16話
「僕と早庭さんは違いますから」
「そんなこわい顔して。違うことないだろ。僕はおしっこをする。君もおしっこをする。同じじゃないか」
「同じ人間だろうってわけですか。行為は同じでも、その感じ方は人それぞれですよ」
「差異があるのは確かにそうだが、しかしそれは微差だよ。おしっこの全体から見ればね」
「僕はおしっこが心地よいなんて思えないんですよ」
「今の君はそうだろうさ。本来のおしっこからはなれているから。最初からおしっこが嫌いな人間はいないんだ。赤ん坊を見てみなよ。あんなに小さな命だって勢いよくおしっこを飛ばして楽しそうだ」
「それも早庭さんの主観でしょう」
「揚げ足取りがうまいなあ。でもね、私の主観が強いとしても、あの時の君が気持ち良さそうにしていたのは見間違いではなかったはずだ」
あの時の自分がどんなだったかなんて忘れてしまいましたし、何より僕はこれ以上彼に付き合うのが嫌になっていました。
「覚えていません」
「そう、気持ち良さそうに声を漏らして、見てるこちらが嬉しくなるくらいだったんだけどな」
「僕は早庭さんのようにはなれないですよ。患っていますしね」
早庭さんは一寸黙って、僕を見ました。怒らせてしまったのだと思い、けれどそれさえどうでも良いことに思えました。
「もし君に治したい気持ちがあるのなら、私と一種に楽しむことが一番の薬だと思う」
まだ続くのかと思う僕の苦い反応を見て、早庭さんは加えて言います。
「もちろん今日はここで終わりだ。また日を改めて会おうじゃないか」
これ以上話を長引かせるのも煩わしく、僕は帰りたい一心で、「ええ」と応えました。
この返事に満足したのか早庭さんは柵をまたいで道に戻り、スーツの塵を払います。
「いつまでもそんなところにいたら危ないぞ」
そんなことは分かっています。あなたがここに誘ったんですよ。と、そんなこと言いはしませんでしたが、柵から動けないほど腹が立っていました。彼はそんな僕を見つめてから、
「じゃあ帰るよ」と言います。
見返しましたが、どんな表情をしているのか分かりません。
「お疲れ、また会おう」
早庭さんは背を向けて帰っていきます。その姿が見えなくなると、僕はへたりこみました。会社の幹部とは言え、恐ろしい人と出会ってしまいました。




