30話
十一
彼の家へ着くと、僕はいつの間にか帰ることを忘れていました。そしてそのまま彼のつくった夕飯を食べ、次はどこへ行こうかひとしきり話したあと、お風呂を頂き、リビングで映画を見ながら寛ぎます。今までもずっと、そうして暮らしてきたかのように違和感などなく、ごく自然に僕たちの共同生活は始まりました。
彼は居てくれとも、帰れとも言いませんし、共同とは名ばかりの居候ではありましたが、いつの間にか彼も僕も同じ屋根の下で寝起きすることが日常になっていきました。彼が昼間会社へ行っている間、僕はつくり置きされたものを食べてのんびり過ごし、掃除くらいはしましたが、その他のことは全部早庭さんがしてくれました。夜は二人で夕食を済ませたあと、彼の持ってくる泌尿器系の医学書や精神世界の本で良いおしっこの学習をします。週末になれば必ず二人でドライブにでかけ、仲の良い親子か、歳の離れた兄弟のように暮らし始めたのです。
映画館、プール、スパ、和洋中のレストラン、それに僕の体力が回復して登山にも行くようになると、一ヶ月は突風に吹かれる雲のように過ぎました。他人と暮らすことなど考え難いものだったはずで、こんなにも楽しく満たされるものだとは思いもしなかったのです。ここに来て僕は初めて、暮らすという実感を得たのです。時折、早庭さんは「会社で君のことを心配する人がいた」と伝えてくることがありました。よくよく聞けば荒川さんのことでしたが、僕にはどうでもいいことでした。今この生活を楽しむことが何よりも大切で、二人で過ごす時間の外のことは虫の羽音のような雑音なのです。
僕たち二人はどこにでも出かけていきましたが、彼に聞くと、場所の選定には基準があったようです。大きなトイレがある所、もしくは気兼ねなく排尿できる所、です。僕に良いおしっこを教授するのが彼の第一目標でしたから、小便器が一つ二つあるぐらいのトイレでは役不足だったのです。個室のトイレはもってのほかで、そこには文字通り便器が一つしかない訳ですから彼が手取り足取り僕を導いていくのには狭すぎたのです。
早庭さんは、僕が手洗いに立つとついてきて、背後でフォームをチェックし、変に力んでなどいると、後ろから僕を抱いて矯正しました。放水している最中におちんちんを掴まれることもありました。けれど、僕はもうそんなことで彼を恨んだり怒ったりする気持ちなどなく、彼の言うままを受け止めて自分のからだを整えていきました。
男同士でそんないやらしい、と思われるでしょうが、早庭さんのすることは全て僕を思ってのことなのです。
楽しむためのからだづくり。それがどれだけ大事なのか、僕は気づいたのです。




