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切ってやりたいその友情

 今週末、夫は女友達と会う。


 結衣はその件について夫と口論をしている。


「子どもができたら友達と自由に会えなくなるから会える時に会っときたい」


というのが、夫、重吾ジュウゴの言い分である。


「妻の私が嫌だと思うのに、どうして会う必要があるの」


というのは、結衣の言い分である。


「男と女なんだから、二人で会うのはアウト」


という言い分も付け加えておこう。


「お前、本当に平成生まれなのか?男女平等の世代だろ?男女席を同じうせずなんていつの時代の年寄りなんだよ」


正しい。重吾の言い分はどこをとっても正しい。でも、正しさでは結衣の心を鎮めることはできない。


「行ってほしくない」


と結衣は正直に言った。「私も行く。三人で食べよう。」と提案もした。だが、重吾はそれを拒んだ。


「相談したいことがあるらしいんだ。できたら、二人で会いたいらしい」


「相談て何の?重吾じゃなきゃダメな相談なの?」


「何の相談かは聞いてない。わざわざ東京から会いに来るんだから、深刻な悩みなんじゃないかな」

重吾はいつだって優しい。友達思いのいい人なのだ。結局、悪者になるのは結衣なのだ。


「わざわざ、遠くからねえ」


結衣はため息をついた。


 結衣の人生で初めて接触した東京生まれ東京育ちの女性、イツキ先輩。大学の考古学研究会の一つ先輩で、重吾にとっては同期の女友達だ。

 イツキ先輩は大学を卒業後、東京へと帰って行った。そもそも、なぜ、こんな田舎にある大学を選んで受験をし入学したのか不思議ではあった。大都会東京なら、理系にしろ文系にしろ、自身の偏差値の問題にしろ、入学可能な大学はいくつもあったはずだ。イツキ先輩の実家から通える範囲には数多の大学がある。田舎で育った結衣とは比べ物にならないほどの選択肢が彼女にはあったはずである。


 イツキ先輩は青春時代の四年間、ふらっと地方に迷い込み、きらめきをふりまいて、さっと帰って行ったのだ。


 結衣は、この田舎で生まれ育ち、高校も大学もこの田舎で「済ませた」。多くの若者と同じように都会に出て暮らしてみたいという欲望はあったが、親の反対を押し切るほどの意志と偏差値が結衣にはなかった。

 大学には行かず、都会で就職する方法もあったろう。だが、それはしたくなかった。司書になる夢を叶えるため、大学に行って資格を取りたかった。都会暮らしの夢も、司書になる夢も二つとも叶えることは、少しだけ難しい。


 運がいいのか悪いのか、わざわざ遠くに行かなくても、司書の資格を取れる大学は、近くにあった。市内で唯一の大学だ。結衣はこの大学を受験し、入学した。

両親は結衣の選択を当然のことと受け止め、そして安心した。きっと、正解だったのだろう。卒業後、結衣は市立図書館に就職できたのだから。まあ、非正規の採用だったけれども。


「わざわざ東京から来なくても、電話とかラインで済ませたらいいのにね」


針で刺すように結衣は言った。


「この前、ラインしてたらキレただろ?会うのもダメ、ラインするのもダメ。つまり、お前は俺に友達との縁を切れって言うのかよ」


この重吾の反論は極端なことのように結衣には感じられた。


「そんなこと言ってない。縁を切れとか、そこまで言ってるわけじゃない!」


「言ってるも同然だ。夫婦だからって、友達関係のことに口を挟まないでくれ。お前も俺に友達との付き合いを制限されたら嫌だろう」


結衣は何も言い返せなくなった。「それはそうだけど」と口の中をモゴモゴとさせるだけ。



 重吾はディスカッションの勝利を感じたのだろう。「じゃ、この話はお終いね」と言ってソファに寝ころびスマホでゲームを始めてしまった。


「大っ嫌い!」


結衣は捨て台詞を吐いて台所に移った。子供じみてるな。と自分でも思う。それでも、結衣は自分が間違っているとは思いたくなかった。ただのウザい女だと認めるのが嫌だった。この気持ちの正しさをどうやったら証明できるのか。どうしたら、重吾は間違いを認めてくれるのか。


 その唯一の手段は、ある。

手段、というよりはある「事件」が起きれば、結衣の主張は正しかったことが証明される。

 重吾とイツキ先輩の間に「間違い」が生じるという「事件」である。その「事件」が起きれば、そしてその「事件」の「証拠」を結衣が入手することができれば、晴れて二人を完膚なきまでに叩きのめすことができるのだ。

 二人の友情を壊すことができるのなら引き換えに自分の心を壊したっていい。

 友情はいつまでも続く。長い人生、これからも。重吾とイツキ先輩の友情はずっと続く。永遠に結衣は彼らの友情ストーリーの脇役だ。


 台所に立つ。包丁を取り出した。まな板も用意して、一先ず、さっきジョスコで買ってきた野菜を洗う。

 赤いトマトを切る。いつもならトマトは一番最後に切るが、今日は赤色が真っ先に目に入りぶった切りたくなった。重吾の好物のトマトを思うように切る。白いまな板の上にトマトの中身があふれだす。下手な切り方だ。


「怒りながら料理すんのやめろー」


リビングから重吾の声が聞こえる。怒ってると思うのなら、ゲームを中断してここまで来て御機嫌取りしてほしい。

 結衣は答えずに野菜を切り続ける。玉ねぎをみじん切りにして、ニンジンを千切りにして切って切って切りまくる。

 ただひたすら切る。いつの間にか、脳内ではイツキ先輩が微笑んでいた。思い出したくないのに、勝手に現れる。


 毛穴が見当たらない肌。並びが良くて白い歯。大きくてキラキラした瞳。すっと通った鼻筋。長い手足。ほどよい大きさの胸。明るくて誰に対してもわけへだてなく接する聖女。

結衣にないものをすべて持っている。中学生のころから目立ち始めた毛穴。虫歯に侵され治療後も色が悪くなった前歯。眠そうな目。おまけに近視がひどく普段は眼鏡をかけている。鼻の形は悪いし、手足も短い。身長はイツキ先輩と同じくらいなのに。

 勝てない。イツキ先輩に勝てるところがない。

 今週末、重吾は美しいままのイツキ先輩と会う。

 その美しく軽い身体をもってして、重吾と向き合い、食事をする。見つめ合い、笑い合い、久しぶりだからきっとお酒を呑む。


 酔ったら、どうなる?


「事件がおきるかもね」


低い声でつぶやいたと同時にすべての野菜を切り終え、結衣は包丁をそっと置いた。

 

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