今回の戦争と和睦の費用が正式に弾き出される前に騎士団長を引退しよう。
「臭いな」
「臭ぇですなぁ」
「臭い」
「臭いです」
昨晩は暗殺者襲撃以降は何事もなく朝を迎え、予定通り王都へ向けて出発したはいいが、道端はゲロの据えた臭いが漂っていた。
隊列の中央に位置している第三騎士団が護衛する護送車周辺で、俺、グラウ、シュライザー、リッツは前を歩いている中央軍が吐き出したゲロの臭いに辟易していた。
「街道から百歩離れる暇もなくその場でゲロった奴がここまで多いとはな」
「進軍始めてから即刻で止まったのも、ゲロが連鎖したからでしょうねぇ」
「一人が吐いたら臭いにやられて周りも吐いて、気づいたら小隊全滅したのかもしれませんね」
「いやいやシュライザーさん、中隊以上の規模じゃないと進軍止めたりしませんよ」
いずれにしろ相当な人数が吐き続けているのは間違いない。
「また前の奴らが吐いてるな」
「後ろの奴らも吐いてますよ」
「これは、兵士達の腹の中身が全部なくならないと終わらないんじゃないですか?」
「腹の中身を全部出しても終わらないですよ」
当初用意された酒と街の住人達が持ち寄った酒を勧められるがままに飲み続けた兵士達は、きっと今まで飲めなかった分まで飲んだに違いない。
「ゴルズのじいさんも二日酔いに…なってないだろうな」
「ドワーフが二日酔いになってるとこなんて見たことねぇですよ」
「ゴルズ男爵の部隊、恐らく誰一人吐いてないでしょうね」
「一人一樽は飲んでそうですよね」
一樽で済めば良いが。
この宴の経費、いくらかかったのか見るのも見せるのも怖い。
今回の戦争と和睦の費用が正式に弾き出される前に騎士団長を引退しよう。
「しかし失敗したな、前後は足の早い奴らじゃなくてドワーフで固めればよかったか」
「足は遅ぇですが誰一人として吐かないでしょうねぇ」
「彼らなら逆に体調は万全でしょう」
「でも挟めるほど人数いないですよ」
我が国のドワーフは人口の一割弱、そのほとんどがゴルズ男爵領に住んでいる。
ゴルズ男爵領はドルグド山にある鉱山を中心として栄える鉄の町で、もちろん鉄以外にも色んな金属が採れるが、ドワーフが国内の他の鉱山でなくここに集まる一番の理由は、ミスリルが採れる事だった。
どのドワーフも人生で一度はミスリルを扱ってみたいと思うものらしく、そのためドワーフは基本鍛治仕事以外につかないから兵士そのものの数が少ない。
リッツのいう通り挟めるほどの人数はいないのが現状だ。
「せめて前方だけでもドワーフにすれば目の前から草むらにむかって走っていく兵士を見なくて済んだのになぁ」
「こう何度も見せられると暗殺者とは別の意味で不安になってきますねぇ」
「緊張感が保てないといいますか」
「何か脱力感が」
それから最初の交差点まで途切れる事なくゲロは続いたのだった。
「団長、辺境伯領都へと続く街道を封鎖していたアベイル殿たちが見えたであります」
護送車の上からホーキンスの報告が聞こえてきた。
アベイル達が封鎖していた街道は辺境領都に続く一番近い道で、昨晩襲撃してきた奴らが隠れている可能性が高い道だ。
ホーキンスの報告からさほど時間をおかずにアベイル達と合流して報告を受ける。
「街道は事前に通達がされていたからか人が全然こなかったです。怪しい奴も見当たりませんでした」
「ご苦労。このまま合流して先へ進むぞ。ホーキンス、道の奥になんか見えたか?」
「何も見当たらないであります」
「そうか」
辺境領都への街道は見通しがよくあまり隠れる場所がないから見える範囲にはいないのは想定内だ。
あの偽酔っぱらい兵士はまず部下を一当てさせ、自分は見晴らしの良い高台辺りで高みの見物をしているタイプに違いない。
そうなると怪しいのが、この次の街道との間にある岩場あたりじゃないかと思っている。
「ホーキンス、あと一時間くらいで右側に岩場が見えてくるはずだからそこを鷹の目で確認しろ」
「了解であります」
ホーキンスの特技、鷹の目は千里先までとはいかなくても一キロ以上先まで見通せる。
敵さんはこちらが気づいていないとたかをくくってる所にホーキンスの矢で一撃いれてやる。
やがて、ホーキンスから岩場が見えたので鷹の目で確認すると報告が入った。
周囲の騎士達にもわずかに緊張感が漂ってきた。
「団長、敵を発見したであります。岩場の上から二十名ほどの黒づくめの集団が辺境伯軍を観察しているであります」
「よし、弓矢隊、攻撃範囲に入り次第射ってかまわん」
俺の言葉にホーキンスを筆頭に護送車の上にいた弓矢隊が一斉に矢を放った。
「手を休めずに射ち続けるであります!」
それから五発ほど矢を放つと、ホーキンスが停止の合図を出した。
「敵、十名ほどに命中。その内五名は片付けましたが残り五名は不明。敵は岩場から撤退した模様」
「半壊させたか、流石だな」
普通ならここまで被害がでれば撤退もやむなし、と判断するだろうが、恐らくそうはならないだろう。
辺境伯軍の兵士が前方から駆けてくると、フリックからの伝令を伝えに来た
「報告!フリック騎士から伝令です!『左から匂います』だそうです!」
「ご苦労。フリックには了解したと伝えてくれ。全員に告ぐ、恐らくあの岩場の先から黒づくめどもが強襲してくるだろう。だがそれは囮だ。反対側の林から本命が出てくるだろうから警戒しろ。ホーキンスはその林側のどこかに偽酔っぱらい兵士がいるはずだから今度は額を射ぬいてやれ」
「「「了解です(であります)!」」」
「辺境伯軍の諸君は前列がこちらの指示に従って右側に防御隊列を組め!後列もこちらの指示に従って左側に防御隊列を組め!」
辺境伯軍からも了解の返事がきて、それからすぐに右側から動きがあった。
「団長!右側から騎馬が五騎!」
「前列!防御隊列を組め!ホーキンス、何か見えたか?」
「!団長、居たであります!偽酔っぱらいであります!」
「後列!防御隊列を組め!ホーキンス!今度は避けられるなよ!」
「団長!奴ら何か手にもってる!」
リッツの指摘に目をこらすと、黒づくめの騎馬は全員手に瓶を握っていた。
「野郎!あいつらを近づけさせるな!弓矢隊!馬を殺せ!」
弓矢隊がすかさず馬を射って黒づくめを落馬させる。
最初に敵を減らしたおかげでこちらは一射で全騎が倒れた。
何人かがその場で毒瓶を割り落として自分達が毒に巻かれる。
「毒だ!迂闊に近づくな!辺境伯軍右列、石を投げて殺せ!」
「団長!左側からも来ましたぜぇ!こっちも毒持ちだ!」
「弓矢隊!左側の奴らを近づけさせるな!辺境伯軍左列も石でも剣でも盾でもかまわん!何かを投げて距離を取れ!」
俺も投げナイフを片手に突出してきそうな奴を片っ端から殺していく。
「何でもいいから投げつけろぉー!」
何とかこちらに近づく前に敵を全滅させることに成功した俺達は、一人も被害を出す事なく襲撃を乗り越えられた。
「最悪な奴らだったな」
「まさか、全員毒瓶持って特攻してくるなんざイカれてますぜ」
「ナイフが予備まで無くなってしまいました」
「僕、途中から何も投げるものなくて見てるだけでした」
護送車の周辺は酷い有り様だった。
石がなくなって自分たちの剣や盾、手甲やすね当て、胸当てまでとにかく投げまくって黒づくめを撃退した左右の辺境伯軍。
こちらにたどり着く前に自分たちの毒に巻かれて血を吐いて死んだ黒づくめども。
幸い風がなかったため毒がこちら側まで流れてくる事はなかった。
弓矢隊も矢のほとんどを射ち尽くしていた。
「ホーキンス、偽酔っぱらいは仕留めたか?」
「五射目でやっと仕留めたであります」
「ご苦労」
とにかくまだ毒が残っているかもしれないと俺達は急いで先に進むのだった。