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お経の声

作者: 山川空海

 私は以前、とある病院に入院しました。

 その際にあったお話をしようと思います。


 この病院、棟がいくつにも分かれていて、建物の階数もそれなりの、大きな総合病院です。

 建てられたのは戦後間も無くと言いますから、七十年は経っているのですね。

 新館ができたり補修工事が行われたりはしていても、古いまま残った箇所もたくさんあるのです。


 その古めかしい病棟に、私は入院する事となりました。


 入院の理由については割愛するとして、入院中は何かと気が滅入るものです。

 一日中何をするでもなくベッドにいて、特に大部屋などではテレビさえ満足に見る事ができません。

 今であれば携帯電話のプランを変更して、もしくはルーター等を持ち込んでインターネットに常時繋がる事もできましょうが、当時の私はそんな考えを思い付く事すらできませんでした。


 日に三度の味気ない食事と、親が見舞いついでに持って来る小説だけを楽しみとして、後はひたすらぼんやりと時間をやり過ごすのです。

 消灯は二十一時、それを過ぎると小説ですら読む事が叶いません。

 暗い中でまだ眠くない頭を抱えて、ひたすら朝が来るのを待つ日々が続きます。


 その夜も消灯の時間はいつもと変わらず、私は暗闇の中ぼんやりと目を閉じていました。

 このまま寝てしまえるかと思っていた矢先、俄かに廊下が騒がしくなったのです。


 聞こえて来たのは、錫杖の鳴る音と衣擦れの音、そしてお経を唱える複数の声でした。


 誰かが亡くなって、供養のためにお坊さんがお経を唱えているのでしょう。

 この棟には死と直結する程の患者が殆どいないため、きっと今まで私はそれを聞いた事がなかったのです。


 部屋を仕切るカーテンの下からそっと様子を伺うと、人影がいくつか、廊下を進むのが見えました。

 こんな夜遅く、亡くなった人のためにお経を上げなくてはいけないなんて、お坊さんも大変だな。

 私は呑気にそんな事を考えていました。


 次第にそれらの音は遠ざかり、私はいつしか眠りについたのです。


 数日後、入院生活を無事終えた私は、その夜の事などすっかり忘れていました。

 思い出したのは、再び入院してからです。


 その夜も私は、暗闇の中で微睡んでいました。

 そうして聞こえて来たのは、やはりあの時と同じ錫杖の音と衣擦れの音、そしてお経を唱える複数の人の声です。


 ああ、また誰か亡くなったのか。

 そう思いながら、私は以前と同じくカーテンの下を眺めました。

 あの時と同じく、いくつかの人影が廊下を通り過ぎて行きます。


 今回も簡単に亡くなる様な患者がいる棟ではなかったのですが、大きな病院なので、きっと亡くなる患者も相対的に多くなるのでしょう。


 次の日、二度も似た光景に直面して、流石にお坊さんたちの事が記憶に残っていた私は、昨日誰かが亡くなったのかと看護師さんに聞こうとしました。


 そこでふと思ったのです。

 誰かが亡くなったからといって、複数のお坊さんがお経を上げながら廊下を練り歩くでしょうか。

 精々、遺体安置室にて遺族とお医者様と看護師さんが手を合わせる程度ではないですか。


 そう思い至った私は、怖気がつく思いでカーテンの下に目をやりました。

 そこには今、何もいません。

 でも暗くなると、また何かが出るかも知れない。

 そんな思いが脳裏から離れませんでした。


 結局、看護師さんにその夜の事を聞けぬまま、以降何事もなく私は退院し、幸いにも三度目の入院は免れています。

 しかし次に入院した時、あの声の主たちが私の元に現れない保証はありません。

 それを思うと、私は健康の有り難みをひしひしと感じるのでした。


 私のお話はこれでお終いです。

 あなたも、もしこの病院に入院なさる事があったなら、消灯後にお経の声を聞く事もあるかも知れませんね。

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― 新着の感想 ―
[一言]  山川空海 様  最後のカーテンの下に目をやった場面――。  作中では何もいないし出てこなかったのですが、私は 『シワの深い青紫色の顔をしたお坊さんが、目を見開きながらのそっと出てくる』 …
[良い点] 怖みの清涼剤いただきました! [一言] よみやすかったです。
[一言] わざわざお経をあげて練り歩くなんて……律儀なお坊さん方ですね?!(違う) 大きな総合病院て、必ずなんかいわくがついて回りますよね……古ければなおのこと。 もうそこには入院したくないですよね。…
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