元ポーター、考える
3
晴れて、協会に対する借金を背負ったわたしは、まず、下宿を引き払うことにした。無駄な出費は押さえていかなければならない。
おかみさんに退去する旨を説明し、先払いしていた家賃を退去金に回すようお願いした。
おかみさんに心配をかけたくないので、もちろん借金のことは伏せている。
「そうかい。おまえさんがちっこい体で、なにやら頑張っているらしいことは知ってるからね。出ていくのを、引き留めたりしないさ。だがね、いざというときは、ここに戻ってくるんだよ」
捌けた人柄のおかみさんは、それだけ言うと、さっさと料理の支度を始めてしまった。
あまりにさっぱりとした別れに泣きそうになった。駆け出しポーターのときから5年、ずっとお世話になったというのに……。
「今まで、ありがとうございます」
だけど、うじうじしている時間はない。
涙をこらえてピョコリとお辞儀すると、金策のため、町に繰り出した。
ギルドへの借金は、かなりの額に上っていた。これまで5年間で稼いできた額に0を更に一つ付け足した額だ。
追放に伴う罰金が巨額なのは言わずもがな、上納金の滞納分もなかなかの額だった。
上納金ビンボーという言葉がある。協会所属の運び人《ポーター》が、そこそこ稼いでも上納金を納めなきゃならないがために、その多くを引き抜かれ、手元には日銭しか残らない、というすごく惨めな現象だ。
正直に言おう。 かつてわたしは、上納金ビンボーのことを、下にみていた。
わたしはそこそこ稼ぐなんてものじゃなく、超・売れっ子ポーターだったので、上納金ビンボーだなんて縁遠いものだった。「金がない!」と嘆く同期のポーターたちに、夕食を奢って羨望の眼差しを集めていたものだ。あまつさえ、どうしてこんなに儲かるのに? と首を傾げてすらいた。
……だが、今ならば滞納という違反を犯していたからこそ、ビンボーにならなかったのだということがよくわかる。
滞納金の詳細を記した書類を見て、思わずうぅむと唸ってしまった。
ほんとに、アホなことをしてしまったなぁ。これまでの自分を殴ってやりたい。
滞納金に加えて、かなりの額の罰金、これらを5年以内に返済しなければならない。さもなくば、奴隷落ちだ。鉱山にでも連れていかれるか、売春宿に売り飛ばされるか。悲惨な運命が待ち構えている。
……なんとしてでも避けなければならない。
しかし、現在、わたしには働き口がない。それも、恐ろしい額の借金を返済できる見込みのある働き口が、だ。
そもそも、どこの馬の骨とも知れない女子どもを雇ってくれる場所なんてどこにもない。年齢や、出自を気にせず、どんな相手にも門戸を開く《運び人協会》や、《冒険者ギルド》は、常識はずれなのだ。
そんな、わたしにできることといったら、せいぜい迷宮の案内と獲物の運搬くらいだ。
迷宮にもぐると言っても、冒険者のように剣で敵を倒すこともできなければ、キラキラ光る魔法を使って、味方を癒すこともできない。
敵を見つけたら、真っ先に逃げ出すのが関の山だ。
あれ……? わたしって意外と木偶の坊だったんだ?
これまで、ちらりとも思いもしなかった事実が発覚し、ほろり、と涙がこぼれた。胸が痛い。ついでに、懐も痛い。ぐぅ……。
この町で一番実入りがいい仕事は、第一に迷宮冒険者、次いで運び人《ポーター》(彼らがビンボーなのは、装備に金をかけるからだ)だ。
しかし、わたしは《運び人協会》を追放された身で、協会はもちろん、その母体組織である《冒険者ギルド》にも、借金を返さない限り加入することができない。
……詰んだ!
基本的に、ギルドや協会未加入の冒険者やポーターは、信用度が著しく低く、野良と言われる。
野良冒険者はギルドで獲物を売り払おうにも、多額の手数料を取られるは、迷宮入場許可証の発行をしぶられるは、で、大変苦労することになる。
野良ポーターにいたってはもっと顕著で、どんな冒険者にも見向きもされなくなる。
協会は冒険者ギルドと違って、敷居も低く、誰でも加入できる節がある。冒険者との顔合わせもできるので、人脈作りのために加入している予備冒険者群も多くいる。
冒険者ギルドからの仕事を持ってきたり、迷宮の情報をもたらしてくれたり、例えば金銭トラブルがあったときに身元を保障し保護してくれるのも協会だ。
そんな門戸が広く、しかも、手厚い保障まで準備している協会に入れない、または入らない野良ポーターは、よっぽど阿漕なことに手を染めていた者か、僅かの加入金も払えないーーつまりは迷宮で活動する装備も揃えられないようなーー筋金入りのビンボーに限られる。協会未加入者は信用に値しない、と誰も野良ポーターを利用したがらないのだ。
だからこそ、みな、迷宮探索のときには協会やギルドに必ず加入する。
……考えてみれば考えるほど、やばいなぁ。
野良ポーターは論外だし、少しは待遇がよくなる野良冒険者をするにも、安全マージンをとれるほどの装備はないし……。
どこともなく、視線をさ迷わせた。
連休の間に整備に出した運び人《ポーター》道具一式が目に入る。どれも、お世辞にも一級品とは言えないがら、大事に大事に使われてきたことがわかるものたちだ。
ポーターには誇りを持っていたし、自慢ではないが、仕事道具の手入れを一日として欠かしたことはない。
ポーターとはいえ、いつも死と隣り合わせの迷宮に潜ってきた。それなりの性能を備えた装備を使ってはいた。
「やっぱり」
ふと、言葉が口をついた。この先を口にしてはならない気がして、口をつぐむ。だけど、思いは止まらない。
……これらを質屋に出せば、向こう一年は働かずに暮らせるほどの額になるんだけどなぁ。
それもありだろうか、と思った。まとまった金を最初に返しておけば、ギルドや協会もしばらくは催促してこないだろう。
しかし、これらを手放せば、わたしは本当の木偶の坊に成り下がる。迷宮がない世界でのわたしは、何もできない能無しの猿も同然なのだ。
どうしたものか、と思案するうちに、日は暮れていった。