9話
店頭の電灯は消され、中を覗くと生薬の並べられたショーケースの奥に人がいます。明らかに営業時間外なのですが、部長は構わずショーケースへ向かっていきます。頼んでいた漢方薬でも取りに来たのだと合点した僕は、入り口で待っていました。すると中から、「早く入ってきなよ、ここだよ」そう言って手招きします。
僕は固まりましたが、従うほかありません。部長は店の奥の扉をあけてずんずん行ってしまいます。とぼとぼついて行くと、ケース前に立った年老いた店員が微笑みながら頷いてきました。
黒塗りの框を越えると、六メートルほどの奥行きの薄暗い空間がありました。一枚板のウッドカウンターの前に七つの革張りのスツールが置かれたそこは、バーのように見えました。
部長は慣れたように奥まで進み、腰掛けます。面食らって立ち尽くしていると、部長は座面を叩いて合図しました。
「何のお店なんですか」座りながら聞くと、
「酒をだすところだよ。今日も開店休業だな、この店は」と呟きます。
すると誰もいないと思っていたカウンターの中から声がします。
「あなたが来るからだよ早庭さん」
並んだリキュールの瓶の下からぬっと男がでてきました。
「あなたが来ると、客足がぱったり途絶える。商売あがったりだよ」
「そんなこと言っていいんだ。私が来ない方がいいって、え」
「いえいえ、大事な常連さまですから、毎日でも来てもらっていいんです。店は潰れるかもしれませんけど」
店長らしい若い男は通りの良い声で、はははは、と笑ってみせました。こんなやりとりは馴染みらしく、部長も、それじゃあ毎日来よう、などと冗談を返します。
「ところで今日は珍しくお連れさんがいるんですね。もしかして息子さん?」
「いやいや、会社の若いのをね、気晴らしに連れてきたのよ」
僕より数歳上に見えるその人は、僕を見て、カツヤです、と名乗ったので、僕も慌てて応えました。
「森原くん、ここはハーブ酒を出す店なんだ。彼は、手前にある漢方薬店の孫でね、ハーブと漢方なんて商売敵だろうに、よくお祖父さんもやらせてくれてる」
「ハーブと漢方は呼び方が違うだけで、使っている植物は同じだったりするんですよ。東も西も同根なんです」
「そういうことらしい」
「ハーブ酒ですか」
「そう、メッカはヨーロッパだから、うちの店ではイタリアを中心に各国のリキュールをそろえているんだ。いわゆる薬酒だね」
「薬酒と言ったって、病人だから飲む訳じゃないんだ。まず美味しく、からだへの作用は備えみたいなもんだ」
「そうですか、ハーブには馴染みがなくて」
「まあ、試しに飲んでみればいいさ。それじゃ、カツヤくん、チェコの奴を二つ」
「はい、いつものようにロックで」
カツヤさんは背面に整列された無数のリキュールボトルから迷いなく、澄んだグリーンの瓶を取りました。見慣れぬその瓶の色形が僕にはヘアトニックにしか見えず、密造の危ない酒なのではと疑います。かち割り氷を鳴らしながらグラスに注がれた液体は、ジャスミンの色に似た薄黄色です。