34話
十四
準備とは名ばかりの掃除をして一週間が過ぎ、引っ越しの迫った木曜の晩、僕たちは珍しく外で落ち合って薬酒バーに行きました。
「今日は前祝いだ」
早庭さんがカウンターに着いて早々言うと、すかさずカツヤさんは聞いてきます。
「何の前祝いなんです?」
「それはもちろん私と森原君の前途にだよ」
「ああ、それはめでたい。昇進でもされるんですね」
僕たちは目配せして頷き合い、クコ酒の入ったグラスを掲げて静かに乾杯しました。カツヤさんには僕たちの同棲を伝えていなかったとみえ、今回の引っ越しも言わないようです。男二人で一緒に暮らすだなんて知られれば、あらぬ誤解を抱くでしょうから、その方が良いのです。
「早庭部長、お仕事の方は忙しいですか?」
カツヤさんがおどけて言うと、早庭さんは眉をひそませて「ぼちぼち」と応えます。よく見ると早庭さんは少しばかりやつれ、疲れた様子です。ここ一週間ほど帰宅は遅かったですし、仕事上のストレスを抱えているのかもしれません。有能な彼でも、疲れることがある。それは僕を喜ばせます。部分的にではありますが、僕と早庭さんは同じなのです。
僕はそこで、自分が休職中の身であることを思い出しました。復帰もそろそろですし、再発の不安がふっと頭をよぎります。けれど、もう僕には早庭さんがいます。仕事や健康面で不調があれば相談できるのですし、早庭さんが不調の時は微力ではあるものの、僕が支えていけばいいのです。僕たちならば、それができると思いました。
「これからは朝食、僕がつくりますね。慣れたら夕食も」
彼にそっと耳打ちします。早庭さんは目元を緩ませずに口元だけ笑ってみせます。やはり疲れているのか、薄い反応です。僕は、少しでも元気になってもらいたいと思いました。
「引っ越しが済んだら、また遠出しましょう。僕が運転しますし、早庭さんが行ったことのないおしっこスポットを探しておきますね」
彼は、「ありがとう」と小さな声で言いました。それから一時間ほどゆっくり飲んで、僕たちは帰ることにしました。タクシーをつかまえるために大通りまで歩いていく途中、早庭さんは徐に僕を振り返ります。




