7話
五分以上小便器の前で立っていてもおしっこはほんの少ししか出ず、それでもあの空間に戻るのが億劫で立ち続けていました。
ドアのひらく音がして、つかつかと誰かが僕の隣へ立ちました。
「やあ、明日から長期休暇らしいじゃないか。いいなあ」
僕ははっとしてその人の顔を見ました。先ほどの赤ら顔の紳士でしたが、よく見れば以前会議で声をかけてきた早庭部長なのでした。驚いて声を出せずにいると、
「こんな場所で話しかけるのはマナー違反だったかな。さっき君のこと聞いたんだよ。噂では聞いていたんだけどね。休むことになるとは思わなかったよ」
部署の皆が知っているのはもちろんでしたが、そこまで伝わっているとは思いもしませんでした。
「申し訳ありません」
僕は便器の手前、首だけ半端に折って謝ります。
「いいんだいんだ。からだの方が大事だからな」
そう言ってにっこり笑います。
便器から離れるタイミングを計っていると、部長はなおも話し続けようとします。
「こんなところで会ったのも何かの縁だ。違う店で飲みなおさないか?」
僕は返事に迷いました。荒川さんとの時間でさえ気詰まりなのに、あまつさえ面識のない部長と過ごすことは拷問です。局部に手をやったまままごついていると、こちらの気持ちを察したように部長は言います。
「いいんだ、強制するつもりはないから。あまり若い同性と飲む機会なんてないから誘っただけなんだ。君にも都合があるだろうしね」
そう言い、ふうと息を吐いてからだを縦に揺らすと手洗い場に移ります。器に落水する音が響き、手先を振って飛沫をとばしています。
「僕のようなものでよければお供します」
そう言った後、僕はまたやってしまったと思いました。考えもしないうちに、口はイエスと発してしまうのです。
「そう、私が部長だからって気を遣わなくていいんだぞ」
「いいえ、こんなお誘い滅多にありませんから。僕でよければ」
「そうか」
部長が嬉しそうに目尻を下げるのを見た後、胸の内で自分を責めました。僕は嘘つきです。