二人でなにをしていたの
結衣は母を置いてジョスコのエントランスを目指した。表から出てぐるっと裏側に回って真っ直ぐ行けば楠木だ。
(ちょっと行って来るだけだから。気休めにお参りするだけだから。姫神さんにちょっとお願いして、後は自分で頑張るから。ダイエットも頑張るし、肌の手入れも頑張るから……)
空はもう、暗かった。ジョスコから洩れる照明のおかげで視野は明るい。こんな時間なのに小学生も出歩いていた。
裏側に回ったら、急に闇が深くなる。今夜は月が出ていない。視線の先には楠木が夜の空を見上げるように立っている。それは巨大な黒い人影にも見えた。
稲穂が風に揺れる音が聞こえた。パワースポットに群がる人たちはこの時間帯にはもういない。
そこにあるのは、ただの田舎の夜の姿。ジョスコ。田んぼ。空には星がちらほらと現れ始めている。結衣は楠木を目指して歩く。この季節特有の稲穂の匂い。
楠木がざわっと風に揺れた。
――誰かいる。二つの影が楠木の前でうごめいている。結衣は足を止めた。
その二つの影は見覚えのある体格をしていた。中肉中背の男と、小顔で手足の長い女。
――重吾とイツキ先輩だ。
なぜ、二人が姫神さんのところにいるのだろう。今頃は駅前の居酒屋で盛り上がっているはずではないか。
二人は結衣の存在に気づいていない。何か話しているが、結衣が聞き取るには距離があった。
姫神さんの前にいる二人は恋人同士のようだった。通りすがりの人が見たら、永遠の愛を誓いに来た仲のいいカップルだと思っただろう。
結衣は二つの影をじっと見ていた。実際にそうしていたのは十秒ほどだったが、結衣には数十分間そうしていたような感覚が残っている。その時の結衣の姿は鬼の形相をした怖い女だった。
結衣はゆっくりと向きを変えてジョスコの方へと歩み始めた。
ここで二人に「何してんのー?」と軽い感じで声をかけることができる女だったら、そもそも神頼みなんて考えない。
最初から、結衣はイツキ先輩に負けていたのだ。敗北感を抱きながら明るい店内へと戻って行った。
◇◇◇
自宅まで母が車で送ってくれることになった。あの二人を見たことは母には言っていない。だが何やら娘が落ち込んでいることを見抜いた母は、
「昔からあんたは思いつめるタイプよね。疑いすぎもよくないわよ。重吾くんのこと、もっと信じてあげなさい」
とアドバイスをくれた。
帰りも姫神さんの前を通る。二人の姿はもうなかった。姫神さんの前を徐行運転をしつつ、母はこう付け加えた。
「姫神さんもさ、みんなに疑われて苦しくて死んじゃったのよ。疑いすぎてもロクなことにならないんだから。あんたは奥さんとしてドンとかまえてりゃいいのよ」
わかっている。疑いだしたら、きりがない。何もなかったことを証明するのは難しい。だから、苦しい。
疑われている重吾も苦しいのだろうか。のんきにイツキ先輩とラインをしている姿はそんなふうには見えないが。
「あんたと姫神さん、似たような性格なのかもね。同じ時代に生まれていたら、気の合う友達だったんじゃない?」
会ったこともない遠い昔のお姫様の性格なんてわかるわけがないのに、母は物知り顔で言う。結衣を慰めようとしていることは伝わった。
「性格が似てるって、どういうとこが?」
「なんていうか、ゼロか百しかない感じ?オール、オア、ナッシング?」
「私、そんな性格じゃないよ」
昔からそうだが、母の娘に対する認識はいつも少しだけずれている。結衣はずっと、ほどほどに生きてきたつもりなのだから。母の言うような性格だったら、高校を卒業すると同時にこの町を出ていただろう。
「あんたの思春期はヒヤヒヤしたのよ。親に徹底的に反抗するか、徹底的に従うか、どちらかだと思って」
結果、結衣は徹底的に従う方でホッとしたということか。それはちょっと違うような気がしたが、黙っていた。
「姫神さんは、徹底的に反抗することを選んで死んだのかもしれないわね」
車が姫神さんから遠ざかる。母はアクセルを少し踏み込んだ。
姫神さんは父である天皇にも疑われ責められたという。身の潔白を証明するために命を絶ったということだが、真相はわからない。もしかしたら、姫神さんが男と恋仲になったのは事実だったかもしれないし、事実ではなかったかもしれない。いずれの場合も証明するのは不可能だ。