第17話「幼馴染は、私のことを名前で呼ばない」
私──一之瀬渚には、いわゆる幼馴染というのが存在している。
その幼馴染はいつでも周りに無頓着。何にも好奇心を持つことはない人だった。
更には周りと極力接せず“あかの他人”以上の関係を築こうとはしない。唯一周りとの扱いが違うのが私だけ。
そんな差が私にとってどれだけ嬉しかったことなのか……きっと、あの幼馴染は理解していない。否、理解すらしようとしないだろう。
そう、私は幼馴染のことが好きなのだ。
過去15年間、幼馴染として関わってきた彼のことを、私は次第に好きになっていった。
このことを知っているのは──幼馴染の彼と、その妹と兄だけ。余計なのが混じっている気がするけどまぁいい。
彼のことを『好き』だと理解したのは、今から3年前に遡る。
ただの幼馴染──そう割り切っていれば、きっとこの想いには気づかなかった。
でも出来なかった。
あの頃の、まだ若気の至りが繰り返されているであろう、中学時代の私では……。
✻
中学時代、私は彼と常にクラスが一緒だった。
──でもクラス内で彼と直接対話したことは、一度もなかった。
理由は単純明快──彼が私との立場の差というやつを気にしていたから。
お陰で私は今の生活と変わらず、容姿のせいで要らない『特別扱い』を受けていた。中には何人か告白してきた人も居たけど……そんなの、どうでもよかった。
私が気にしているのはたった1人だけ──教室の端っこの席で、机に頬杖を付きながら静かに読書している、自称“根暗ぼっち”の彼だけだ。
頬杖のお陰で少しだけ輪郭が丸っこく見える。……ダメだ、今日も可愛い~。
隙があれば、私はクラス連中に囲まれながらもその場を動こうとしない彼のことをひたすら見ていた。
思えば、この頃から完全に意識していた。
どうしてあんなにもカッコいい彼を誰も見ようとしないのだろうか。あんな根暗な印象が纏わる彼が良いというのに。
最早私の気持ちは『幼馴染だから』という理由では片づけられない何か……それが私の中にあったように思う。
凪宮晴斗──それが彼の名前。
私は彼のことを愛称として『ハル君』と呼ぶようになった。
いい加減名字呼びから卒業したかったし、何より本人も嫌がっていないように思えたから。嫌がったら呼ばないし、好きな子が嫌がっていることをわざわざする道理もない。
……だけれど、私には1つだけ、納得出来ないことがある。
『一之瀬、これ課題』
『一之瀬、プリント回して』
『一之瀬、邪魔すんな』
と、ご覧のとおりだ。
ここまで話せばさすがにわかるだろう。
そう、彼は私のことを名字でしか呼ばないのである。
……何で? 何で私は名字呼びなの? 私は特別なんじゃないの?
私は焦っていたのだ。彼に……ハル君に『渚』と呼ばれないことに。
他人行儀が基本のハル君からすれば、何の疑念にもならないのかもしれないけど、私はそうじゃない。
他人まで同類ならそれでいい。──けれど、そうではないから私は拗ねている。
彼にはたった1人だけ、心を許すクラスメイトがいるのだ。
──よぉ! これサンキューな、助かった
──別に平気だ。それより、偶には顔出せよ委員にも
──悪い悪い。他の部から助っ人頼まれてて……
……あの他人行儀で有名なハル君が、あいつにだけは二言目を利いたのだ。
──あ、そうだ。変わりって言っちゃあなんだけど、これ読むか?
──そ、それ、最新刊! 買うの諦めてたやつ……
──晴、欲しいって言ってたろ? 貸すだけなら許してやるぞ?
──……何で上から目線なんだよ、透
普通だったら、ありえない光景なのだ。
あのハル君が……幼馴染でもないクラスメイトに、名字呼びではなく、名前呼びをしていることが。
ハル君より少し身長が高く、如何にも陽キャな雰囲気な彼は、ハル君と同じ文芸部の部員兼クラスメイト──藤崎透君だ。
……多分、私が唯一このクラスで仲良くなれない奴だ。
その理由など決まっている。──彼が気に入らないから。嫉妬しているから。
八つ当たりなのも、醜さに溢れた嫉妬なのも理解している。……わかっているけど、どうしても『ずるい』と感じてしまう。
彼のことを名前で呼ぶ度に、あぁ……彼は特別なんだ、と思い知らされる。
しかしハル君に訊いてみても「ただのラノベ仲間だが」と、それだけの答えが返ってくる。何回も、何回も訊くのは、さすがに鬱陶しいだろうな……。
同時に思う。私は、彼が羨ましい。
あんな風に日常的に彼と関われる藤崎君が。あんな風に親しい友人として彼の側に居られる藤崎君が。
だから私は呼ばれたい──。
彼に、幼馴染であるハル君に、私が大好きなハル君に。──私は名前で呼ばれたい。
私はハル君の特別になりたい。その証である名前呼びが……私は欲しい。
……幾度と見る可能性。
呼ばれることで、私の中にあるこの感情にもケリがつけられる気がするから。
そうしたら、少しでも私のことを意識してくれるような気がするから。
過去15年間──私が一度も呼ばれたことがない、私にとっての特別の証が欲しい。