神様に頼りたくなることってあるのよ
「ねえ、もっと詳しく教えてよ」
結衣はその願掛けを実行してみたいと思った。やり方をもう少し詳しく知りたい。
「何よ、縁切りしたいくらい厄介な人がいるの?」
母はテレビを見たまま質問返しをする。吹き替えがされているドラマなのに、画面下には日本語字幕がある。
「厄介ていうか、ダンナにあんまり関わってほしくない人がいるんだよね」
テレビ画面から目を離して、体ごと結衣の方に向けて心配そうな顔をした。
「まさか、重吾くん、浮気相手がいるの?」
違う、正確にはまだ浮気じゃない。浮気になる前に縁を切りたいのだ。
「浮気とかじゃない。ただの、普通の、女友達」
「ただの女友達の縁を切りたいの?」
「うん、友達だっていうのはわかってるけど、なんか心配ていうか」
ここまで聞いて、母は吹き出した。
「女房が思うほど亭主はモテないわよ」
まあ、その通りだ。重吾はモテるタイプではない。
それでも、結衣にはたった一人の大切な男なのだ。他の女にとられたくない。少しでも危険があれば遠ざけたい。
「たかが女友達を姫神さんに縁切りしてもらうなんて、もったいない。一生に一度だけしか聞いてもらえないんだから」
「一生に一度だけしか、御利益がないの?」
そうよ、と母はなぜか得意げに言う。
「縁切りの願い事は一生に一度だけ。二回目のお願いをしに行ったら、逆に姫神さんに怒られるのよ」
それは、ちょっと怖い。
パワースポットという呼び方は何でも許してくれそうな空気をそこに作り出す。でも、姫神さんだって怒るし祟るのだ。
イツキ先輩との縁を切るために「一生に一度のお願い」を使ってしまったら、これから先、もっと強敵の女が現れたとしても自力で対処しなければならない。姫神さんには二度と頼れない。
結衣はどちらかというと、神様とか占いとか「宗教ぽい」ものは信じてない人間だ。神様に頼るなんて、好きじゃなかった。
でも、自分の力ではどうにもできないことがある。他人の心と、それから、自分の心。「行動」は自分の意志でなんとかなる。でも、心はどうしようもない。
仮に、結衣の努力と行動で二人が物理的に離れたとしても、心はどうだろう。
「心」の部分を離すのは人間である結衣には不可能だ。だから、人間を超越した「神様」に頼るしかないと思う。
とはいえ、姫神さんに縁切りをお願いするのは、ほんの気休めのつもりだ。お願いをしたという事実があれば少し気が楽になるのではないかと思った。結衣は嫉妬心から解放されたかったのだ。
母は再びテレビ画面に目をやっている。鮮やかな色合いの民族衣装を着た美しい女優が涙を流していた。毛穴のない肌の質感がイツキ先輩に似ている。吹き替えの声は『なんてひどい、あぁ』と言っているのに、画面下の字幕は『あの女が憎い』と表示されている。
「人生長いのよ。色んなことがあるのよ。たかが女友達のことで姫神さんにお願いしなくてもいいじゃないの」
そう言ってつまようじでレバー煮を刺して口に運ぶ。「ショウガが効いてる」といってまた刺す。
「お母さんね、昔、姫神さんに縁切りしてもらったことあんのよ。たまたまだと思うけど、姫神さんにお参りした後、本当に縁が切れたのよ」
初めて聞く話だ。縁を切りたいと思う人が母にもいたのだ。
「お父さんにつきまとってた女。しつこかったのよ」
父は、真面目が服を着て歩いているような人で、母以外の女の存在なんてありえない。
「お父さん、不倫とかしてたの?」
「さあ、お父さんは何もなかったって言ってたけど、どうだかね」
レバー煮を突き刺すつまようじの先端が少し鋭くなった気がした。母はポイポイと口に放り込む。
「お父さんが言うには、勝手に女が両思いだと勘違いしたらしいんだけどね。イタズラ電話かけてきたり、お母さんが一人でいる時に突然訪ねてきたり、怖かったのよ、あのブス」
怖いと言いつつ、ブスだとののしる母は強い。
「それって、いつ頃の話?」
「あんたが小学生の時。四年生か五年生だったかしらね」
子供だった結衣の知らないところで、両親は大変なことになっていたのだ。特別鈍感な子供だったのか、母が悟られまいと努力していたのか。
「学校帰りのあんたを待ち伏せしてたこともあってね。警察にも相談したけど、不安だったから姫神さんにもお願いしたのよ」
そのブス女は結衣にも接触したことがあるという。結衣には覚えがない。そんな人いただろうか。