17話
見えるほどに深く溜息をついたあと、川の方へ足を投げ出しました。暗い川のせせらぎと薄光の流れは静かで、ここがさっき自分の尿を流したところには思えないのでした。汚してしまった罪悪感がほんのりありますが、希釈され散らばって海に流れていくことを思うと遥かな心地がしてきます。
早庭さんの別れ際に言った「また明日」を川に流そうとしましたが、リフレインするばかりで消えてはくれません。もし、明日からも連れまわされたのではからだが保たないでしょう。これから二ヶ月、改善するために休むのですから。
独りで静かに過ごしていくことが僕には大事なのです。あの人が不調の因だということは今日のことではっきりしましたし、もう会ってはいけません。そもそも僕と早庭さんには出会う手段が一つしかなく、それは外出時に偶然、です。互いに連絡先を知らないのですから、故意に会うことなどできないのです。再び溜息をつき、柵を越えて家路につきました。
五
よほど疲れていたのでしょう。ベッドの上で目覚めると外は暮れ始めていました。こんなに長いこと眠れたのは、この数ヶ月なかったことで、休んだ甲斐があったというものですが、瞼はとても重く、天井の他は見る気も起きません。
昨日までと今日は全く違っていない。天井のクロス貼りの細かな陰影を眺めていると、そう思えてきます。家から職場へと過ごす環境が移っても何ら変化はなく、今見ている素材のようにずっと無地なのです。僕は休んでしまえばその瞬間からころっと人間が変わったように回復すると思っていました。けれど、それは短絡で、現実は地続きです。暗くなり目が冴えてきてもクロスは無地のまま、僕は平たいままなのでした。
キッチンの戸棚からコップを取り出し蛇口をひねると、カルキの臭いが鼻をつききました。それを三杯飲み干して冷蔵庫を開けたものの食べられるものなど見当たらず、味のあるものといえばアイスやチーズ、ふりかけぐらいのもので、腹を満たすためには外出する他はありません。僕は、まあいいかと、むしろ好都合に思いました。人はモノを食べなくても水さえ飲んでいれば一ヶ月は生きていられる、そんなことをどこかで聞いたことがあります。食べることを求めさえしなければ、外に出なくて良いのです。外は危険でいっぱいです。僕は家で生きていくことにしました。




