5話
二
プロジェクトが進み、実施が近づいてくると夜も遅くまで働くようになり、手洗いへ行く回数はどんどん増えていきました。からかっていた同僚も僕の血色がみるみる内に悪くなっていくと心配し始め、会社にいる間は一時間に二度も三度も手洗いへ立つので、いっそのことワークスペースを手洗いに移した方が良いようにも思えました。けれどこの状況、いや症状と言っていいと思いますが、気づいた時には深刻で、泌尿器科と心療内科の両方へ通う羽目になったのです。
どちらの医者からもストレス性のものだという診断をされ、そこからは薬漬けの日々です。脳と腎臓に働きかける化学物質を数種類、朝昼晩しっかり処方通りに飲み分けて一週間も経つと、もう立派なジャンキーです。見るもの聞くものはぼやけて感じられますし、急な眠気と入眠障害が併発し、頻尿はいくらか改善されたものの、診断前とその後ではどちらが健康だったか分からない有様でした。もちろんそんな状態では仕事など碌にできるはずもありません。ケアレスミスは多くなりますし、人が伝えてくる言葉の意味を捉えることが難しくなるのです。
医者にも言われましたが、この症因は仕事上のストレスの過多ですから根治を目指すならペースをゆるめるか会社に行かないようにする必要がありました。僕はその選択をするのがこわく、からだを壊すと分かっていながら薬で自分を騙しつづけました。
そして僕はプラモデルになりました。四肢と首の大きな関節しか動かない古い人型です。冗談ではなく、自分が人間でなくなり、プラスチックになっていくのが分かるのです。
あらゆる部分が硬く、動かそうとすればぎしぎし鳴り、無理に曲げようとすれば欠けてしまう不安すらありました。しかし、尿だけは出続けていました。排尿が僕にただ一つ残された人間性のように思えてくると、それだけのために生きている気さえしてどっぷり暗い気持ちになっていくのです。
数ヶ月かけて僕から健康が失われつづけた結果、ついには見かねた上司から休職願を出すようにと、ほとんど命令に近いかたちで告げられ、僕はそこでやっと休む決心をしました。二ヶ月間の休職です。あまりに遅い決断ではありました。自分の実直さを長所だと思っていたのです。けれどそれは、思い上がりの思い違いです。何に実直であるべきか全く分かっていない間抜けの所業なのです。
名ばかりではあるもののプロジェクトの引き継ぎをし、休職を翌日にひかえた日、上司の荒川さんから呼びつけられました。叱責でもされるのかとのろのろ彼の言葉を待っていると、ぶっきらぼうに「飲みに行くぞ」と誘われました。
僕は抑揚のない口調で、「はい」と応えました。
部下とそういったコミュニケーションを取るような人ではなかったので、彼なりの気遣いだったのでしょうが、 判断がおぼろになっていた僕は投げかけられた言葉に対して、いつも通り反射的にイエスと言っただけのことでした。