26話
九
こつこつ こつこつ。
僕は森のなかで高木を一心につつくキツツキを見上げていました。速いドラミングで脳震盪を起こさないのか心配で根元をぐるぐるまわっていると、キツツキはお目当てのエサを見つけて啄ばみ始めました。小さな嘴をハサミのように使って飲みこむと、こちらへ向かって飛び降りてきます。そして僕の肩へとまると人の言葉で言うのです。
「おはよう、朝だよ」
はっとして首をまわすと、キツツキはもういません。白いシーツが波打っています。
夢でした。
けれど、覚めてもまだ同じ声が僕の頭上で響きます。
「そろそろ起きなよ。朝食にしよう」
上向くと早庭さんの顔です。驚いた僕は咄嗟に毛布をかぶってしまいます。
「ははは、寝ぼけているのか。待っているから支度して下りてきてくれ」
彼が出て行った後、おそるおそる顔を出し、置き時計を見ると、七時を過ぎています。寝過ごしてしまったことを今更悔いても仕方ありませんが、自分の決意がどれだけ弱いものなのか思い知らされます。溜息をついた後、僕はいそいそと顔を洗い、身支度を整えて下階へ下りました。
僕がリビングへ行こうとすると、後方の手洗いから、
「今用を足しているんだ、待ってて」と大きな声がします。
床に座っていると、ほどなくして早庭さんはグラスをもって現れました。
「飲めよ、美味しいぞ」
しゅわしゅわと泡立つ蛍光イエローの液体が満たされていて、手渡された僕はぎょっとしてしまいます。そんな僕を笑って、
「大丈夫。君が思っているようなものじゃない。ただのおめざだ」
からかわれているのが分かっても飲む気はしませんでした。それでも毒を食らうつもりで一口つけると、彼の言うようになんてことはない着色された炭酸飲料なのでした。飲み終えると早庭さんは、
「飲尿健康法ってあるだろ。尿を飲むだなんて信じられないよな。私もちょっと舐めたことがあるけど、あんな苦いものよく飲めるよ。ばっちいと思わないのかな」
と、おかしな共感を求めてきます。そんなことどうだっていいのです。
「いくら健康にいいったってねえ、尿は飲むもんじゃないよ。私は出す専門だからね、君もそうだろ?飲むより出す方が気持ちいいに決まってる」
僕は上辺だけの同意を示すために頷き、帰宅するタイミングを見計らってそわそわしていました。
「そうそう、そんなことはどうでもいいんだった。今日はドライブに行こうと思ってるんだ。朝食もその行きしなに食べよう」
「僕もですか」
「もちろん。君は風呂が好きなようだから、温泉がいいだろうって昨夜考えてたんだ。いい湯元を知ってるからさ、銭湯より温泉の方がいいだろう?」
それを聞くと、拒む気もなくなってしまいました。彼はもう、僕を手放す気などないのです。手提げのバッグを持った早庭さんは家の外に出て、手招きします。そして僕は、彼の言うままに車へ乗り、助手席でボタンを押された人形のように頷きつづけていました。




