第8話「凪宮きょうだいの日常は、罵倒から始めるらしい」
学生の本分が『勉強』だというのなら、その休養として『休日』があることが学生にとっての幸せなひと時と言えるだろう。
もちろんそれには僕も同意だ。
勉強が嫌いというわけではないが、それでも疲労が溜まるのが人間というもの──そしてそれに休養を求めるのもまた道理だ。
僕が通っている雅ヶ丘高等学校は、いわゆる進学校というやつらしく偏差値も60付近とそこそこ高い。
更に言えばこの学校は、勉強に対しての教育理念が優先されている。
まぁ普通の学校よりもレベルが高いというやつだ。……気になることがあるとすれば、私立校なために学費が高いことぐらいだろうか。
しかしそんな心配も、あの過保護な親のお陰であっさりと解消してしまったが。
そのお陰で現に僕は、公立ではなく私立に通わせてもらっている。本当、感謝する他ない。
そして今日は、貴重な貴重な休みの日。
のんびりと過ごし、快適に過ごすため、やることは既に決まっている。
ラノベを読む──この1点に限る。
進学校といえど、僕はテスト期間中でもなければ勉強は極力最小限だ。それに勉強なら、授業中にしてるから問題ない。
……と、言いたいところだが、今日限りはそうも言っていられない。
昨日のあいつとの会話で思い出した。今日、僕の兄が帰って来るという最大の問題を……。
✻
「…………」
カーテンの隙間から朝日が射し込む。それに加えて、ピピピピピピ…………と、激しく部屋の中に木霊する目覚ましのアラーム。
……煩いなぁ。
いつまで経っても聞き慣れない目覚ましの音を耳に入れつつも、僕は再度布団に潜る。
最早止めることさえも面倒くさい。誰か代わりに止めて欲しい……そう思えるほどに身体が怠い。いや、もうそれはやる気の問題かもしれないが。
ともかく、僕は今、動く気になれないのである。
「んんぅ……」
寝返りを打つ。起きる気ゼロである。
そんな中、僕の部屋の扉が静かに開き、そこから誰かが部屋に入ってきた。
そしてその人物は、僕に代わって喧しい目覚ましを止めてくれた。
……誰だ?
まず有力候補は妹だ。部屋が隣だし、止まないアラームを止めに来たのかもしれない。が、だとしたら開口一番に文句がくるはずだ。なら違うな……。
次は、今日家に来る予定になっていた奴――ということは、一之瀬がもう来たのか?
だとしても早すぎる。まだ朝日が完全に昇り切ってない様子だし。
……じゃあ、他に誰が?
「──こーら。いつまで寝てるつもりなんだ?」
「…………んん?」
部屋に入ってきた野郎の声だろうか。……って待て、野郎の声? となれば必然的に2人は選択肢から外れる。
それにこの声……あんまり聞きたくないと神経が疼いて収まらない。
こんな衝動にさせられるのは──僕の知る限り、ただ1人だけ。
「いい加減にしないと、無理矢理起こしちゃうぞ?」
そっと……耳元で囁かれたその声に、僕の意識は一気に覚醒した。この声……まさかあいつか!? と全身が震え上がる。
そんな僕の心境を知る由もない声の主は「じゃあ、起こしてやるよ」と囁いて、僕の心からの『待った』など聞こえるはずもなく……僕の額に──キスをした。
「~~~~っ、てめぇ!!」
瞬間の出来事だった。
反射的に僕はすぐさま飛び起き、元凶の腹に勢いよく蹴りを喰らわした。
壁にどてっ、と大きな音を立てながらも、その人物は腰を「いてて……」と摩りながら静かに起き上がった。
「いきなり何すんだよ……。酷いじゃないか」
「酷いのはどっちだ! 後いきなり何すんだよもこっちの台詞だ、バカ兄貴!!」
滅多に上げない僕の罵声。
上げる相手などほとんどいない僕にとって、それだけこの相手は貴重だということになる。いや……そんな貴重さも要らないが。
相手は僕よりも断然背が高くモデル体型、煌びやかな容姿から成り立つ顔立ちは、とてもじゃないが同じ親から産まれた人間だと思えない。
「バカとはなんだバカとは」
「事実を言ったまでのことだ。他人の部屋に入るなと何度言わせる気だ」
「どうして弟の部屋に入っちゃいけないんだ? お兄ちゃんは悲しいぞー?」
「喧しい! とっとと寮に帰れ!」
「わざわざ休みの日になんで男っ気臭い大学に戻らないといけないのさ。まったく、完全に騙された」
「確認しない兄貴が悪いんだろ。お陰で我が家は平和だったけどな」
「けどまぁ、余計に楽しみが増えたけどな! こうして実家に帰って来る楽しみがあるのは、全て俺だけの可愛い弟に会うために……!!」
「それを喧しいっていうんだよ!」
僕の3つ上の兄貴で、理学部首席入学を果たした天才──凪宮恭介。
そして……これは僕達“きょうだい”の間柄と、幼馴染の一之瀬しか知らないこと。何を隠そう、この『天才』と呼ばれた兄貴は──異常なほどのブラコンである。
何故妹じゃなくて僕!? と思ったこともあるが、妹に行ったら行ったで安心できん!
そうして、僕と兄貴の間で口論が起きている最中、隣の部屋から廊下にかけて、バタバタとわざとらしく大きな音を立てて近づいてくる足音が1つ。
やがてその正体は僕の部屋の前で鳴り止み、扉を勢いよく開け放った。
扉の先には、まだパジャマ姿の僕より少し小さい身長で、結んだばかりらしいポニーテールの少女が仁王立ちしていた。
「──兄さん! 朝から煩いし、無駄に晴兄を困らせないの!」
可愛げがある鋭い目つきで兄貴を睨むのは、僕の1つ下の妹──凪宮優衣だ。
今年受験生であり、このバカ兄貴をセーブ出来る歯止め役だ。
……苦労をかけるな、妹よ。
「そんなつれないこと言うなよ、優衣。それとも、自分にも構ってほしいという自己アピールなのか?」
「どこまで脳みそ腐ってんのよ、バカ兄貴」
「そう言うなって! そうなんだろ?」
「もしそんなことしてきたらセクハラで訴えるから!」
「つれないこと言うなよ! ただの兄妹のスキンシップだろー?」
「んな兄妹のスキンシップがあってたまるか、いい加減にしろよアホ兄貴」
「……もう。この弟妹、なんでこんなにもお兄ちゃんに対して冷たいんだろ。昔なんて──『おにいちゃーん!』って言いながら、俺の後ろをひよこみたいにくっついてきてたっていうのにさー……」
「「黙れ変態」」
落ち込む兄貴に追い打ちを仕掛けるが如く、僕と優衣は同時にそう吐き捨てて、そのままリビングへと降りる。
これが僕達の日常。
凪宮“きょうだい”の、いつも通りの光景だ。