ハコニワ
「愛してるよ」
篠本が服を着ながら呟く。私は、まだ余韻を味わいながら、ベッドに倒れ込んだままで「うん」と一言返した。
篠本が出ていった後の私の部屋には香水とシャンプーとアロマと、二人の汗の臭いが混ざった甘ったるい香りが充満している。前はなんとなく好きだった篠本の香水の匂いも気に入って買ったシャンプーもアロマも、行為の後には自分だけの世界の雰囲気を壊すような蛇足感があった。
濡れないように結った髪もほどかず、服も着ないままで荒れた部屋を片付けていると、どこから出てきたのか二年前の誕生日プレゼントで貰ったティファニーのネックレスの箱が出てきた。貰った直後は嬉しくて毎日つけて周りに見せびらかしていたななんて、随分前のことを思い出した。今ではどこにしまったのかすらわからなかったのだが。
この部屋は、私が愛された証で構築されている。カーペットも壁紙も、大きな家具達やコップやお皿、テーブルの上の箸入れに至るまで。二人で選んで買ったものばかり。
「君に似合う色だ」
少し暗んだ赤色のカーテン。
「君をイメージしたんだ」
ベージュのムートンコート。
その全てがとても脆く、とてもくだらないものになってしまった。
いつか友人が話していたことがある。
「私たちの生きる世界は、言ってみれば箱庭みたいなものなんだよね」
「なにそれ」
私は笑った。
「自分の世界を組み立てて、上辺だけは綺麗に見せといて、でもどんなに美しく作り上げても結局満たされない」
「ないものねだりの話?」
「そうだけどそうじゃない」
「意味わからん」
「自分は自分を操る人形使いで、理想がすごく高い所にあるんだよ」
「別の話? それ」
「まだ箱庭の話。で、作り物だから自分のコピーには程遠いのは当たり前なのに、理想に至らないからってヤケになってるってこと」
「箱庭じゃなくて人形劇じゃん」
「うーん。カナコには伝わらないかも」
「なにそれ。最後まできいた私がバカみたいじゃん」
馬鹿にした様子もなく友人は、カナコは可愛いなぁと笑った。
私は自分だけの世界である箱庭を作り、私という人形を操る人形使い。理想に近づけたくて、色々なものを手に入れても、手に入れた途端ガラクタに見えて、別のものを欲してしまう。彼女が言いたかったことが、鮮明になった頭で、今解った気がした。
「愛してる」
いつもと同じ調子で言葉を落としながら私に乗っかる。
この瞬間だけは求められてる事実が嬉しくて、ここに生きているという実感が沸く。永遠にこの一瞬が続けばいいのに。いつもそう思う。
私も。
言いかけて、やめた。
私の吐く言葉は偽りに過ぎないし、彼が嘘をついていても私が嘘をついていい理由にはならない。
「ねぇ」
「ん?」
私は言葉の代わりにキスをした。不意打ちで、さりげなく、恋人に悪戯するように、彼の唇にキスをした。彼は目を見開いた後、私を貪る。
私はキスがあまり好きではない。でも今なら、この人にならしてもいいと思った。久しぶりのキスはタバコの臭いがした。
それから私は一人でシャワーを浴び、タバコと香水の部屋に戻り、生まれたままの姿でロッキングチェアに腰かけて、揺られる。
ゆりかごに揺られる子どもはこんな気持ちなのかな。そんなことを考える。
首に手を回して唇を差し出すと、篠本は驚いた顔をした。
「カナコからしてくるなんて珍しい」
私は微笑んでから、腕に力を入れ、舌を絡める。
私と、篠本の吐息が重なり、静かな部屋に声が響く。
「私を、殺して」
そう呟くと、篠本は一瞬戸惑った後、ゆっくりと私の首に手を添え、絞め始めた。
呼吸が苦しくなり、段々と意識が朦朧としてくる。その間も篠本は動き続ける。
そこから先は早かった。すぐに篠本が果て、私は解放される。
「カナコって首絞めなんて好きだったっけ」
服を着た篠本が扉を開けたまま振り返って言う。
「ううん」
そっか。とだけ言い残し、篠本は去っていった。
部屋の整理なんてしない。私の部屋はいつもボロボロで、いつも綺麗に整頓されていて、いつもつまらなかった。
私は靴も履かずに玄関の扉を開けて外へ出た。
もう二度と戻らない箱庭から飛び立ち、私は目を閉じた。
今後とも宜しく御願いします。