくは、わりと人気で混んでいることと、そもそも男の行動範囲にないことである。


 もし次があったらもう少しゆっくり過ごしたい。そう思いながら、男は店を後にした。

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