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野良ポーター、戦闘する

3


 フオオォ……フオオォ……


 耳元で、風が唸りをあげて吹き抜ける。

 生暖かい風だ。


 ……な、なに?!


 振り向こうにも、何かに押さえつけられたかのように頭が動かない。こめかみに鋭い痛みがはしる。ツゥ、と血が流れる。


 いつの間にか景色が反転していた。

 ドペルの顔が逆さまに見える。何やら必死な顔で叫んでいる。


 フオオォ……フォォ…………


 風が遠のいた。

 頭がパッと軽くなる。

 素早く振り向くと、黒い二つのつぶらな瞳と目があった。


「えっと……?」 


 事態が飲み込めない。


「ぐずぐずするなッ! 逃げろッ!」


 固まるわたしに、近くから叫びが聞こえた。

 ()()()()()()斑狼クーブが、わたしの頭を押さえつけていた前脚を、ゆっくりと持ち上げ、振り下ろそうとする。


「わっ……!」


 ようやく事態が飲み込めたわたしは、パッと左に転がった。同時に、腰に手をやる。

 目の前を、鋭利な爪がよぎる。

 ようやく左手が腰に下げた小刀を探り当てた。

 わたしは転がった反動を活かして、立ち上がった。小刀を右手に持ちかえる。


「キャッ?!」


 ぐいっと引っ張られ、体が傾ぐ。

 頭がジンッと痺れる。

 わたしを捕らえ損ねた斑狼は、わたしの外套を踏みつけていた。

 ……これでは逃げられない!

 外套を押さえつけられた圧を逃すように、腰を落とす。

 斑狼が爛々と光る黒い瞳でわたしを睨み付ける。

 ここで目を反らしては食われてしまう。

 一筋の嫌な汗が、頬を流れた。


 逃げられない……ならばっ!

 一瞬の思考の後、小刀を一閃し、外套を切り裂いた。

 跳ねるように後ろへ下がる。


 獲物を見定め、荒ぶる斑狼が、わたしを追って跳躍する。

 斑狼がわたしの喉を狙ってくわっと顎門あぎとを開く。鋭く尖った牙が無数に並んでいる。

 わたしは目を見開いた。すぐそこまで斑狼が迫っている。危機一髪、体を左に捌いてかわす。

 着地したばかりの無防備な斑狼に向かって、横合いから腰をのせた一太刀を浴びせる。


「くっ……」 


 強靭な体毛に小刀が弾かれる。

 体勢を立て直した斑狼が、こちらに向き直った。


 ……これまでなのっ

 唇をガリと噛んだとき、声が響いた。


「よく耐えた。下がれ!」


 勢いよく飛び退くと同時に、ドペルが颯爽と視界に現れた。

 新手の登場に斑狼は素早く反応する。

 ドペルに向き合い、一撃必殺とばかりに飛びかかる。


「甘いッ」 


 ドペルが走る勢いに任せて斑狼が飛びきる前に槍を突きだした。

 勢いののった槍は深々と斑狼の喉笛を貫く。

 そのまま、ドペル槍を深く捻った。斑狼の肉片が辺りに飛び散った。なんともいえない金臭い匂いが広がった。


「ははっははは……」


 口の隙間から乾いた笑いが漏れる。

 なんだか頭がガンガンする。

 視界がボーッとぼやけ、体はガタガタ震える。

 斑狼は、二匹いたのだ。

 こんなことってある?

 一匹でも恐ろしいのに、笑えない。そもそも、戦闘はポーターの仕事ではないのだ。


「無事か?」


 ドペルが気遣わしげに言った。

 無事ではあるが、大丈夫なわけがない。

 ……そう答えようとするが、呂律が回らない。

 笑いが止まらなかった。


 目の前をぼんやりとした影が覆う。


「おいっ!」


 肩をガシッと捕まれる。

 体をユサユサと揺さぶられた。

 びっくりしたわたしは、咄嗟に逃げようとする。


 ……くっ、なんて力! 動けないっ。


 斑狼の凶悪な顔が思い起こされた。

 ……まだ、いたっ?!


 たちまち恐怖がわたしを支配する。


 どうにか身をよじるが、肩を掴む脚は動かない。

 それどころかぐいぐいと爪が食い込む。


 「落ち着け」と、どこからかドペルの声が聞こえる。斑狼が目の前にいるのだ。落ち着けるわけがない。


「あっ……あっ……! 助けっ……!」


 喉を絞るように喘ぐ。

 ガンガンと頭が痛みを訴える。

 ……逃げなければ!

 手が、足が、地面を叩く。

 もがけども、もがけども、歯牙から逃れることはできない。

 影が眼前に迫った。

 影の生暖かい息が顔にかかる。


「…止めっ……て!」

 叫ぶと同時に、ドウッと押し倒された。

 影が体に覆い被さる。

 わたしは、動けない。

 ……もう、無理だ。

 終わりを予感したわたしは、そっと目を閉じた。




「だから、落ち着けと言っている」

 ドペルの声が、やけに鮮明に響いた。


 パッと瞳を開いた。

 ぼやけた視界が急速に輪郭を取り戻し、視点が定まっていく。

 鮮やかな緑が目に映る。


「ドペ……ル?」

 わたしはいま、ドペルの肩越しに、木々を眺めていた。

 相変わらず、体は動かない。ドペルが覆い被さっているからだ。


「あぁ」

 ドペルは、ゆっくりと頷いた。

 ドペルの頭が動くのが、肩越しに伝わる。

「もう、大丈夫だ」

「だいじょう……ぶ?」

「あぁ、もう斑狼はいない」

 斑狼、という言葉に、体がピクリと反応する。

 ドペルは子どもに言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「斑狼は、二匹とも、倒した。だから、大丈夫だ」

「ほんとう?」

「本当だ」

「もう、来ない?」

「あぁ、来ない」

「そっか。よかった……」


 じわじわと、安心感が体を満たした。

 幼子のように、片言でやり取りするうちに、頭の中がスッキリとした。もう、大丈夫なのだ。


「ドペル、ありがとう」


 わたしがニコッと笑うと、ドペルはさっと起きあがった。

 体がふっと軽くなる。


「もう正気のようだな」


 ドペルは仏頂面で言うと、手を貸して、起こしてくれた。

 血がサァッと下がっていく感覚がする。

 ふらりと頭が揺れた。

 すかさずドペルが抱き止める。

 わたしは気恥ずかしくなって、礼をいうと、ゆっくりと立ち上がり、木の下に座った。


 爽やかな風が、柔らかな土の匂いを運んでくる。

 わたし、生きていたんだなぁ……

 そんな思いが胸を駆けた。


 ドペルが隣にどかっと座る。


「ありがとう」

 聞こえるか聞こえないかの声で礼を言う。

 ドペルは無言のままだ。


 ……それでも、いいか。


 そっとわたしは目を伏せた。

 隣のドペルの薄い唇が僅かに吊り上がったことに、わたしは気がつかなかった。


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