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ライトピアを求めて  作者: 赤尾 常文
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第3話 マクドナルド

 体重が増えてきている。食膳に高カカオチョコレートを食べているのに。


 このままではまずいとは思いながらも、男は今日も、執筆のために外に出る。


 今日向かったのは、家から車で十五分程の場所にあるマクドナルドである。昨年できたばかりの店舗で、このあたりでは最も新しい。ドライブスルーでは、大画面のモニターにメニューが表示されるほどの最新っぷりである。


 歩いて五分の場所にもマクドナルドはあるのだが、馴染があるだけに、おそらく落ち着いて執筆できないだろうと踏んだ。そこそこ古いし。


 この最新型店舗は、ドライブスルーでは何度か利用したことがあるが、中に入るのは初めてだった。お洒落だ。男が知っているマックとは違った。まるで某コーヒーショップのような、カフェチックなテーブル配置だ。


 フロアの中央には楕円形のテーブルが二つあり、窓際にはカウンター席もある。


 ソファ席のソファやテーブル、椅子はいかにもマックなのだが、配置のせいか、どこか上質な空間になっている。


 時刻は九時。先客は二名だった。男はアプリでクーポンを立ち上げ、エッグマックマフィンとハッシュポテト、ドリンクのセットを注文した。税込み350円である。ドリンクはホットコーヒーにした。


 席は、角のソファ席にした。店側としては一人用の席が望ましいのだろうが、空いているので、テーブルが二つ並んだ、最大四人が利用できる席を陣取った。


 番号札を見えるようにテーブルに置き、パソコンを取り出すか悩んでいるうちに、注文した品が届いた。おそらく注文から五分も経っていない。いつもながら、恐るべき速さだ。


 まずはコーヒーを一口飲む。酸味もなく、美味い。普段は飲まないコーヒーを飲むことで、非日常感が高まる気がした。


 マフィンかハッシュポテトを食べてからのつもりだったが、コーヒーでスイッチが入ったのか、男は早々とパソコンをテーブルに乗せた。


 起動完了後、早速プロットのようなものを書いてみる。良い調子だ。


 男と反対の角に座っていた客が一人帰ると、定員が素早くやってきて、テーブルを拭く。このご時世なので、椅子やソファも拭いていた。


 店員は、その席だけでなく、その列を全て掃除した。つまり、男の隣の席までである。意外にも近くに来られて、男は少々驚いた。早く食って早く帰れと、そこまでの圧力は感じなかったが、ちょっとだけ緊張した。


 男は一度パソコンを閉じて、食事することにした。まずは頭がむき出しのハッシュポテトから齧る。カリカリで美味い。手が脂っぽくならないように、包み紙の上からさらに添付の白い紙で覆ったが、やはり少しだけ手がツルツルした。


 マックはこれが怖い。


 箸やフォークは無く、基本手で食べることになる。バーガーでもナゲットでも、手が汚れる可能性は高く、パソコン作業にはおそらく不向きだ。ウエットティッシュを持参すべきかもしれない。


 ハッシュポテトを食べ終えた時点で、男はまたパソコンを広げた。カフェチックな軽快なBGMに乗って、キーボードを叩く。


「スルー入りまーす」


 定員が声を上げた。その直後に、男は視界の端でドライブスルーに向かう車の姿を捉えた。


 ドライブスルーのことをスルーと言うのだと初めて知った。


 一ページ書いたところで、男はマフィンに手を伸ばす。少し冷めたマフィンは固くなることを学んだ。目玉焼きとハムとチーズが挟まったイングリッシュマフィンは、意外と腹にたまる。時刻はもう十時。あわよくばこのまま執筆を続けて、昼食もと思っていたが、胃にそれほどの余裕はないかもしれない。


 気づけば、対角線上の席、つまり、あちら側のソファ席に、一人の男性が座っていた。一生懸命に何かを書いている。学生が勉強をしに来たのだろうか。


 どうやら彼もすっかり長居を決め込んでいるらしい。今度ははさみで、紙を切り始めた。スクラップだろうか。


 そんな彼に気づかなかったのは、席が離れているばかりが理由ではなかった。コロナ対策のために各テーブルに設置されているアクリル板が何重にも重なって、互いの存在感をも遮断してくれているのだ。


 予想以上に居心地が良い。男の筆は進む。あれから店員も近くには来ないし、平日だから客もまばらだ。休日だったらこうはいくまい。だが、休日の様子もちょっと見てみたい。そんなことを思いながら、男はキーボードを叩く。


 コーヒーはまだカップの三分の一くらい残っている。セットにしては、なかなか大きなサイズである。しかも、一時間程経っているにもかかわらず、まだ少し温かい。この残りを全部腹に入れたら、おそらく昼食は食べられないだろう。男はビッグマックをまだ食べたことがなく、少し興味があったのだが、今日は諦めるしかない。期間限定のシン・タツタも食べてみたいが、とても食べられる気がしない。


 だが、簡単には諦められないのが、この男の性格であった。悪い癖とも言う。


 マックでの執筆目標時間は二時間なので、あと一時間弱書いて、その時の腹と相談することとした。敗戦は濃厚で、おそらくソフトクリームでも買ってすごすごと帰るのは目に見えているのだが、それでも男は、その時がくるまでは決して望みを捨てない。これがこの男の生き方だった。馬鹿とも言う。


 十時半前に、対角線上にいた男が帰ってしまった。長居の戦友のような気分だったのに、少し残念だ。


 その時、ふとすぐ横の壁の文字が目に入った。「お客様各位」から始まる、マクドナルド店長からのメッセージだ。そこにはこう書かれていた。


「〇〇県の要請により 新型コロナウイルス感染防止のため 滞在時間30分程度として下さい」


 男は黙って文書を保存し、パソコンを閉じた。


 こんな文章の隣で、一時間半も長居してしまった。


 恥ずかしい。


 だが、丁度良かった。先ほど入店し、男と同列の席に陣取った二人組がいたためだ。彼らの話し声はかなり大きく、集中力が削がれる。そしてなにより、見た目がサンドウィッチマンだった。


 サンドウィッチマンに対する男の好感度はご多聞にもれず高かったが、彼らに似ているだけの人は、単純に怖い。


 そそくさと席を立った男は、まっすぐにトイレに向かった。恒例のトイレチェックである。


 新しい店舗なだけあって、綺麗なトイレだった。小便器も個室も一つずつしかないが、個室は広く、おむつ交換台も設置されている。


 男は便座に座り用を足しながら、買って帰るものをアプリで検討していた。無論ビッグマックはありえない。今の時期は辻利のシェイクがあるので、それでも飲みながらゆっくり買い物をする場所まで移動しようと決めた。


 トイレ内では、店内放送が良く聞こえた。ラジオのように、男性二人が喋っている。一人はハライチの澤部氏の声に似ているが、もう一人は岩井氏ではなかった。子どもにハッピーセットを買っていくと言っていたので、間違いない。


 今日はサンドウィッチマンといいハライチといい、芸人に縁がある、などと考えていたが、急に曲の紹介が始まった。「僕らの曲」と言っている。「僕たちベリーグッドマンの曲」と言っている。澤部氏ではなかった。


 そのまま曲が始まった。なんとタイトルは『チョベリグ』だった。懐かしいことである。


 トイレから出て、レジに並んだ。曲紹介が終わり、二人組の男たち、いや、ベリーグッドマンがまた喋り始める。もう澤部氏の声には聞こえなかった。サンドウィッチマンもいつの間にか帰ったようだ。


 レジは二番目だったが、前のおばあさんは注文に苦戦していた。隣のレジに店員が来る。男は、辻利シェイクを注文した。


 すると、全く同じタイミングで、二つのレジの二人の店員がこう言った。


「すみません! シェイクの機械が故障して、今出せないんです!」


 おばあさんは男の前にいる店員を、男は、おばあさんの前にいる店員を見た。そして、その後、二人は顔を見合わせた。お互いマスクだったが、確かに微笑んでいた。


「あれー、じゃあどうすっかな……」


 おばあさんが目の前の店員に視線を戻す。


 男は仕方なく、ソフトクリームを注文することにした。東京ばな奈とコラボしたソフトクリームがあったので、それを注文した。


「すみません、シェイクと同じ機械でして……」


 目の前の店員が、誠に申し訳なさそうに言う。


 男は往々にして運が悪い、まさにベリーバットマンであった。だが慣れている。ショックではあるが、こんなことではめげたりしない。しないが、店員との間に若干の無言の時間を作ってしまったのは事実だ。


「今限定の桔梗信玄餅パイはいかがですか?」


 気づけば、男は薦められるままにそれを注文していた。百六十円也。


 隣のレジでは、何かを注文したおばあさんに対して、やはり信玄餅パイを薦めていたが、あっけなく断られていた。


 冷たいものを買って帰るはずが、暑いものを車の中で食べることになってしまった。

 パイを齧ると、高温の餅とみたらし餡に口内を襲撃された。チョベリバである。



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