37話
十六
日曜の朝、管理会社に鍵を渡して外へ出ると雲ひとつない空でした。こんな明るい空は見たことがありません。新生活には最良の日。晴れ晴れとして、僕はスーパーへと向かいます。
早庭さんが僕のために料理をつくってくれているだろうことは想像できましたが、今日という日だからこそ何かしてあげたかったのです。けれど、その何かが僕にはちっとも思い浮かびません。ほとんど料理らしい料理をつくったことのない僕です。店内で食材を眺めて周回した挙句、味噌汁か簡単な炒め物ぐらいしかつくれないことを思い出して、煮込みうどんをつくるための三、四品と食後のプリンを選ぶだけに留まりました。料理好きの彼の口に合うものをつくれる自信はなく、薄味のシンプルなものであれば、火加減や包丁さばきが下手な僕でもなんとかなると思ったのです。
早庭さんはきっと喜んでくれるはずだと思いました。振舞う料理や味など問題ではないのです。僕が初めて彼にしてあげること。それを彼は汲み取ってくれるはずです。時計を見るといつの間にか昼近くで、僕は駆け足でスーパーを後にします。
門前でチャイムを鳴らすと、二日ぶりに早庭さんへ会える嬉しさが僕の内で反響します。
今日から僕たちは初めて一緒に暮らし始めます。彼の顔を見たら、僕は抱きしめてしまうかもしれません。
応答の気配がなかったので、間隔を置いて二度チャイムを鳴らします。しかし、いくら待ってもインターホンはつながらず、彼はきっと、トイレか朝風呂にでも入っているのだと思いました。僕はしばらく待って、今度は敷地内に入り、ドアを叩きます。僕が来たのだと分かるように大声で彼の名を呼んで。
しかし、数分にわたって呼び続けても彼は出てこず、ドアにも鍵がかかっています。仕方がないので家をぐるりとまわり、勝手口や窓という窓に手をかけてみましたが、どんな小さな開口部もしっかり施錠してあるのです。僕は困ってしまいました。居るはずなのに不在なのです。
居留守をつかっている。そのようなことは考えもしませんでした。僕の来宅を知っていて、家に上げないなんて早庭さんがするはずないのですから。僕らは家族同然で、いや、おしっこを愛するという固い絆で結ばれた同士なのです。多分止むに止まれぬ急用で、今頃仕事に励んでいるのだと思うことにして、その労をねぎらうためにも、彼の帰りを待とうと思いました。
夜の九時を過ぎても帰ってこないと、さすがの僕も心配になってきました。休日出勤の上、遅い時間まで働く彼が不憫に思えてきます。もしかしたら夜を徹しての仕事かもしれません。二日前に会った時でさえ、疲れが目に見えていた彼です。帰ってくる頃にはやつれていることでしょう。
彼がそんなになってまで仕事へ打ちこんでいるのなら、僕も待たない訳にはいきません。どんな状態であっても、笑顔で出迎えてあげたいのです。
夜が深まるにつれ気温は下がり、腹も減ってきました。傍のビニール袋には食材が入っていますから、僕は空腹に負けて、何度も手を伸ばします。けれどその度、やつれた早庭さんの姿が浮かび、唾を飲んで思い留まりました。
夜も天辺を過ぎ、僕の頭には彼の不幸が連想されるようになりました。どこか僕の知らないところで倒れているのじゃないか、車の事故に巻きこまれてしまったのじゃないか。そんな不吉なことばかり浮かんでくるのです。こうなって初めて、僕は彼の電話番号さえ知らない自分を恨みました。連絡さえとれれば、対処の仕様があるというのに。自分の愚かしさを罵りながら、外気の冷たさより早庭さんの身に降り注ぐ不吉なイメージに凍えて震えます。僕はずっと何もできないままなのです。できることといったら、ただ帰りを待つばかり。
「待つ、待つ、待つ、待つ・・・」
そう何度も唱えながら、暗い門を見つめていました。




