42話
十九
居酒屋へ入るなり、ひしめく酔客の騒ぐ声で僕は耳に痛みを感じました。脂っこい下品な匂いもしますし、動物を詰めこんだこんな檻のような空間で、大事な話などできはしません。待ち人の話を餌に、ただ飲みに連れてきただけなのじゃないかと疑っていると、案の定彼は駆けつけにビールの大ジョッキを二杯飲み干して、僕にもどんどん飲むよう強いてきました。僕は逸る気持ちを抑えながら付き合いました。荒川さんは片手を常にジョッキへ添えながら、仕事のことや中途半端に聞きかじった社会システムへの愚痴をさも自分が考えついたかのように語り、僕が気を利かせて大げさに頷いたり相槌を打ったりすると、ご機嫌な赤ら顔で歯を見せてきます。
早庭さんと比べ、なんて低俗な人間なんだろうと蔑みもしましたが、腹の内に納めて聞き役に徹しました。話は方向を定めずあちこちに飛んで、僕の不調や復帰にも及びましたが、どの言葉もちくちくした不快音に感じられます。僕が聞きたい話は一つでした。ただ一つのことが僕の関心を引くのです。
「それで、うちの部署の米村君、彼女気立てはいいんだけど、どうしても顔がなあ」
二度同じ話を繰り返すようになって、僕はもう堪えきれませんでした。
「さきほどのお話ですけど」
荒川さんは真顔で、
「え、なんだっけ?」と、とぼけてみせます。
僕は怒りを感じました。わざとそう言ってみせているのです。
「ロビーで話した待ち人のことです。知ってるんですよね」
「ああ、そのこと。で、君の待ち人は誰なんだい?」
あくまでしらを切る彼の態度にいらいらとして酒をこぼしかけましたが、ここで怒ってしまっては聞けるものも聞けなくなってしまいます。
「早庭さん、いえ、早庭部長のことです」
「え、ああ。早庭部長を...」
三文役者の顔をした荒川さんはテーブルへ静かにジョッキを置き、そわそわし始めます。勇気を出してこちらから告げたのですから、早く情報が欲しく、荒川さんを睨みつけました。彼は迷うように僕を窺って口をひらきます。
「私はてっきり君の待ち人が女だと思っていたんだ。同じフロアの清家さん、あの子のことを待っているんだと。部内で噂になっていたからね。彼女に振られたから気を病んで休職したんだって。そうして復職してからも、彼女にアプローチしようとしているって、そうだとばかり私も部内の皆も思っていた。私は、止めるつもりで今日誘ったんだ」
「そんな根も葉もない...」
僕はその清家という女が同じフロアにいる事すら知りませんでした。どうして接点もないその女と僕の関係が結ばれるのか。身に覚えのないことです。




