お守り代わりの赤い石
結衣が帰宅して三十分もしないうちに重吾は帰って来た。思っていたよりも早かったために結衣は驚いた。
「どうしたの、こんなに早く帰って来て」
「なんだよ、嬉しくないのかよ。お前を心配させたくないから急いで帰って来たのに」
そう言って、小さな手提げ袋を結衣に渡した。イツキ先輩から結衣へのお土産だという。東京にある有名な菓子店のマカロンが入っていた。
「イツキ、結婚するんだってよ。式は再来月だって」
突然の結婚報告に重吾は少し興奮していた。友人の結婚を心から祝っているのだ。
「相談って、結婚のことだったの?」
婚約者がいるのに他の男に相談することって何があるのだろう。結衣の疑う癖はそう簡単には治らない。マリッジブルーにおちいった女が男友達に相談にのってもらって、フラフラと――。というストーリーはドラマや漫画ではよくあるではないか。
「いや、なんか家族のことで色々あるらしくってさ。昔から大変だったらしい。実家から離れたくて大学も遠いところを選んだらしいよ」
それで、こんな田舎の大学に入ったのか。卒業後、東京に戻ったのはやはり家族を捨てることができなかったからなのかもしれない。
それ以上詳しいことは教えてくれなかった。友人のプライベートに一定の配慮をしたつもりなのだろう。
結衣にはまだ聞きたいことがあった。なぜ、姫神さんのところに二人でいたのか。
「イツキが行きたいって言うからさ。あの楠木の場所、元は古墳だったんじゃないかって大学時代から気になってたらしい。踏査だよ、踏査」
姫神さんが古墳?たしかに、あそこは少し土が盛り上がっているが、古墳だったとは思えない。それに、暗い時間に踏査なんて、不自然だ。
イツキ先輩の本当の目的はなんだったのだろう。古墳としてではなく、パワースポットである姫神さんに用事があったのではないか。
姫神さんが縁切りの神様であることをイツキ先輩はおそらく知らない。恋の神様のパワースポットとして周知されているのだから。
婚約者との愛を叶えるために姫神さんにお願いしたのならいい。でも、一緒に行った重吾への恋を叶えるためだったら―――。
重吾はお風呂に入った。テーブルの上にスマホを置きっぱなしにしている。結衣はこのスマホのロックを解除するパスワードを知っている。以前、試行錯誤して解明した番号だ。
いつもの結衣なら迷うことなくスマホの中身をチェックしたが、この夜はしなかった。見たくて見たくて仕方がなかったが、その気持ちを抑えこんだ。疑いすぎはロクなことにならないから。
自分のスマホを触って気をまぎらわす。イツキ先輩にマカロンのお礼のメールを送るとすぐに返信があった。
「今日は旦那さんをお借りしました。結衣ちゃんにも会いたかったな。また今度考古研のメンバーで同窓会やりたいね」
というパーフェクトなものだった。若干イラつく。
次はSNSを覗いてみる。イツキ先輩も登録しているSNSだ。コメントは絶対に残さないけれど、投稿は常にチェックしていた。イツキ先輩はさっそく今日の写真を投稿していた。
駅前の居酒屋だ。撮影者はおそらく重吾。ビールの入ったグラスを手に綺麗な歯を見せて笑うイツキ先輩が映っていた。
グラスを持つ手は白い。そして細い手首に赤いものが巻きついていた。
パワーストーンの腕輪だ。
イツキ先輩もジョスコで見かけた女性たちと同じ腕輪をしていた。そういえば、少し前に腕輪の写真をアップしていたような気がする。
日付をさかのぼってチェックすると、腕輪を映した写真があった。絹のような光沢のある白い布の上に赤い腕輪が置かれている。
写真の下のコメント欄に『いつも身に着けてたらいいことあるよ』と書き込まれていた。
さらに日付をさかのぼると、
『姫子先生のセミナーに行ってきました』
という投稿もあった。中年の小太りの派手な女性と並んでイツキ先輩が微笑んでいる写真だ。
以前この写真を見たときは仕事関係のセミナーに行ったのだと思いこんでたいして気にもとめなかった。だが、ジョスコの女性たちの会話を聞いたあとでは、少しひっかかった。
中年女性の口元には大きなホクロがあった。どこかで見たことのある顔だ。この中年女性が姫子先生という人らしい。姫子先生もSNSをやっていてイツキ先輩のフォロワーになっていた。
おそるおそる、姫子先生のアカウントを覗いてみる。プロフィール欄を見てみると、ちょっと「宗教ぽい」ことが書いてあった。
『私は十五年ほど前、苦しい恋をしていて死ぬことを考えていました。そんなとき、姫神さんに救われたのです。御神木の前に立ったとき、電流が体を走ったような衝撃を受け、私は姫神さんの生まれ変わりであることを悟ったのです。そして世の中の多くの女性を救うため今の仕事を始めることになりました。』
……まさかイツキ先輩が「宗教ぽい」ものにはまっているとは思わなかった。姫神さんのところに行ったのも、姫子先生の影響に違いない。
試しにネットで検索をしてみると姫子先生の公式サイトがすぐに見つかった。例の赤い腕輪のお値段は八万円もした。こんなものに八万円も出したのか、イツキ先輩は。少しだけ、イツキ先輩が哀れな人に思えた。
◇◇◇
一か月半後の大安の日、結衣と重吾が東京へと出かけた。イツキ先輩の結婚披露宴に出席するためである。招待状の重吾の名前の横にオマケみたいに「令夫人」とあった。令夫人である結衣も夫の「女友達」の披露宴に喜んで参加したのだ。
会場に入った結衣は親族席の方をそれとなく観察する。イツキ先輩のことを長年悩ませてきた人たちとは思えないくらい、普通の穏やかな家族に見えた。
花嫁は美しかった。マーメイド型のシンプルなドレスでイツキ先輩のスタイルの良さを際立たせていた。あの赤い腕輪はというと――今日は身につけていないようだった。
イツキ先輩は今までにないくらい幸せそうな顔をしていた。この笑顔を作り出したのが姫子先生ならば八万円の価値はあるのかもしれない。隣にいた重吾が「きれいだな」と惚けた声を出す。結衣はそれを聞き逃さなかった。
(私だって今日は久々にめかしこんだのに)
おめでたい席なのに結衣の嫉妬心が暴れそうだった。
宴の中盤になって、おなじみのキャンドルサービスがあった。新郎新婦がそれぞれの席へキャンドルに明かりを灯していく。結衣たちの席にもやってきた。結衣と重吾の間から新郎新婦が腕を伸ばし、灯す。
そのとき、新郎が重吾に何か話しかけていた。ちょうど新郎が結衣の方に背を向ける形になっていたので結衣にはよく聞き取れなかった。
帰りの新幹線の中で、「何を言われたの?」と聞いてみた。
「めちゃくちゃ怖かった」
と重吾はオーバーに震えるしぐさをした。なんでも新郎に睨みつけられたのというのだ。
『いつも妻がお世話になっています』
と低い声で言い、重吾に視線を合わせたまま明かりを灯したらしい。嫉妬深い人なのかもしれない。
「もうイツキと会ったりラインするのやめよっと。マジ怖ぇ」
妻である結衣が懇願しても止めなかったのに、初めて会った余所の男には簡単に退くのか。
(なんだ、その程度の友情だったんだ)
結衣は拍子抜けした。わざわざ姫神さんに頼まなくてもよかったのだ。
「そういえばさ、お前もうすぐ誕生日だよな」
背もたれを倒しながら重吾が思い出したように言った。
「プレゼント何がいいの?」
今年は、ちょっと高めのアクセサリーをおねだりしようかと思う。赤い宝石のついたもの。ルビーかガーネットの。なんとなく、お守り代わりに持っていたい。ドンとした奥さんになるために。
ここまでが文学賞に応募した原稿をもとに書いたものです(短編の応募でした)。
次回以降は結衣以外の視点で書いていきたいと思います。