10話
「強いけれど、口当たりはいいから飲みやすいよ」
部長に勧められるまま口元にもってくると、涼しい香りがすっとはいってきました。それは、酒というより調香されたアロマのようでためらわれましたが、二人にじっと見られている前で飲まないなんてことはできません。おそるおそる、舌先が濡れるくらいふくみます。
「え、おいしい」
思うより先に声が漏れました。二人は笑いながら頷きます。
味が確かめたくて、もう一口。爽やかで濃厚。ミルクが舌の上で溶ける様に似た、とろんと優しい甘みが広がります。しかし、すぐ流れていってしまいますから舌には残らず、僕は二口、三口とつづけます。飲むほどに、幾種もの香草が口の中で芽吹いていきます。
「だから言っただろう、うまいって」
「ええ、本当に」
酒を、ただ酔うためのものだと思っていた僕には、からだを喜ばせるこの飲みものが信じられません。緊張が和らいでいくような気さえして、実際、からだの芯はぽかぽかとしてくるのです。飲み干してしまった僕に対してカツヤさんは、「よほど気に入ったんだね、おかわりする?」と言い、
僕が間髪いれずに、はい、と応えると、二人はにやけます。
「やっと笑ったね。やっぱりハーブ酒の力は偉大だな」
意識はしていませんでしたが、ハーブ酒を口にして、僕は笑っていたようです。楽しいでも、おかしいでもなく、心地の良さから僕の顔はほぐれたのでした。
「酒もいいんだけどね、この店は大きさの割にトイレも広くていいんだ。後で見てくるといい。使いやすくて気持ちのいいトイレっていうのは、そう多くないから」
部長は思い出したように言いましたが、どうしてわざわざ教えてくれたのでしょう。
「気持ちのいいおしっこのためにはシチュエーションも大事だ」
「早庭さん、酔ってくるとそればっかり。幾らこだわっているからって人の前で言うもんじゃないですよ」
「いいじゃないか、みんなしてることだろ、おしっこ。そうやって意味もなく隠そうとするから汚いイメージが拭えないんだ」
「臭いものには蓋をしろって言うじゃないですか」
「分かってないなあ。出したての尿はほとんど無菌で汚い訳じゃないんだぞ。臭いのことだって、雑菌が繁殖するからアンモニア臭がするんであって、おしっこは悪くない」
「分かってますよ、何度も聞いてますから。言いたいのはおしっこの事実じゃなくて、世間的なイメージのことです。それにほら、いきなり下の話をするから森原くんがひいちゃってるじゃないですか」
「そうなのか、森原くん」
「ひいてはいないですけど、一般的な尿に対してのイメージはそうでしょう」
「一般論なんて、ひとりひとり都合よく捉えているだけのものなんだと思うけどね。曖昧なものを気にしすぎていると病んでしまうよ」
僕は、どきりとしました。僕のことを指して言っているのではないのでしょうが、それはそのまま僕へ刺さりました。こうして誘ってきたのも、遠回しに休職を責めようとする意図があったのではと勘ぐってしまいます。




